<栗原崇浩さん>自己批判ショー 「客少な続けて十周年」(6月9日-12日)
「軽演劇の継承めざすコント集団に 歌とレビュー交えて再構築」
山田能龍さん(左)と後藤隆征さん
【くりはら・たかひろ】
1972年6月、茨城県古河市生まれ。地元の劇団に2年。仲間だった高校時代の同級生と一緒に95年に劇団結成。作・演出担当の代表。第12回ガーディアンガーデン演劇フェスティバル出場(2003年)。
Webサイト:http://www.zico-hihan.com

−劇団はいつ結成されたのですか。
栗原 10年前です。その年の8月に池袋のシアターグリーンで旗揚げ公演を開きました。
−当時からコント中心だったんですか。
栗原 はい、いまと同じ。変わらないですね。
−どんな方々と始めたのでしょう。
栗原 地元(茨城県古河市)は結構演劇が盛んで、最初は友達に誘われて地元の劇団に入って、やがてそこを一緒に抜けた仲間と2人で始めました。それが自己批判ショーです。一緒に始めた仲間は同級生だったんですけど、かれは間もなく辞めちゃったんで、当時からのメンバーはぼくだけです。いま役者5人スタッフ2人の7人組です。
−男女比は?
栗原 全員男です。
−珍しいですね。
栗原 よくそう言われます。ぼくがいま32歳で最年長、いちばん年下が24歳です。東京に住んでいるのが1人いますが、あとは全員地元出身で古河在住ですね。
−コント集団と聞いてますが、どんなステージなんでしょうか。
栗原 軽演劇を継承していこうと言ってるんです。戦前のエノケン、古川ロッパ(緑波)らから始まって、雲の上の団五郎一座などのアチャラカ喜劇の系譜ですね。新宿にあったムーランルージュのような動きを受け継げればいいなあと思います。
−どんな舞台ですか。
栗原 喜劇的なコントです。あと歌とレビューのようなものを現代風に再構築しようとしています。
−現代風というのは、取り上げる題材、内容だけでなく、音楽も今風になるんですか。ビートがきいたり…。
栗原 そうですね。コントにはいろんなが流れがありますが、山上たつひこ以降の、不条理マンガの笑いを経由したコントをやろうと思っています。
−山上たつひこですか。
栗原 親父が好きだったんですよ(笑)。それでぼくも子供のころ読んでいた。いまになって山上たつひこはすごいと思います。
−山上さんは作風が随分変わっていると思います。いつころの作品に興味をお持ちなんですか。
栗原 SFものを書いていた時期もあるし、喜劇新思想体系とかも…。でも、いちばん読んでいたのはやはり「がきデカ」ですね。ぼくらのコントには下ネタも入っているんで、その辺に影響が残っているかもしれません。
−でもいまは、下ネタでは観客は驚かないでしょう。
栗原 そうですね。舞台で全裸になったりする人たちもいますから(笑)。でもぼくらが全裸になったら、その先何で笑わせたらいいか分からなるので我慢しているというか、耐えてるんですけど(笑)。

