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−先ほど野外劇場と小劇場の2本立てとおっしゃってましたが、春の小劇場、秋の野外劇場公演にそれぞれ別の役割を持たせているのでしょうか。
武田 野外劇といっても、われわれはせりふ芝居なんですよ。でね、せりふ芝居の基本は小劇場なんです。小劇場できっちりとした演技ができなければ、大きなところでもできない。ぼくらの野外劇は天井がありませんから、かならず拡散する。だからきちんとしたドラマを作らんとあかんのです。野外劇には普通は、ドラマがあるようでないんです。もともとアバンギャルドで始まってますから。でもぼくがやりたいのは、商業演劇に負けないぐらいの芝居、きちっとしたドラマを野外で作り上げたいと思ってましてね。だから野外では、劇場じゃ絶対でき得ないようなセットを造ってやる。だけど密度の濃い小劇場をそのまま野外に持って行けないので、もう少し拡大した感じでいければいいと思います。野外でもちゃんとしたストーリーのある、人と人との、心の機微が出てくるような芝居になるんじゃないですか。野外劇だからって言って、バーンと張りまくるような芝居だけではないんじゃないか。というのはここ20年来のテーマなんですよ。うん、野外でもせりふのある、ストーリー性のある芝居ができうる。せりふが拡散するからと言って張るような動きじゃなくて、訓練でせりふは通るだろうし、絶対いける。ここ何年間か実験続けてるんですわ。だから小劇場での芝居も必要なんです。

−演技上の問題、技量の領域の問題として語っているわけですか。
武田 野外でやると割りに演技がオーバーになる。でもね、そうじゃなくて、手をこう挙げただけで意味を持たせる小劇場の緻密さと、野外でのオーバーなアクションをどう融合さしていくか。これは絶対必要ですね。不可能だといわれているけど、野外劇でブレヒトやテネシー・ウイリアムズはできると思ってるんですわ。まだみな、やってないだけ。絶対できると思ってます。

−30年前に始めたときからのスタイルですか。
武田 いやあ、当初はアバンギャルドでした(笑)。学生時代にもろ、洗礼受けたんですわ。それまではテネシー・ウイリアムズぐらいしか知らんかったし、やってなかった。なんの躊躇もなくグワーッと行って、目の前からみんな飛んでもうて、そんでアバンギャルド、アングラの世界に食らいついて行った(笑)。けど、やっているうちに限界感じたんですよ。役者がいっこうにうまくならない。役者の体が去年と同じ立ち方をする。これ、ちょっとおかしいちゃうか、という疑問が出てきて、じゃあストーリーのある芝居をいっぺんやってみようかと小劇場で一度やらしてみた。そのかわりすっぴんの舞台でやり始めた。そっからですね。野外でも絶対できうるんじゃないか。ストーリーある方がぼくはおもしろいんじゃないか。そう思いました。

−両建て公演を始めたのがホームページでは「近年」とありましたが、いつころからですか。
武田 それはね、15年ぐらい前だったかなあ。ハッハッハッハ。まあ30年この道やってますから、10年ぐらいはあっという間ですなあ(笑)。そうかあ、いま20歳の15年前ゆうたら5歳か(笑)。

−野外劇と小劇場公演とはテーマを別にしたり、分けて考えているのですか。
武田 書き分けてます。野外劇の場合はどうしてもお客さんに楽しんでもらうエンターテインメント中心になって、敵討ちの話とか捕物帖なんかをやってます。ストーリーを単純化していかんと野外劇はなかなか難しい。野外は風の中でやる、雨も降るでしょう。だからせりふの5分の1は風で消えると思った方がいい。雨の音で3分の1は聞こえない。だからちょっとせりふが聞こえなくても次のせりふを聞けば、だいたい芝居の流れはつかめる作りしてます。
  でも室内の小劇場でやる場合は結構緻密ですね。密度が濃い。ひとことひとことがつながってたり。芸人さん、絵描きさんなんかを取り上げてます。書き分けてますね。その人らの貧困と苦悩の話なんですけどね。そういう意味で、小劇場はばかにできないし、すごい世界やと思うんです。いちばん難しい世界やと思いますよ。
  というのもね、名前が名前なんで野外劇しかできなかったんですよ。旗揚げは幼稚園のグランドだった(笑)。大学の先輩が幼稚園の経営者だったんで頼み込んで使わしてもらった。

