<本木香吏さん、峰U子さん> 仏団観音開き「宗教演劇」(10月14日-15日)
「ガラスの仮面」が宗教とリンク 楽しめる東西のネタも満載
西谷尚久さん

本木香吏(もと・きかおり) 1978年秋田県生まれ、埼玉育ち。武蔵野美術大学油絵科入学後、無理やり入団させられた学生劇団で芝居を始め、習い始めたダンスでも頭角をあらわす。2002年5月、ショー出演していた大阪の某テーマパークで知り合った峰U子らと演劇ユニット仏団観音びらきを結成。翌年1月「宗教演劇〜完全版〜」(作・演出・出演)で旗揚げ。本公演のかたわら関西の小劇場への客演やTV、映像作品、ライブショー、コントなど各種のイベントにも多数出演。特技は手芸とヨガ。編み物などの繊細な手作業で培った肩こりをヨガのポーズで癒すのが日課。(写真右)
峰U子(みね・ゆーこ) 1973年大阪府生まれ。同志社女子大学音楽科声楽専攻を卒業後なぜか芝居に目覚め、なぜか新劇→アングラ→アメリカンコメディと経て、観音びらきに漂着。こここそ自分の目指すところと確信するに至る。OLからおばはんまで役の幅広く、グラシアス小林演出作品ほか客演も多い。どんな人どんな状況にもすぐ馴染んでしまうという特性を生かし、プロデューサー業も。
仏団観音びらきwebサイト:http://www.kwannonbiraki.com/

―お目にかかったらいちばん初めにぜひともお聞きしたいと思ってたことは、劇団名のこと。どうしてこの…へんてこりんな?

本木・峰 (笑)
本木 どこでも聞かれるんですよ、なんでですかって。初めてコントチームとしてE-1グランプリに出ようってときに、夜、トイレで閃いたんです、「観音開き」がいいって。劇団着信拒否とか直行直帰とか 50コぐらいあったんですが、どれも気に入らなくて。
 THE・モンゼツとか、ね。

―え〜っ、それもまた、スゴイですね。(笑)

 「観音開き」にもう一つの意味があるなんて知らなかったし(笑)。誰も知らなかった。ま、いっかと(笑)。とにかく1回聞いたら忘れられない名前にしたくて…。
本木 秋田のおばあちゃんの家に大きな仏壇があって、お祖母ちゃんが毎朝こうやって(うやうやしく開く様子で頭を下げながら)拝むでしょ、そのイメージしかなかった。フツー、その前に劇団ってつくでしょ。でもそのときフツーの芝居する気なくて。コントのようなものがやりたくて。劇団とか、張り切ってる感じがするからつけたくなくて。だから劇団じゃなくて仏壇にしたいって言ったんです。
 じゃあ壇を団の字に変えて、仏の団体って事にしようって。
本木 字を変えたのは U子ちゃんのアイデア。

―なるほど、合作なんですね。東京の本木さんと大阪の峰さんと、この結びつきも不思議ですね。どうして関西で旗揚げを?

本木 さる大阪のテーマパークに、コメディ・アクトレスとして入ったんです。コレもおかしな話で、学生劇団あがりで、まったくこういう業界興味なかったんですけど、お友だちにオーディション一緒に受けようと誘われて。そのお友だちは落ちちゃった(笑)。 で、入ってからはホントにいろんな仕事させてもらいました。ストリートで原住民の格好してお客さんを巻き込んだ即興のコントショーしたり、パレードでたり、イベントの司会したり。 客いじりの達人になりました(笑)。毎日好きな事をして、お金がもらえて、楽しかったんですけど、でも、何か物足りなかったんです。本当は小劇場で芝居がしたかったから。ただそれではご飯が食べられないから。と、妥協している自分をごまかせなかったんですよね。そのとき一緒に原住民役をしていた初代劇団員の泰三君に背中をおされた。「自分で劇団をやってみたら。E-1グランプリっていう演劇の大会があるから、手始めに挑戦してみない? きっとかおりちゃんと同じような事を考えている人間がこのテーマパークの中にたくさんいるはずだから、仲間を探してみようよ」と。で、テーマパークの中のショーをぜんぶ見てまわって、あの人面白いって思う人に無理矢理コンタクトをとって口説いていった。最初に口説いたのが峰U子ちゃんだったんです。
 私は大学卒業後、大阪の五期会という新劇の劇団の準劇団員になったんですが、2年ほど所属して、気づいたんです。私がやりたいのはこういう芝居ではない と。で、東京へ出て行ってトムプロジェクトの研修生になったんです。そこでグラシアス小林先生のワークショップを受けたんです。その卒業公演を、なんと、タイニイアリスでさせていただいたんです!
本木 私たちの東京公演のいちばん初めは池袋小劇場だったんですけど、タイニイアリスでも公演をしてみたらとグラシアス先生が言ってくださったので…。

―んまあ。先生によくよくお礼をおっしゃってくださいな。お蔭様であなたがたに出会えて…。

 こちらこそ、こんな素敵な出会いに感謝しています。でも、トムにいつつも、どうしてもコントというかコメディというか、面白いこと、笑えることがしたくて。 そんなときに受けたオーディションに合格し、大阪の某テーマパークでアメリカンコメディをする事になりまして。東京暮らしに別れを告げて大阪に戻ったんです。

―そこで本木さんと?