−今年で10周年ですね。今回の公演はどういう内容になりますか。
栗原 前回公演は「まんが古河の歴史」でした。地元の歴史をストーリー仕立てにしたものと言うか、一本の筋がありました。今回はそれを少し緩めて、レビュー的な感じにしようかと思っています。
−古河の名所旧跡が出てくるんですか。
栗原 はい。古河は城下町なんで、江戸中期から現代までの古河の歴史を扱いました。取り上げた土井利位(としつら)というお殿様は雪の結晶を日本で最初に研究したんですって。雪の結晶が着物の染め柄になり、大炊模様といって流行ったそうです。いろいろ調べたんですよ(笑)。この通りにはなりませんが、10周年なので、これまでの集大成的な中身になると思います。
−選りすぐったネタ…。
栗原 過去のネタをやってもいいのですが、半年に1回の公演で同じネタを出したんじゃあ、お客さんが「何だ」ということになりますから(笑)。ホントは何度かやりたいネタもあるんですけど。今回はあのときあんなネタをやったなあと振り返る形になると思います。あとは新作です。
−コントは栗原さんが書くんですか。
栗原 ええ、コント部分はぼくが書きます。
−半年に1回、それを10年間書き続けるのは大変な作業じゃないですか。
栗原 多分、(やれといっても)できないでしょうね。先人も長い間やっていると段々できなくなってるようですから、不可能なことをやってきたんじゃないかと、最近気付きましたね。1公演でアイデアが最低50個ぐらい。過去にやられたものや、似たものがあったりしますのでね。それでいま、その辺を考えているんですよ。過去のネタも入れながらするのか、それとも半年に1回のペースを変えていくのか。根本的な点ですね。
−コントはいまの時代から染み出してくるものに焦点を当てたりするから、単純に過去ネタのおもしろいものををやればいいというわけでもないですよね。
栗原 そうですね。ぼくもいま32歳、今年33歳になるし(笑)あと何年できるか不安はありますよ。
−ロックミュージックの世界では、10代から始めていま50歳、60歳代のミュージシャンやグループがいくらでもいますから、まだまだでしょう。ミック・ジャガーなんか60歳超えてますから。
栗原 すごいですよね。そういう例をみていると、勇気づけられます。あんな感じにはなかなかなれないんですけど。
−頭髪が薄くなったり白くなったり…。
栗原 ぼくは絶対薄くなるタチですよ(笑)。
−公演のタイトルが「客少な続けて十周年」と謙遜されてますね。
栗原 謙遜じゃあないんですよ(笑)。いまはそうでもないですけど、最初の2、3 年は1ステージに20人、30人というときもありました。自己批判ショーにはテーマ曲があるんですが、その歌詞には「客が少ない」って入ってるんです。この数年、最後に歌ってます。
−地元の劇団というと、方言やなまりが出るんですか。
栗原 古河はあまりなまりがないんです。茨城弁でもない。ほとんど東京生まれの人たちと違わないと思います。
−学生生活は?
栗原 大学生が1人いますが、あとは高校か専門学校卒なので、いわゆる大学の学生劇団とは縁がありません。
−演劇祭に参加してますか。
栗原 ええ、実はぼくらは、ガーディアンガーデン演劇フェスティバル出身なんです。そんなに宣伝してないから知られてないかもしれませんけど、第12回(2003年)のフェスティバルに応募して、ニブロールなどと一緒に(2次審査を通って)出場しました。そこでぼくらは観客の最低動員数を更新しました(笑)。いまだに破られてないと思います(笑)。公開審査の経過や自己批判ショーの(プレゼンテーション用)ビデオはサイトに残っていて、まだみられますよ。

−これからの活動は?
栗原 新作を作っていくことに変わりはありませんが、公演の間隔は検討する時期かもしれません。ただ半年に 1 回公演する小劇団のペースにも意味があると思っているので、この公演が終わってからどんな方法があるかよく考えたいと思います。小劇団であることにはこだわっていきたいと思うんです。軽演劇は本来、小劇団に形を変えるのではないか。もしムーランルージュがいまの時代に残っていたとしたら、小劇団になっているのではないか。そういう気がします。そういう意味で本当の小劇団、小演劇でありたいと考えています。
(2005年5月10日、新宿・タイニイアリス楽屋)

ひとこと>ひとの話に耳を傾け、発言も丁寧。気さくな人柄とあいまって、地元の仲間と10年間活動してきたリーダーの資質を感じるインタビューでした。テレビなどへの進出も否定しないけれど、あくまで小劇団ペースで進みたいという栗原さん。マスメディアの進出が小劇場からの「セミ・リタイア」になりがちな昨今、「小」のよさを生かしながら現代「軽演劇」の推進役になってほしいと思います。(インタビュー・構成 北嶋孝@ノースアイランド舎)

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