−大学はどちらですか。
武田 関大です。学内の演劇サークルは7つぐらいあった。そのころ盛んだったんです。
−卒業されたんですか。
武田 いや、横に…(笑)。ほら、あのころってストライキに関わりを持たざるを得なくて(笑)。ストライキが終わったゆうても、もう授業に行く習慣がなくなってる(笑)。

−お生まれは?
武田 大阪です。西成区天下茶屋ゆうて、釜ヶ崎の隣町です。高校のときは、卒業してすぐ海上保安庁に行くつもりだった。柔道部だったんですよ。ある時、剣道部の友達と一緒に映画見に行った。「若大将」シリーズ4本立て(笑)。そうか、大学にはあんな美人がいっぱいおるんかあ、ええなあ(笑)。もう目の前バラ色(笑)。映画館から出てきて、もうすっかりその気になった。2人で顔見合わせて「これから受験勉強しよか」(笑)。という風に、わたしは人生あまり深く考えない(笑)。
  けど、これから大変な時代になって行くと思うんです。民族主義とは何かという問題が大きく出てくると思う。民族とは何か。アイデンティティーの闘いだと思う。手っ取り早いのは天皇を担ぎ出すことやろうけど、もうそれはないやろう。右翼言っても、もう天皇制右翼と違いますから。
  民族は右翼の専売特許じゃあない。こっちはどうか。これから10年間、その闘いだと思う。いちばんの分かれ目は、戦争が終わってからの10年をどうとらえるかということやと思うんです。国の形がどうできてはる、戦後民主主義はどうできあがったか。ここをいま右翼は焦点に持っていこうとしよるんで、ここをきっちり踏まえんと、戦後の60年間をひっくり返されるんじゃないか。そんな危惧がごっつうあるんです。
  だからあえて、笹川とか、右翼を芝居で取り上げてやろうかと思っているんですよ。笹川はおもしろいですよ。ロマンチストでもありますが、お金に関してはリアリスト。株屋ですからね。川端康成と遠い親戚のようです。目玉がぎょろっとしたところなんかよう似てるでしょう。茨木市と箕面市出身で、2人とも旧庄屋の生まれですね。
  こんな難しいことを難しいまんまやっててもしょうないんで、これをエンターテインメント、純愛物語ににまとめ上げるのが私の仕事です。30年間やってきましたからね(笑)。
  それとね、来年やろうとしてるのは、よど号なんですよ。よど号の連中が北朝鮮に行って、いかにして日本人を拉致していったか。その辺が不思議なんですよ。友達とも随分議論しましたが、やはり正しいか正しくないかという尺度をもたなあかん。それはね、右も左も関係なし。間違っていることは間違っている。関係ない人を巻き込んでいくのは許せない。戦争だったとしても、一般市民を殺してええかということになるでしょう。なにが間違っているのかを説明するのが芝居やと思ってるんです。いやいや、つたないお話をエライ長いこと話してしもたなあ。
  −いえいえ、貴重かつ楽しいお話を聞かせてもらいました。ありがとうございました。
(2005年5月24日、新宿・タイニイアリス劇場楽屋)

ひとこと> 公演直前のインタビュー。2ページ仕立て。形は異色ずくめでしたが、ご覧の通り中身は、超重量級のボディブローと軽やかなフットワーク、それに射程の長い視線で一貫しています。野外劇場/小劇場の重層構造で時代に真っ向から立ち向かう、この劇団の戦略と心意気が、笑いに同期しながら響いてきました。それにしても、劇団名が 「宝塚」 に関係していたとは!驚きの発見でした。(インタビュー・構成 北嶋孝@ノースアイランド舎)

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