<久保亜津子さん> 向陽舎『燈臺』(7月2日-5日)
「書かれていない部分を埋めていく 三島作品上演のオリジナリティー」
山田能龍さん(左)と後藤隆征さん
【くぼ・あつこ】  早稲田大学第一文学部卒。文学座演劇研究所出身。1980年、文学座公演「雁の寺」で初舞台。81年演劇同人「フルーツジャム」に参加。「夏の夜の夢」「らぶTOKYO」などに主演。91年よりフリー。96年、日向企画を旗揚げ。三島由紀夫作品などの演出と出演を兼ねる。98年に向陽舎と改め、代表となる。2002年、三島由紀夫「近代能楽集」全8作品の上演を達成。全作品を演出、また出演する。今回の「燈臺」が第11回公演。Webサイト:http://koyosha77.hp.infoseek.co.jp/

―劇団名の由来は。
久保 はじめは「日向企画」といっておりましたが、第3回公演から私が代表になり、名称も「向陽舎」と改めました。由来になった「日向と影」という言葉ですが、『天人五衰』の最後に、本多が死を前にしてお寺に行きますよね。その時に、聡子という若く美しかった『春の雪』のヒロインが、もう九十近い老婆になっているんですけれども、若いときの顔と老婆の顔は日向と影ほどの差しかないと言う。それが印象としてあって、他の小説はもちろん、『葵上』をはじめ戯曲にもこの「日向と影」が多く出てきます。自分たちはこういうことをやっているという意識を表しているんです。向陽舎はちゃんとした劇団ではなくて、その都度いい人がいたらお願いする形をとっています。今回も1人オーディションで来てもらったんですけれども、以前は自分で探していたんです。よそのワークショップなんかにも出かけていって、これはという人に声をかけたり。三島由紀夫を上演するには「いい男」が欠かせませんので(笑)なかなか見つからなくて苦労もしました。

―一貫して三島由紀夫を扱われていらっしゃいますが。
久保 1996年の旗揚げは『葵上』と岸田國士の『恋愛恐怖病』でした。当時は『近代能楽集』などあまり上演されていなかった。流行りではないし、自分が上演するなんておこがましいと思っていました。友人にも「何を考えているんだ」とか、ひどいこと言われたんですけれども(笑)。でも、上演してみたら割と評判が良くて、続けています。ただ、三島の戯曲は文学作品として非常に完成度が高いため、戯曲自身で閉じていると言いますか、生身の役者を受けつけないところがあるんです。それを、どうしたら芝居として成立させることができるのかということを考えまして、あの抽象的な、論理的で華麗な言葉を、現実の肉体にうつしていくという作業はすごく大変なことですので、これはちょっとやりがいがあるなと。

―三島戯曲を演出するということについてどのようにお考えでしょうか。
久保 基本的に演出は交通整理だと思っているので、1人1人の役者が一番いきるような形をつくっていきたいと思っています。ただ、戯曲に対抗するためにはいろいろな手を使わなくてはいけなくて、実際いろいろやってきました。第7回公演の『邯鄲・道成寺』で『近代能楽集』の8作品が完成したんですけれども、『邯鄲』ではホーメイのバンドの生演奏を入れたんです。アジア的な土俗な感じが欲しかったのと、戯曲にコロスや歌が入っていますので、舞台の後ろに並んでもらって、電話のベルや民衆のデモなど効果音と一緒に出してもらったんですね。また『道成寺』には大きなタンスが出てくるんですが、実物は置かず、客席をタンスの中に見立てまして、客席と舞台の境目に見えないタンスがある設定にしました。そうすると見えないタンスがだんだん見えてくる。それが非常におもしろいと三島研究をされている方が喜んでくださいました。一見変則のようなやり方ですが、実はもしかしたら一番オーソドックスなんじゃないですかと私は思っているんですけれども。最近では三島作品を上演する方も増えてきて、演出が非常に斬新なものが多いのですが、真正面からぶつかってはなかなか上演されません。こんなことを言うとおこがましいんですけれども、本当に戯曲の意味がわかっていないとそれはできない。距離をとってやるというのは手法としてありますが、真に共感というものがあって、それでやるということは、簡単なように見えて難しいんです。

―今回は『燈臺』を上演されますが、どのような作品でしょうか。
久保 今年の3月に横浜アートLIVEという演劇祭に参加したんですけれども、そのときに三島由紀夫の『聖女』と岸田國士の『驟雨』を2本立てにしました。『聖女』は昭和24年に書かれた三島の初期戯曲でして、『近代能楽集』よりも少し前になります。今回上演する『燈臺』も昭和25年に書かれた、ごく初期の作品。『聖女』もそうですが、『燈臺』もあまり上演されていないんですね。『近代能楽集』や『サド侯爵夫人』などの華麗でわかりにくい言葉に比べると、リアリズムで描かれていて、地味ではあるんですが、上演してみますと、芝居としてのおもしろさが逆に出てきて、すごく新鮮だった。『聖女』も『燈臺』も、主役の男性がだいたい24、5歳。ちょうど20歳ぐらいで戦争に行って、生きて帰ってきた人で、その心の傷が書かれているんです。三島自身は戦地に行かなかったんですが、同年代には戦争で亡くなった人が多いはず。そうした三島自身の隠れた戦争の傷が感じられるという点でも、初期の戯曲は興味深く読んでいます。

―三島作品だけでなく、並行して岸田國士も上演されていますが。
久保 三島の初期戯曲をやって感じたのですが、岸田國士の影響を受けているんじゃないかな。旗揚げ公演で並べたのはたまたまですし、実は互いに異質なものがあるんですけれども、岸田の戯曲も、やっぱり本を読むだけではわからないんです。書いていないことが沢山ある。それを埋めていくのがおもしろい。文学としての戯曲を実演するということは、書かれていない部分を埋めていくこと。まず戯曲ありき、そこから始めてきましたが、戯曲は小説と違って、読み慣れないと読みにくい。その言葉は記号、と言いますか、たとえば『サド侯爵夫人』という作品は特に数学的なもの、数式みたいものがありまして、方程式の答えを出さなくてはいけない。ひとつひとつのせりふを具体的な人間の生の肉体にうつすときには、これはどういう意味なんだろうと、いちいち答えを出していかなくてはいけないですね。それが、文学作品としての戯曲というものを「読む」ことであって、ある解釈、あるひとつの答えを提出するということが、演出なり役者なり、表現のオリジナリティーだと考えております。
(2005年5月9日、新宿・タイニイアリス楽屋)

ひとこと>三島由紀夫という本当に大きな作家に果敢に立ち向かっている久保さんの、戯曲に相対する真摯な姿勢が感じられました。岸田國士もまた然り。これからも埋もれている戯曲に陽の目を見せてくれるのではと、期待は高まります。(インタビュー・構成 後藤隆基)

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