<佐々木智広さん、松崎史也さん> Afro13 「Death of a Samurai」(9月22日-24日)
「コラージュと稽古場から作品が生まれる 海外公演を見据えた芝居づくり」
佐々木智広さんと松崎史也さん
【佐々木智広】(ささき・ともひろ 写真右) 1972年4月、京都府生まれ。立命館大卒。ゲーム会社を経て、1998年10月、Afro13 旗揚げ。主宰、作・演出。
【松崎史也】(まつざき・ふみや) 1980年3月、東京都生まれ。福岡、名古屋育ち。日大芸術学部卒。2002年、Afro13 入団。学生時代は「オーソドックスに新劇を学んでました。まさか戦ったり騎士から浮浪者になったりするとは思っていませんでした」
afro13webサイト

−Afro13 はもともと、関西のメンバーが中心ですよね。
佐々木 劇団☆新感線の中谷さとみ、タイソン大屋とぼくで結成しました。
−劇団☆新感線のメンバーと付き合いがあったんですか、それとも学生時代に一緒だったんですか。
佐々木 ぼくは中谷と同じ立命館大の、同じサークルで活動していました。
−創立時のメンバーは、もう新しいメンバーと入れ替わりになったんですか。
佐々木 中谷や大屋たちはいまでもちょくちょく出てますよ。でも、それ以外の人たちは大幅に変わりました。いまは平均年齢25歳前後が中心です。

−佐々木さんは結成当時ゲームクリエーターで、コンピューターゲームのシナリオを書いていたそうですね。
佐々木 大学を卒業した後、ゲーム会社に就職したんですが、2年ほど勤めて退社して、それからAfro13 を立ち上げました。学生時代一緒に活動していた中谷が劇団☆新感線に入っていたんですが、空いているときにスケジュールを組んで一緒にやっていこうとなったわけです。

−Afro13 という劇団名はヨーロッパのゲームに由来するのですか。
佐々木 シュールリアリスムの人たちがパリのカフェでやった遊びだそうですが、一枚の紙を切り離して文字や絵を描き、その紙片をまたつなぎ合わせて一つの文字、一つの絵にしたそうです。まったく違ったものが組み合わさって別のものが作られるといいなあと考えて生まれたのが「Afro13」です。
−ネットで検索したら、同じ名前のジャズグループがありました。仲間なんですか。
佐々木 一時期は付き合いもあり仲がよかった。その後、どんどんメジャーになっていきました。

−昨年のBeSeTo演劇祭で、学習院女子大学ホールの公演をみた記憶がありますが。
佐々木 みていたんですかあ。
松崎 いかにもまずいところをみられたみたいな言い方ですね(笑)。
佐々木 いやいや、そうじゃないですよ。ぼくらの舞台がなんとなく、BeSeTo演劇祭向きでないような自覚があったんですよ(笑)。
−どなたから参加要請があったんですか。
佐々木 ぼくらが利賀演出家コンクールに参加したときスタッフの方々と知り合い、その縁でお話をいただきました。ぼくらは海外進出を考えている劇団ですから、国際的な関わりのある演劇祭なので喜んで参加させていただきました。

−エジンバラ演劇祭にも参加したんですよね。
佐々木 そうです。去年は8月に利賀のコンクールに参加して、その一週間後に英国のエジンバラ演劇祭(フリンジ部門)に出場しました。帰国して11月にBeSeTo演劇祭に参加しました。

−利賀のコンクールで、課題戯曲は何を選びましたか。
佐々木 「玄朴と長英」(真山青果作)です。出来るだけ少ない人数でやりたかったので、メーンの役者が二人の演目を選びました。直後にエジンバラがありましたから。でも結局、全員使っちゃたんですけど。結果は賞をもらえませんでしたが、結構いい評価をいただいてました。
松崎 受賞すると再度上演することになっているんですが、ぼくたちはそのときはもう、エジンバラに出発していて参加できません。選考の対象外だったと思います。

−エジンバラはどうでしたか。
松崎 8月13日に現地に到着して、公演は15日から30日まで計16ステージでした。
佐々木 現地の新聞で五つ星をもらいました。五つ星をもらった劇団は演劇祭に参加した多くの劇団の中でも十指に満たないぐらいでしたから、その意味でも大きな自信になりました。公演は日本語でしたが、言葉以外でも物語をどこまで伝えられるかが課題でした。ダンスやバレーだと身体表現だけで伝えられるので海外で公演しやすいと思うんですが、演劇は複雑なストーリーを役者の演技によって観客にどう理解してもらえるかという問題があります。それをずっと考えてきたんですが、それは意外に伝わっていたような気がします。芝居の最後になって外国のお客さんが客席で泣いたりしている姿をよく目にしました。海外の舞台では言葉が通じなくとも滑って転ぶだけで笑いはとれてしまうものですが、感動して涙を流すのは、物語が伝わって感情移入してもらえないと起こらない。そういう意味ではほとんど日本語の公演でしたが、伝わった、成功したと思っています。

