<長野和文さん>池の下「狂人教育」(寺山修司作)(3月15日-19日)
「新宿のイメージに負けない舞台を 寺山修司全作品上演をめざして」
白瀧尚子さんと大塚誠一郎さん

長野和文(ながの・かずふみ)1962年11月、東京都生まれ。桐朋学園在学中から大野一雄に師事。1996年に「池の下」結成から主宰、演出。寺山修司の全作品上演を計画。
池の下:http://www.ikenoshita.com/

−劇団は寺山修司全作品の上演を掲げていますが、最初からそうだったんでしょうか。それとも途中で寺山作品に向かうようになったのでしょうか。
長野 寺山作品上演のために劇団を結成したわけではありません。結成は1996年ですから10年目になります。私は学生時代から舞踏をやっていて、演劇と舞踏が融合するような、新しい身体表現が出来ないかと考えていて、まずワークショップを始め、それから発展的に劇団が生まれました。そのワークショップの中で、寺山作品をテキストとしてとり上げたのがはじまりです。

−在学中ですか。
長野 演劇系の大学でしたが、在学中から大野一雄さんの舞踏研究所に通っていて影響を受け、卒業後は新劇系の劇団で演出部に所属したりしました。1980年代後半から一時演劇から離れた時期がありましたが、その後専門学校で演劇を教えるようになり、そこのワークショップから劇団結成につながりました。よくある学生演劇とは違う流れから生まれたと思います。

−学生と一緒に作ったというと、メンバーは若い人たちが多いのでしょうか。
長野 劇団も数年活動しているとパターンが出来てしまって上演の意義が薄れるようになり、2001年に一度公演活動を休止しています。それから2年ほどワークショップを続けて、メンバーを一新してまた活動を始めました。ですからメンバーとの年齢差はありますね。再開は2004年タイニイアリスでの「大山デブコの犯罪」公演からです。

−演劇系の専門学校ですか。
長野 はい。演技系の学科で、1年生の演技の基礎の授業や卒業公演の演出をやっています。桐朋学園芸術短期大学でも非常勤講師として試演会の演出をやりました。

−寺山の全作品を上演しようと考えたのはいつころからですか。
長野 1999年にグローブ座の春のフェスティバルに参加して「青ひげ公の城」を上演しましたが、このときから「全作品上演」を掲げていました。先にもお話ししましたが、身体的な演劇ということを考えていて、アントナン・アルトーを読んで日本の作品でアルトー的な表現をできるものはないかと考えていたときに、寺山作品に突き当ったわけです。実際に彼の「奴卑訓」がヨーロッパで上演されたとき、非常にアルトー的だという評価を受けました。アルトー的表現に対するアプローチから、寺山修司とは何だったのかを作品連続上演の中から探っていくことになりました。80年代後半に一時演劇を離れたのは、当時の小劇場ブームが非常に空疎なものに思えて、演劇の持っている可能性はもっとあるのではないかと考えたからです。演劇は時間と空間を共有しながら、人間の身体で表現していくこと、ほかの表現の代用ではなくて、芝居だけが表現できるものを上演していきたいと考えた結果、寺山の演劇に行き着いたという感じです。天井桟敷の公演を再現するつもりはまったくなくて、テキストから立ち上げていくやり方です。寺山も天井桟敷もまったく知らない20代のメンバーとテキストを読んでいくとなかなかおもしろくて、寺山作品の再発見につながるのではないかと思います。

−若いメンバーと寺山作品を読んで再発見するということをもう少し詳しく教えてもらえますか。
長野 私自身も寺山作品は後期の天井桟敷「レミング」公演をみただけなんです。いま上演しているのは主に初期の作品ですから、もちろんみたことはないですが、いまの劇団員はさらにまったく寺山体験がない。その20代の若いメンバーが初めてテキストと向かい合って表現するときに、台本をそのままやるのではなくて、自分なりに“かぶく”ような発想がある。この感覚は演劇だけにとどまらない、日本人の持っている一つの感性なのかと思いますね。それを身体的にワークショップで掘り下げていくと、一つの型が常に一つの芝居に立ち現れてくる。それは寺山のテキストから発酵してきたもので、おそらく寺山が上演していたころとはまるきり違う表現になっているのではないか。それは新しい演劇の水脈につながるのではないでしょうか。いまはやっているウェルメイドの芝居に演劇の可能性がどれほどあるか疑念があります。おそらく身体のあり方が演劇の中でいちばんおもしろくなっていくと思うのですが。

−寺山さんのテキストから新しい様式が立ち上がってくるということでしょうか。それとも寺山作品が要求するフォルムを直感的につかみ取ろうということでしょうか。
長野 両方あると思います。テキストの中からあるものを引っ張ってくるということと、テキストにあったであろうものを壊すことと両方があって、そのうえで新しいものが立ち上がってくる感じです。

