<高木登さん>机上風景「複雑な愛の記録」(6月14日-19日)
「歪んだり病んだりして交錯する 笑いの少ない"シリアス・エンターテインメント"」
山田能龍さん(左)と後藤隆征さん
【たかぎ・のぼる】 1968年7月東京都生まれ。放送大学卒。バイト先で出会ったメンバーの縁で旗揚げから座付き作家に。劇団「机上風景」の命名者。「リアルな演技、シリアスなエンタテインメント」を標榜。今回の「複雑な愛の記録」が第11回公演。劇団Webサイトにこれまでの公演台本が掲載されている。
−今回の公演はどんな内容になるのでしょうか。
高木 タイトルは「複雑な愛の記録」です。あるアパートの2階が舞台になります。そこに住んでいる女の子と、隣の部屋に出入りしている男が、一度も顔を合わせないままに、ちょっとした恋愛関係になる。そんなお話です。

−前回公演「昆虫系」は、埼玉県の保険金殺人事件を題材にしていました。今回も現実の事件が下敷きになっているのでしょうか。
高木 今回はそういう事件はありません。ある中年男女が自分のきょうだいを殺害して、殺したひとの子供にその手伝いをさせたという壮絶な事件があって、裁判になっています。あまりにすごいので書けたらいいなあと考えましたが、実際に書いているうちにだんだんかけ離れてきて、普通にシンプルなお話になりました。

−差し支えなければ、もう少し設定をお話しいただけませんか。
高木 アパートにある夫婦が住んでいるんですが、夫の妹の飼い猫を、妻が車でひき殺してしまう。それで妹が恨んで乗り込んできて、いま同居している。その妹には、彼女を好きな年下の男がいて出入りしている。その隣室に独りで住んでいる女性が「ある事情」から隣室の出来事をのぞいてしまっていて……そういう設定です。

−全体がリアルなトーンで進むのでしょうか。それともホラーっぽくなるのでしょうか。
高木 前作は途中で死んでしまう男の怨霊によって、登場人物ほぼ全員死亡ということになったのではないかという含みを残した結末でした。今回もちょっと超現実的な要素が入ります。好きなんでしょうね(笑)。

−タイトルとどのように結びつきますか。
高木 「ラブストーリー」という看板に偽りなし、「複雑な愛の記録」というタイトルにも偽りなし。悲劇的な結末かハッピーエンドかは見てのお楽しみ、というところでしょうか。

−うーん、楽しみですね。ところで前回に引き続き高木さんが台本を担当しています。これまでは演出を担当しながら舞台にも立つ劇団主宰者の古川大輔さんと交互に作品を書いていたと思います。特別の事情があったのでしょうか。
高木 これまでは確かに交互に書いてました。普通の小劇場(劇団)は作・演出がほぼ固定していて、そのカラーが劇団の個性を決めていた。しかしウチは古川たちが役者で、ともかく芝居をやりたいという意図で始まった。どんな台本が来ても演じるんだという役者集団なんです。小劇場というより、「小新劇」って言ってもいいかもしれない(笑)。そういうスタンスです。今回も本当は古川が書くはずだったんですが、彼がしばらく役者に専念したいと言い出したので、急遽登板と相成りました(笑)。当面はぼくがひとりで台本を書くことになりそうです。

−もともと劇団昴出身の方々が中心になって旗揚げしたと聞きましたが。
高木 劇団昴の付属演劇学校で同窓だった古川大輔、磯貝鋼介(2003年退団)、川口華那穂を中心として旗揚げしました。古川はある養成所の講師をしていたので、そこの生徒だった平山(寛人)たちに声をかけ、ぼくは川口とバイト先(書店)が一緒で、書いた台本を読んでもらったりしていた。古川もぼくの作品を読んでいて、舞台用に書いてみないかと言われて書き上げたのが、旗揚げ公演の作品「魔窟」です。1999年ですね。

−高木さんと古川さんの作風はだいたい似たトーンなんですか。
高木 違いますね。古川の作品はもっとウェルメイドです。よく藤子不二雄のAとFに例えられるんです(笑)。古川が(「ドラえもん」などの作者)F、ぼくが(「笑ゥせぇるすまん」などを書いた)A(笑)。もっと言うと、古川の作品は後味のよい芝居で、ぼくの作品は後味が悪い(笑)。

−宛書きはよくするんですか。
高木 一応宛書きするんですが、古川にしても川口にしても平山にしても、前回と違う役柄を演じることに命を賭けてるんで、たいがいぼくが宛てたのとは違う役をやってしまう(笑)。特に前回(「昆虫系」)なんて、八割方ぼくが想定した通りの配役ではないんです。それはそれで、こっちもおもしろいんですけどね。