−日本の劇団の中で、海外を視野に入れた作品づくりは珍しいのではありませんか。
佐々木 毎回、海外で通用するものを作ろうとしているんですが、エジンバラではぼくが音響を担当して、小道具担当が照明のオペレーターをしたり、シンプルな構成でした。初日は特に、地明かりと暗転しかない条件で上演しました。それでも伝わるべきものは伝わったと思いました。お客さんに何かが伝わること、お客さんと何かが共有できることが基本だと思います。それは、海外だろうが国内だろうが関係ないと思っています。ニューヨークで、ある作品を見て、言葉も分からないのに感動した体験が自分にとっては大きいです。日本人にしか分からないものを作るより、世界中の人が見て楽しめるものを作ったほうがきっと楽しいじゃないですか。

−BeSeTo演劇祭の公演会場となった学習院女子大ホールは広いステージ、今度のタイニイアリスはそれに比べると狭いステージです。同じ作品を上演するそうですが、どういう形で収めるか、興味がありますね。
佐々木 エジンバラの会場も地下のクラブハウスでしたから、雰囲気や広さなど結構タイニイアリスと似てましたね。

−今度の作品はどんなストーリーでしょう、話していただけますか。
佐々木 それが苦手なんですよ(笑)。
松崎 自分が書いた物語じゃないですか(笑)。
佐々木 ぼくの物語作りは、いままで見たり読んだりしたもののコラージュだったりするんです。まず最後に持ってきたいと思ったのが、フェデリコ・フェリーニ監督の映画「道」のラストシーンでした。大道芸人の大男ザンパノ(アンソニー・クイン)が、それまでつらく当たってきたジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)が死んだとき、海に入って天を仰ぎながら号泣するんです。そこにたどり着くために、これも大好きな吉川英治の「宮本武蔵」や、シェークスピアの「真夏の夜の夢」「ロミオとジュリエット」「ハムレット」などにヒントを得てさまざまなシーンを組み込んでいきました。
松崎 上演される作品の多くはコラージュだと思いますが、ここまで手の内を明らかにする人は珍しいですね。
佐々木 物語は、キッシング・チェイスと言って、キスをするために相手の女性を追いかけていくことがきっかけになって動きます。キスをすると、不老不死を得ることが出来ると言われているからです。追いかける男たちと女性を守る男らとの戦いが森の中で繰り広げられる、というように展開します。

−松崎さんはいつ入団したんですか。
松崎 3年前(2002年)にAfro13 が台湾公演をするんですが、その直前に参加しました。現在は、そのとき一緒に台湾公演に参加したメンバーがほとんどです。

−やはり演劇祭に招待されたんですか。
佐々木 「東京零距離演劇祭」というフェスティバルです。日本から流山児☆事務所など5劇団が参加してました。

−松崎さんはどうして入団しようと考えたのですか。
松崎 いまの二人のメンバーと一緒に別の舞台に出ているとき、ここにいる佐々木がこういう公演をするので来てみないかと言われたのが台湾公演でした。エーッ、日本じゃないのかという感じでした(笑)。実際に参加してみて、東京のだれそれという狭いターゲットではなくて、世界の人にどう伝えるか考えていきたいと言われて、そういう発想を持っている人が演劇の世界にいるんだと、かなり衝撃を受けました。いわゆる小劇場的なものでない、自分がこれまでやって来たことを生かしながらずっとやって行き来たいと思ったことでもあったので入団しようと思いました。

−佐々木さんは作・演出担当ですが、どんな演出をされるんでしょう。
松崎 厳しいですね。それがいいと思います。客の目線で見ますから。付いていけば間違いないという感じです。でも、うるさいですね(笑)。

−各場面のイメージが出来上がっているんですか。
佐々木 基本的には自分の中に場面のイメージを描いてから演出したいと思ってますが、逆に役者やスタッフからもらったものを膨らませたりしながら舞台を作っています。

−出来上がった台本を渡してから稽古が始まるんですか。
佐々木 いやあ、そこまでは。
松崎 稽古場でこういうシーンにしたいと言われて、そのイメージに近い音楽を流したりしながらやったりしますね。
佐々木 こういう流れでやってほしいと彼らに即興でやってもらうことがあるんです。

−前の公演をみたときは、きっちり作り込んでいるという印象を受けましたが。
佐々木 いや、そうでもないですよ。
松崎 でも、最終的にはきっちりしますね。
佐々木 構成はぼくが頑張らなければなければなりませんが、セリフは稽古場で作ることも少なくありません。彼ら自身の言葉が多い。最初のころは脚本をがっちり書いてやってましたが、最近は稽古からメンバーと一緒に作り上げる傾向になっています。
松崎 前にタイニイアリスで上演した「クロマニヨン・ショック」は台本が出来ている芝居でした。
佐々木 ほかの方に台本を書いてもらったんです。作と演出を兼ねると、客観的に作品をみれなくなることがあるじゃないですか。分かって当然とか。でもほかの方の台本だと、これ分からない、と言えるし、だからこそかえってお客さんに分かりやすいものを渡せるんじゃないかと思いますから。
松崎 今回は若手のメンバーが舞台に参加します。彼らの活躍をみてほしいと思っています。

−これからどういう活動をされるおつもりですか。
佐々木 今回のタイニイアリス公演を機会に、来年はまた海外公演をしたいですね。
(新宿の喫茶店、2005年9月5日)

ひとこと>登場人物の躍動感に音楽と照明がマッチしてストーリーを盛り上げる−。昨年のBeSeTo演劇祭でみたステージはそんな印象でした。しかし今回のインタビューで物語にフェリーニやシェークスピアが盛り込まれていると知り、今度はじっくりみてみたいと思いました。(北嶋孝@ノースアイランド舎)

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