−今回取り上げる「狂人教育」は、昨年の利賀演出家コンクールの参加作品でしたね。今度の公演はそれからかなり変わるのでしょうか。
長野 利賀スタジオとタイニイアリスでは空間が違うし、メンバーもかなり替わっているので、変わっていく部分はあります。さらに新たなプランもあります。

−利賀はいかがでしたか。
長野 今年は審査方法が違いました。これまでと違って、演劇人会議の方ならだれでも審査員になれることになって、寺山に対していろんな思い、プラスとマイナスの思いを持っている方がいるのだなあと感じました。脚本選択自体が間違っているという意見もありましたから。

−寺山作品はこれまで何作取り上げてきましたか。
長野 「狂人教育」を入れると14作品です。寺山作品は年表で数えると37本ありました。公開されていないものもあるようですが、ワークショップで取り上げてみて、上演できそうなものを公演に結びつけるという形でやっています。全作上演計画ですから、あるものは出来る限り上演するつもりです。劇団が続く限りやっていきたいと思っています。

−「狂人教育」は寺山修司が20代半ばの作品ですね。
長野 1962年に人形劇団ひとみ座で上演されました。人形劇の台本です。人形劇を人間が上演する意味は何かと考えると、現代人は自分で行動しているように見えながら、情報化社会の中でいろんな意味で操られているのではないか。その操られている人間を人形劇の形を借りて表現できないかと考えました。それがこの作品を上演しようと思った最初のきっかけです。もう一つは、現代における狂気とは何なのかという問いかけがありました。ここにも操りということが結びついているのではないか。精神的に病んでいる人たちの話で、どっかから電波が飛んできて自分が操られているという言葉がときに出てきます。これも現代の狂気の形かもしれない。実際の舞台では、人形役の俳優の後ろに操り手がいて、視覚的に操りをみせることになりますが、この操りはいったい何なのか。そのあたりを考えていきたい。

−稽古は始まったんですか。
長野 ええ。これから(インタビューが終わった後)稽古です。

−タイニイアリスでの上演は何度か経験されていますか。
長野 「花札伝綺」公演が最初で、それから7回お世話になっています。地下であまり天井も高くありませんが、あの閉塞感が何とも言えないところがあります。固定席でいすにゆったり座れる劇場だと、もちろんお客さんは楽です。演じる側も制約が少なくて済む面はあります。でもタイニイアリスに押し込められるような形になると、否応なく演劇空間を共有することになる。逃げ場がないような、その実感は貴重だと思います。

−タイニイアリスは新宿3丁目からいまは2丁目に移りましたが、ずっと新宿に拠点を置いています。よく言うとこの街のにぎわい、別の言い方をするとおぞましい雰囲気が身近に感じられるのがほかの劇場と違うところかもしれませんね。
長野 こういう場所で上演するには、場所にふさわしいと言うか、この場所に負けないものをやらないと…。終演後、夜の新宿に出て、舞台のイメージがそこにある現実に負けてしまうようでは困る(笑)。

−確かに静かな山の中で上演するよりも、新宿の雑踏の中で上演する方が寺山作品にはふさわしいかもしれませんね。ずっと取り組んでみて、寺山修司という劇作家にどんなイメージを持ちますか。
長野 同じモチーフの繰り返しがあって、例えば「青ひげ」は母捨ての話、まるきり同じモチーフで「邪宗門」も作られていて、ストーリーもせりふもかなり似通っている。でもどこが違うかというと、(後に作られた「邪宗門」は)すべての配役に黒子が付いていて、黒子が操るという仕掛けになっている。自分の世界を何回も違った形で表現する、次々と前の表現を壊して作りかえていくところがある。表現者として一個所にとどまっていないと思います。寺山の初期の作品はある意味で文学的な雰囲気を持っていて、それが実験劇、市街劇、そして幻想劇と変化していく。同じ作家が手がけているとは思えないほど作品に変化がある。ホントに一個所にとどまらない人だという感じがします。それをテキストとしても、同じところにとどまらないで、いつも違ったアプローチで取り組みたいと思います。
−ありがとうございました。
(2006年2月15日、新宿)

ひとこと>寺山修司は毀誉褒貶に包まれた人でした。創作と虚言のあわいを戯れ、スキャンダルをむしろ買って出ながら、短歌や演劇の最前線をひたすら駆け抜けて生涯を閉じました。彼の作品はいまも若い人たちに読み継がれています。長野さんらによる全作上演は、あらためて寺山芸術の再発見につながるのではないでしょうか。 (インタビュー・構成 北嶋孝@ノースアイランド舎)

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