 そう。はじめは全然知らない仲だった。
本木 U子ちゃんのショーをみて、彼女のえもいわれぬ雰囲気がスゴク面白かったんで。口説きました。
 私は彼女の台本を読ませてもらって、才能あるなって思って。この人の笑いのセンスに惚れたと申しましょうか。ついていこうと思いました。

―それで「E-1グランプリ」へ出場、となったんですね。夜トイレで“チーム名”考えて(笑)。

本木 そう、泰三君に加えて水津安希央くんと濱崎右近ちゃんの二人も誘って。5分間のオーディションには「豊田さん」というコントをやったんです。豊田さん豊田 さんと呼び続けて、豊田さんでない人が最後に豊田さんになっちゃう(笑)。そして決勝戦が「宗教演劇」。15分バージョンです。

―今回の、もとですね。

本木 そう。それを1時間半バージョンにして旗揚げ(森ノ宮プラネットホール、2003.1)。手を入れて一心寺シアター倶楽(2005.5)で再演。それと同じものを東京でまだ見せていなかったので今回の公演がそれなんですが、さらに手を入れたから、気分としては再々演、ぐらい。

―今回の「宗教演劇」の見どころを。

本木 Ohhh!今回は、大阪人、東京人どちらも楽しめるローカルネタが満載です。初演を観た方、大阪公演を観た方にも新鮮なものになっていますよ。
 内容も全然違うよね、前と。役も大幅に入れ替えたし、女性陣に変なオーラが出てきたし。
本木 前半の筋は同じだけど、後半はけっこうちがう。時がたって客観的に見られるようになって無駄も省いたし。あっ!でも、どうしてもやりたいことが出てきて、追加シーンも入れたから。結局同じ、かな?(笑)

―仏団観音びらきの代表作、ですね。

本木 一方で封印しときたいって気持ちもあって。複雑です。

―あなたがたの芝居の魅力の大きな魅力の一つは、同性の“女”を見る目ですよね、前回の「だめんず地獄」でも女性が被害者なんだけど、それは誰のせいでもない 自分の男を見る目の無さのせいだという、いわば自分自身を突き放してみる目線ですよね。フェミニズム文学なんかにはない…。

本木 自分のダメな部分、コンプレックスを芝居でさらけ出して、もう一人の冷静な自分が客席から客観視している感じですね、いつも。あとは、周りに面白い人が多くて。ネタの宝庫ですよ。毎日が取材です。ダメな男とつきあって、被害をこうむった話を5時間も聞かされて、アドバイスしたら逆切れされたり。結局あれはノロケ? なのかしら。その心理や感情を追って台本書いていって、実際演じてみると、彼女の本心がやっとわかる、というか。意味不明だった彼女の言動を理解する方法として台本書いて演じてみるのはいい方法ですね。
理解したから、なんになるわけでもないんですけど。
 私はそういう人に関わるのがいやで。触らんといてって逃げるんですが。演じるのは大好き。スカッとする。なんででしょう(笑)。自分の中にも「煩悩」がいっぱいあるから、いい人間になりたい、のかな?

―演劇は宗教みたいなもんだという突き放しもあるんですか?

本木 ええ。美内すずえ先生の「ガラスの仮面」。(両手のひらを本のように広げて首を突っ込んで)演劇始めた頃よく読みました。それこそバイブルでしたよ。それを久々に読み返したら面白くて。月影先生の怪しいこと。マヤの情熱の異常なこと。あゆみの高校生とは思えない気高さ。これはパロディにするしかないと。それを、宗教とリンクさせたんです。営利目的のタレント養成所や劇団の研修生に当てはめてみると、教祖は事務所の社長か、劇団の座長ってところ。信者は自分が出てなくても切符50枚売らなくちゃならなかったりしてね。あれはお布施だって言ってるんですよ(大笑)。
(2006.9.30 中野・コーヒーロード)

ひとこと> 「U子さんが居ると稽古が盛り上がる。ひとりで笑ったり拍手するの。それが他のみんなにも伝染して稽古場が拍手と笑いに包まれたり。あ、ここ面白いんだと逆に私が発見したりする」 「ここにこの持ち道具が欲しい、この色で、なんて私が無理言っても、U子ちゃんがすぐそれを買いに行ってくれるんですよ」。 まるで昔よくあった「父親とその良き妻」みたい―と本木香吏さんが言うと、峰 U子さんが 「そう、私用はぜったい聞いてあげないけどね」。そして二人でア、そうだった、ソウソウと笑いに身をよじります。どっちかが何か言うと他方がすぐそれを補足したりちょっぴり混ぜっ返して異化したり。その阿吽の呼吸に私は思わず、二人は“運命的な出会い”をしちゃったんだ!と感じました。もちろん仏団観音びらきの芝居を創るために、です。終始笑いに包まれた2時間でした。(インタビュー・構成 西村博子)

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