<鍋島松涛さん> 裸伝Q(「ほどけないヒモ」 9月2日-5日)

「惑いや悩みを抱えて花見に集う 内的体験をモチーフにして作品へ」

鍋島松涛さん
【なべしま・しょうとう】
1970年8月、東京都生まれ。和光大芸術科卒。陶芸会社を経て26歳で初舞台。「裸伝Q」主宰、作・演出。劇団名はアジアの裸電球のイメージと魯迅の「阿Q正伝」をかけているという。2002年2月旗揚げ公演「暗礁」。今回が第6回公演。

−味わいのある公演チラシですね。鍋島さんが描いたのですか。
鍋島 大学では油絵専攻でしたが、描けない状態が続いて、そのスランプから抜け出す前に絵の世界から離れてしまいました。同期の人と付き合いがあって、その人にいつもチラシの絵を描いてもらっています。

−絵の雰囲気が舞台の心象風景とつながっているのでしょうか。
鍋島 今回の公演は、春の花見の時季なので、何となく華やかな背景ですが、チラシの絵とリンクするようにはなっていません。独立して絵の良さを出してもらっています。評判はいいですね。

−今度の作品「ほどけないヒモ」は倒産した会社の元社員が集まるお話ですね。倒産体験があるんですか。
鍋島 学生時代、ディスプレーの会社でアルバイトして、しばらく遠ざかっていたら会社が倒産、あとはお弁当屋さんになっていた。そういう寂しい思い出があったので、そんな風景を思い浮かべながら書きました。

−登場人物は5人。営業、事務、配送、設計などさまざまな部署の人たちですね。
鍋島 集まった元社員たちは特に深い付き合いがあったわけではなくて、倒産という事態でバタバタと分かれたので、花見がてら近況を話そうとして集まる、という設定です。

−話の中心になるのは、元設計部の男性と恋人とのやりとりでしょうか。
鍋島 恋人同士のやりとりというよりも、ぼくの中では、事務員だった女性(新谷)の方がメーンです。ぼくもそうなんですが、特に深い挫折もなければ栄光があるわけでもなく、でもそうだからといって問題のある生き方をしているかというと、それも違う。おおかたの人はそうなんではないでしょうか。でも仕事で忙しく暮らして追いやられているだけで、自分を深く振り返る時間が持てなかったからなんとか過ごせている。だからいざ仕事がなくなって、自分のことを考え始めたとき、それまで職場で働いてきて得たものは何だろうかとか、ひたむきに取り組んだものはあるのだろうとか気付かされる。他人に語れるほどのことがないな、と気付いてしまう。独りになると、そんな感情が襲ってきて落ち込んだりします。そういう体験があったものですから、同じような悩みを抱えた人物に投影されているかもしれません。

−なるほど。これまでの作品も鍋島さんの内的な体験がずっとモチーフになっているんですか。いつころから演劇の道に入ったんでしょうか。
鍋島 この世界に入るのが遅かった。たいていは高校時代に演劇活動をスタートして、20歳代半ばで遠ざかる人も少なくないんですが、ぼくの場合そのころは絵描きを志して挫折した時期に当たります。しかし認められたいとかほめられたいということではなく、自分で何か、何かできないかと思っていました。当時(仲代達也の)無名塾のオーディションがあり、年齢制限が26歳でした。芝居を始める最後の歳なら、そしてこれから生きる上できっかけになるなら、芝居をしてみようか、そう思いました。そのオーディションは落ちたんですが、まもなくある小さな劇団に出させてもらった。それからずっと続いています。

−すぐに劇団を旗揚げしたのですか。
鍋島 ある時ビデオで岩松了さんの作品を見たとき、こんな自然な日常劇をやってみたいと思った。竹中直人さん、桃井かおりさんらが出演した「月光のつつしみ」です。やるんだったら自分で本を書いて、自分で演出してみたい。そう思って始めました。それが2年前、31歳のときです。自分で思っていることを整理しながら書いるので、壮大なスケールとかじゃあないですね。

−内面を表現する手段はいろいろありますね。詩や小説もそうだし、音楽もある。その中でやはり、劇作・演劇が自分の気持ちを表現するのにぴったりだということですか。どうして演劇だったのでしょう。
鍋島 目の前にお客さんがいる。公演中は客席の後ろでみているんですが、お客さんがどういう気持ち、どういう姿勢でみているかが気になるし、リアルに伝わってくる。ぼくの描く世界と合わないお客さんは、後ろで見ていて分かりますね。逆に興味を持って持っている方も分かります。反応がリアルなんです。芝居をやって良かったと思える瞬間ですね。

−芝居は日常生活とどうつながりますか。
鍋島 アルバイトをしながら稼いだお金はほとんど芝居につぎ込んでいるんですが、芝居をしているからアルバイトをないがしろにしていいかというと、それは違うと思います。仕事はきちんとすれば評価されますよね。そういう日常の小さなハードルを乗り越えないと、芝居というハードルを越えることも難しいのではないでしょうか。逆に芝居をやっているから、日常のアルバイトもできる。だから芝居で長期の休みも取らせてもらえる。芝居も仕事も一生懸命できるのはいいことだと思います。

−出演者は?
鍋島 裸伝Qは団員制を取っていませんで、ぼくの本ができたら役者さんに声を掛けて集まってもらう(プロデュース)形式です。

−演出ではどんなことを考えていますか。
鍋島 書きながら自分なりのイメージはありますが、本読みの段階で、役者さんのイメージとはだいぶ違うことがある。そのときはお互いのイメージを出し合って共同作業で舞台を創っていきたいと思っています。役者さんにのびのび演じてもらって、ぼくのイメージを、いい意味で裏切るようなものがあれば、取り入れたい。そういうバランスですね。

−公演が終わったらアジア旅行に出かけるとか。
鍋島 ええ。ラオスに10日間。芝居を始めるまではよく、出かけてました。ベトナム、カンボジア、タイ、ラオス、ミャンマー…。ヨーロッパも行ってますが、フィリピンやインドネシアは行ってません。
−東南アジアが多いですね。
鍋島 顔付きが似ているのに、生活様式も考え方もものすごく違うところがおもしろい。日本の昭和30−40年代、ちょうど高度成長期に当たるんでしょうか。特に裕福ではないけれど人と人とのつながりがあり、未来があって楽しく生きているような面が東南アジアの国々には見えるような気がします。インドには2回行きましたが、顔付きもだいぶ違います。ぼくはインドに負けたタイプ、打ちのめされた方です。

−アジアには自分の居場所があるという感じや雰囲気が残っているんでしょうか。旅行体験は今度の作品の登場人物が抱える葛藤とつながりますか。
鍋島 ええ。昔だと1カ月、2カ月といられた。何をするわけでもなく、貧しい国の中でお金を持ったぼくはぶらぶらしているんですが、土地の人は朝からみんな働いている。そういうとき、自分は何をやっているんだろうか、これでいいのだろうかと思ったことがあります。どこにいても、どこに行っても、そういう惑いや悩みを抱えていました。そういう意味でつながっていると思います。
(7月29日 東京・西荻南区民集会所)

<ひとこと>  人数の少ない劇団は主宰者が作演出を兼ねることが多いようです。だから周りも本人も、舞台はその人の表現手段と考えがちでした。今回鍋島さんの話を聞きながら、芝居表現がコミュニケーション機能を果たしてるかもしれないと気付きました。作・演出者、役者、そして観客らが一瞬、舞台を挟んで往還する−。そんな考えがリアルに思えるからこそ、芝居に魅せられ、引き込まれるのかもしれません。
(インタビュー・構成 北嶋孝@ノースアイランド舎)

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