写真撮影: 面高真琴
大阪芸術創造館
むこうみずな鳥が飛び立った大空は?
  ―劇団創立15年「南船北馬一団」―
    

中野薊花
 舞台は高校時代のヴォランテイア仲間が7人、15年ぶりに再会するという設定。手紙で呼び出したのは誰か、ちょっと推理劇めいた展開もなくはなかったが、作者の主たる関心はそこにはない。一人、二人と集まってくる彼らは、ある者はフリーターとエリートサラリーマンとわざと入れ替っていたり、自閉症の兄のふりして出席した弟であったり、かつてはいちばん自立していた女性が今は夫の家庭内暴力から逃げてきたのであったり、社長夫人と言うが、どうもそうでもないらしい女性であったり、六本木でバーを経営していると誇りやかであった女性が実は大阪のバーで働いているにすぎなかったり……言葉や見かけとその人の実際とは必ずしも同じではない、ということにまず関心があったようである。
 バーを経営していると言っていた女性がみんなを呼び出したのは、どうやら、最初にロビーにやってきた女性――作者の分身か?それとも単に筆が惜しまれていただけか? いちばん印象が薄い――を咎めるためであった。あれからみんなが散り散りになってしまったアノ15年前の火事騒ぎ、私の煙草のせいだと言いふらしたのは、あのとき紙ヒコーキを飛ばしていたあなたでしょう、と。
 しかしその真相は二人の記憶がすれちがっていたりして最後まではっきりせず、火事はほんとにあったかどうか、ほんのボヤ騒ぎに過ぎなかったかも……といった方向に進んでいくので、当時の真相を究明することが目的でなかったことは確かだ。人の記憶というものがいかにあやふやなものか、作者の第二の関心はここにあったように思われる。
久しぶりに会った仲間が互いの顔や名前が不確かであったり、とりちがえたり、名前がさっき紹介したのと違うと訂正されて実は知っていたと告白したり、姓名に関するやりとりがかなりあったのも、この推測を補強する。
 これに、なぜ兄は自閉症になってしまったか、弟が社長夫人を咎めるところで、言った言葉が当人にそのつもりはなくともいかに人を傷つけることがあるかということや、仲間がボールを投げ合いながら昔の活動について会話を交わすところで、同じ声の、言葉とは異なる内心がリフレインしたりして、言葉は必ずしも本心を伝えるものではないということが描きこまれていた。言葉の機能に対する疑い――作者の第三の関心であったろう。  力作であった。7人に、自分たちのかつての活動を懐かしむ様子はほとんどないが、その活動は人形劇を持って老人ホームを慰問したりの無償ボランティアであったし、集まったそのロビーのようなスペースの、頭上にはホールがあるし両サイドのブースには芝居のチラシがいっぱい貼ってあるし、彼らに作者の、かつて演劇活動を共にした人々が仮託されていた――ことは、ほぼ間違いない。南船北馬一団を立ち上げて15年。棚瀬美幸の胸中には、かつていっしょに活動し、今は散り散りになってしまった仲間たちの顔、一人ひとりとの関わり、交わした言葉、あった出来事、それらを想い出さずにはいられない自分自身……さまざまな想いが去来したにちがいない。「むこうみずなとり」は、無謀にも飛び立ってしまった彼女自身のことだったといえよう。
 そうして劇は、火災報知機の突如大きな警告音で終わる。
15年前に鳴って仲間が去って行った、あの不吉なベルが、である。凍りつく不安は今の棚瀬だろうか、南船北馬一団だろうか。
 向こう見ずな鳥が飛び立った空を示すのか、装置は丸い敷物丸テーブルに円柱、カーブを描く梁、○にこだわって隅々まで神経がよく行き届いていたし、演出は、俳優達にそれぞれ違った色のボールを持たせ、投げ合って会話させたり、会話の最中、言葉とは違う想いが脳裏をよぎったときはその一瞬、鋭い音とともにライトを白閃させたり、単なる台詞劇には決してしない、演劇として立ち上げる ! といった強い気迫に充ちていた。役者もみんな声良く、粒の揃った好演である。
 が、にもかかわらず、見終わって何かが物足りなかった。作者の、記憶に対する想い、言葉に対する想い、かつてともに仕事をした仲間に対する想い、そのどれ一つに嘘はないのに、である。
 あるいは作者の三つの関心、そのどれひとつをとっても一つの作品になるほど大きなテーマであったものが、どこに収斂することなく、並置されたままに終わったから、ではないか――と今は思っている。人間ひとりをちゃんと描くのもなかなか難しい技。それが7人もである。それぞれの痛みが一人ひとりを見るとまだまだかいなでだった、ということとも関係していたかも知れない。
 静かな劇のふりしたメタシアター、大歓迎である。自分がもっとも表現せずにいられぬものは何だったか、焦点をぎゅっと絞っての加筆を期待したい。今回は、言葉に疑いを持ちながら結局言葉に頼らざるを得なかったが、この矛盾を将来、棚瀬はどのように止揚克服していくのかも楽しみである。         
(なかののあざみ/演劇評論・AIC会員 2003.11.30)