−高木さんの演劇体験は?
高木 ここが初めてです。芝居は見てましたけど、もともと映像を志していて、放送大学を卒業して就職したんですが、全然勤まらなくて(笑)元いたアルバイト先に戻って、これからどうしようか考えて、「やっぱ脚本でもやるしかねえな」と思って書き始めました(笑)。映像のシナリオも書いています。ホラーとかSFとか、いわゆるジャンル系が多いですね。

−映像と舞台でどんな点が違いますか。共通することがあるとしたら何でしょう。
高木 映像の方は、はじめはまるで自分の資質に合わない仕事ばかりをふられて嫌気がさしてたんですが、最近やっと思うような仕事が来るようになりました。それがようするにホラーやSFばかりで、共通してるのはそこかな(笑)。でも仕事の進め方は違います。映像の方はプロットという「絵」が見えるような筋書きを提出して、それをみんなで揉んで、シナリオにしてさらにみんなで揉んで、というプロセスとたどります。芝居の台本はとにかく、書く。自分でどんなストーリーになるか分からなくて書くこともあります。

−着地点を決めないんですか?
高木 自分でもどうなるか、書いてみないと分からない(笑)。そこが魅力なんですかね。映像の仕事で不満なのは、あらかじめ決めた通りになってしまう、どういうものになるか自分で分かってしまっていること。芝居は自分でも、どうなるか分からない。大まかには決めてるんですけど、その通りになったことがない(笑)。

−高木さんの作品は社会の底辺というか片隅に、心ならずも存在しまった人たちのうごめきを定着させようとしているケースが多いのでしょうか。前作は確かにそういう印象を受けましたが。
高木 それは一貫してますね。最初の作品「魔窟」はオウム真理教を思わせるある団体が崩壊するまでの話です。次の「堕天使の群れ」(第4回公演)は学校嫌いの女の子の話、「陰謀の基礎」(第6回公演)は箱に女性を詰めてデリバリーする人間たちの話です。そのあとの「サクリレギア」(第8回公演)もある現実の事件にインスパイアーされて書きました。

−動き回って笑わせて、青春の汗と感動の物語を作ったり(笑)、食卓やソファーのある風景の中でじっくり会話を積み重ねたり、といった小劇場の流れとはかなり異質という印象を受けます。前回の公演をみただけですが、ある種、異様にそびえ立っているといっていいかもしれませんね。周囲でよく見かけるスタイルに違和感があるのでしょうか、それとも…。
高木 それぞれおもしろいと思います。平田オリザさんの著書も随分読んで少なからず影響を受けています。三谷(幸喜)さん(の作品)も好きですね。ただウチの役者たちは、いまの小劇場でよく見かける演技にやや違和感を持つらしい。平田さんたちは違いますが、前を向き目をむいて叫ぶというスタイル(笑)や、「かたち」から入っていく演技。なら新劇の芝居がいいかというと、これもまたちょっと違うらしい。「私たちがやりたい芝居とは違う。もっとリアルな『感情』が息づく演技がしたい」と言うんですね。そういう志を持っているようです。

−高木さんご自身はどうですか。
高木 いまは喜劇が圧倒的に多いですよね。でも演劇は喜劇ばかりじゃないだろうという気持ちがあって、それであえてシリアスな芝居、ハードな作品を書いているんです。というのは、「堕天使の群れ」(第4回公演)を上演したときに、全然笑えるようなところじゃない場面でお客が笑っていた。失笑とも違うんです。そのとき客席の雰囲気は、演劇はお客を笑わせるためにあって、役者たちが笑わせようとしている(らしい)、だから笑ってやってる、といわんばかりの笑いだった。これはちょっとまずいんじゃないかと思いましたね。
−野田さんの芝居(「赤鬼」)でもそんな光景を見たことがあります。お客さんが野田さんの一挙手一投足を追いながら、笑おうと待ちかまえている様子がありありなんです。ただ野田さんのすごいところは、ちゃんと笑わせて、考えさせて、そのうえしっかり感動させて劇場から送り出すところなんですよ(笑)。
高木 ぼくの作品は笑いが少ない、まったく笑いのない芝居もありますね。最近は、ユーモア程度、ほほえむぐらいはいいかなあと思ってますけど。

−今度の作品はどんな狙いを持っているんでしょうか。
高木 今回は「恋愛って何んぞや」ということについて考えたかった。いままでやったことがなかったので、自分にハードルを課してみたんです。登場人物はみな、誰かのことを好きになっている。それが歪んだり病んだり間違っていたりして交錯するところをお見せできればいいかなあと。ですから、台本も(5月)13日の金曜日にやっとできたりして(笑)。
(2005年5月25日、新宿の喫茶店)

ひとこと>劇団主宰者古川大輔さんの都合がわるいということで、座付き作家の高木登さんと話すことになりました。演劇集団の生理と作家の志がブレンドされた劇団なのではないでしょうか。出だしから最後の着地点まで、みごとな語りに導かれたひとときでした。(インタビュー・構成 北嶋孝@ノースアイランド舎)

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