| Alice’s Another Cup | 「Ugly duckling」もやはり、演出が特筆もの。昨日も今日も同じ。しょっちゅうやってくる年越しなんか知らない間にすぎちゃうけれど、さすが20世紀から21世紀への変わり目はもう一生遭遇できない。 1、2、3……とカウント・ダウンし、つい昔のこと考えちゃった。アダムとイブの齧った林檎よりちっちゃいかも知れないけれど知恵をもって生きていこうよ、暗い夜空の新しい世紀を―そんな樋口美友喜の作を、池田祐佳理は、思い出のモノのいっぱいつまった部屋の中、そのモノたちがムクムクと立ち上がるという形で示した。いつも、どこからこんなこと知ったの、どうやって思いついたの? 不思議に思うほどアイデアが豊富。一度にあの手この手を使いすぎて、それがかえって作品の焦点をぼやけさせるキライなきにしもあらずの演出池田が、今度はピシッと、自分たちの表現しなければならないことに収斂し、見事だった。カセット・テープのなかに封じ込められた懐かしい音を再現しようという作の狙いを、思い出たちの身体で表現しようという、言えば矛盾を、強引にねじふせたとも言えよう。カセット。デッキを持ち込んでくる音々をはじめ、俳優たちもみんな魅力的。とくに思い出の高校生時代。ちょっとヨネスコみたいに言葉の勉強が刃物三昧になるところ。欲を言えば、このシーン含めて、Uglyの20世紀・4つの挿話とその音楽が、もうちょっとだけ“20世紀“ぽかったらよかったかなあ、と思った。維新派松本雄吉の、今はないナツカシ〜イ風景や、蜷川幸雄のギリシャ悲劇三部作の、入れ替わり立ち替わり戦いだったという20世紀観に対して、「それはみ〜んな童話。お母さんの胎内で聞いたこと」と「アドヴェントューラ」は言う。私たちも前の戦争世代にそう言って来たから、ウームと複雑だった。 (アリス) |
| 最後までアリス賞だ、いや、この劇団ならまだ要求度上げていい、もうちょっと待てと揉んだのが「とっても便利」と「Ugly duckling」。「とっても便利」はあの狭い舞台に、数えたら30人。Tiny Alice 新記録の俳優を出してしまうという劇団の勢い、毎回120人を越すギュウ詰のお客さんの勢いもすごかったけど、だけでなく、開閉するパネルや出し入れ自由のワゴン式装置で、歌はもちろんダンスもふんだんのアノ大作を、見事にさばいた演出の力技がすごい。作品も、ぜひとも世に出たい男の欲、自分の辛さをどうしようもなく愛する人にぶつけてしまったり他の女性に心傾いたりする男のエゴを描いて、さすがは大野裕之。つねに自分を客観化し、それを核に作品を構築していく姿勢は誠実だった。廃校を劇場にという男の目論見も、見る人――劇場経費や稽古場に四苦八苦している演劇人とか――が見れば、行政の文化政策に対するひそかな風刺、なるほどの提言と映って、大野の野党精神いまだ衰えずと嬉しくなる。が、挫折した主人公が愛する人との同棲から結婚へ、ハッピー・エンドで終わったところが? どうしたってふつうのミュージカル、ただのエンターテーメントに見えてしまったからだ。最後にひょっとしたら厳しい現実によるどんでん返しがあって大野得意の異化劇になるのでは……? ひそかに期待したのはアリスばかりではなかったようだ。逆だけどブレヒトの「三文オペラ」、最後にアレレと恩赦の馬が走ってくるといった手も。 (もっとも新婚ホヤホヤ、厳しい現実などまだまだか。仮想しろという方が無理よね。) |
| 美少年探検隊 ウフフのフ | 美チュ−ネンといきましょうよ―― でも実験的な試み、多かったわね―― |
| やっぱり―― |