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劇団きらら「キリンの眼」 小さな街のいとしい人々の物語 森 薫 |
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| こんなに素敵な芝居を見るのは久しぶり、という気がした。何より俳優たちが生き生きしていてこの上なく魅力的だったからだと思う。初日は緊張のせいかやや硬い感じがしたが、ラクにはすっかりそれが取れて、全体のテンポ、リズムも申し分なしだった。 主な場面は人材派遣会社の入居しているビルの一室だがほかに、そのビルの屋上になったり、姉弟が仏壇を守る古い家になったり、マンションになったり、ときには占い師の店になったり、下請け内職の作業場になったり、いわば街のあちこち。それが、ハンガー・キャリアの自由自在な動きや素晴らしいフラメンコダンスであれよあれよと言ってる間に変わっていく。出てくる人も、人材派遣会社なんていえばカッコいいが、どうも従業員は社長ただ一人?らしい、小さな小さなアルバイト斡旋会社を切り盛りしている青年。この不況下、同業者も熾烈な競争をいどんでくる。そこへ、無断欠勤なんて平っちゃら、私向きの仕事をという少女や、宅配便のトラックを道路脇にほっぽっといたまま人助け?に走る若者など、憎めないけど、この社会では到底リッパに生きていけそうにない、どこか欠けたところのある人々が訪れてくる。そして心が迷えば占いを見てもらいにも行くだろうし、困っている下請けがいればついつい手伝ってしまう。 |
見ていてああこれは、“ある小さな街のいとしい人々の物語”だな、と思った。 物語は、その社長青年が、出入りしている青年から、1か月だけ孤独な姉とつきあってくれたら百万円出そうというアルバイト話を持ちかけられたところから動きだ す。――が、物語を追って話したところでこの芝居の素敵さを話したことにはならない。見ている場面の一つ一つが面白く、終わってしまってさて、私は何を見たんだろう? 反芻して初めて物語のあったことに気づいたのだから。 結局、ふとお金に心動いてその姉に会いに行った青年は、その姉に、以前ビルの屋上で偶然出会ったことがあったことに気づき、欲得でなく彼女を救いたいと思う。が、青年の、一日一回食事しに行き、対人関係の対処の仕方をコーチし、旧い家やうるさい親戚から逃れるために引越しをすすめ……しかしあらゆる心遣いは効なく、一時回復に向かったかに見えた姉の両手は再びなぜか震え出し、二人はそれぞれもとの一人ぼっちに戻っていくしかない。これに、クリスマスツリーの電飾、低低賃金の下請け業者の、ほんとに困ってるのを見てみんなで流れ作業。が、 これまた彼女のどう止めようもない手の震え、心の震えで頓挫せざるを得ないというサブ・ストーリーが雁行する――おおまかに言うと、ざっとこんな流れであった。この全体を、誰も |
いないビルの階段を音たてて駆けのぼり、屋上からじっと下をみつめ、声にならない号泣を放つ青年の姿が前後に包む。 全部がいわゆる無対象行動。小道具といえばせいぜい箱がいくつか。そんなふうに身体と声だけでここに描き出されたものは、どうにも救って上げられない、救ってもらいようのない“孤独”であった。姉の病気を閉じこもりというのだろうか、それともうつ病? 自閉症だろうか。名づけたってどうしようまないその心の病いはしかし、彼女だけのものでなく、登場人物一人ひとりが内に持っているものであった。それが、自分勝手なせいなんかでなく、あんまり人の心のうちがわかり、あんまり人の痛みがわかるから、であったことがよけい切ない。世の中、お金なんだけど、お金じゃないってこと。ひとはどんなに――キザだからこんな言葉口にしたくないけど――“愛”を求めずにはいられないかってこと.が描き出されていた。 人間はなぜ生きていくのだろう。私はなぜ生きているのだろう……一度でも高いところから眼の下を見下ろした経験のある人間ならこの「キリンの眼」、きっとあそこにも同じような人々がいたってことに思い当たるにちがいない。これから淋しいとき哀しいとき、私はあの街の人々のことを思い出すことにしよう。 (もり・かおる/演劇批評) |