<呉致雲さん、金世一さん、川松理有さん>
釜山演劇製作所・榴華殿合同公演「Myth Busan-Tokyo MIX」(10月21日-22日)
「亡き母を訪ねる姉妹の行方 神話と現代の架け橋とは」
写真は左から川松理有さん、呉致雲さん、金世一さん=神奈川県相模原市の稽古場

呉致雲(オ・チウン)=写真中
1974年マサン(馬山)生まれ。釜山の慶星大学演劇科を卒業。1998年ドンニョック(釜山演劇製作所)参加。演出家。2001釜山演劇祭出品、演出賞、戯曲賞受賞。代表作は野外劇<メドサクス>(作、演出。1999年居昌国際演劇祭公式招請)。昨年のアリスフェスティバルに「愛、初イメージ-夢」(構成、演出)で参加。
金世一(キム・セイル)=写真右
1975年釜山生まれ。慶星大学在学中の1998年ドンニョック(釜山演劇製作所)創立に参加。高校教員を経て2003年から早稲田大学大学院文学研究科で歌舞伎など日本演劇を学ぶ。日本で榴華殿の舞台などに俳優として参加。
川松理有(かわまつ・りう)=写真左
1968年東京都渋谷区生まれ。劇団浪漫伝を経て1991年「榴華殿」創立、主宰。作・演出も担当。耽美主義実験劇と野外劇を上演してきたが、香港、台湾、韓国など海外公演を重ねるにつれ、最近はドラマ中心からせりふ以外の要素も使った公演多い。

―釜山演劇製作所(ドンニョック)と榴華殿はいつ知り合ったのですか。韓国ですか、日本ですか。
呉致雲 昨年のタイニイアリスフェスティバルに招聘されて公演したとき、榴華殿のメンバーが手伝ってくれて大変助けられました。そのとき川松さんと話す機会がありました。1997年に釜山で公演した榴華殿の舞台に強烈な印象を受けていたので、一緒に公演を実現できれば、とても勉強になると思って合同公演の企画に参加しました。川松さんと意見を交わしながら、ぼくらが作ってきたものとは違う、もう一つの舞台言語を探せるのではないかと思っています。

―タイニイアリス側から提案があったのですか。
 今回の合同公演は実は(いま通訳をしている)金さんが呼び掛けた企画です。提案者本人から話してもらった方がいいのではないでしょうか。
金世一 ぼくも来日前までドンニョックで呉さんと一緒に活動していて、演劇のスタイルや考え方を話し合ってきた仲です。また日本に来てから川松さんの演出で2回、俳優として舞台に立ちました。2つの舞台、2人の演出を体験して、似ていながら違う、違いながら似ている、お互いに補完できる関係だと感じました。そして2人が一緒に作品を作ったらおもしろいのではないかと思ったのです。
  もう一つ、俳優の特徴が2つの劇団で違うと思いました。決まった形をがっちり持っていくのが日本の俳優の特徴ですが、韓国の俳優は感情を込め、自分の想像力を発揮する面が大きい。違いながらも一緒に公演ができれば、互いの特徴がうまく補い合えるのではないか、と感じました。
  韓国に生まれ育ち、また来日していろんな日本文化に触れて、これまでやって来た西洋演劇の整理というか、西洋演劇のものの見方に違和感を抱くようになってきた。もともと(西洋演劇とは)何か違うと感じていて、釜山でも呉さんらドンニョクの人たちと演劇活動を続けながら韓国的なものを求めてきました。その後、川松さんたちと一緒に活動してみて、韓国と日本とで相通じるもの、東洋的な美学が流れているのではないかという期待感が生まれてきました。そこで2つの劇団が一緒に舞台を作り上げたら、新しいものが生まれるのではないかと考えるようになりました。最初はワークショップのような、勉強会をしませんか、と言いました。その後話し合いを重ねる中で、どうせやるなら公演の形にしようということになったんですね。

―榴華殿の舞台には何度か立ったというと、どんな作品ですか。
 一昨年のアリスフェスティバルの参加作品「のら猫」と、岸田理生追悼公演「捨子物語」に出演しました。2人が昨年会ったとき、ぼくは立ち会っていなかったんですが、結構いろんな話が交わされたようでした。やっぱりと思いましたけど。今回の企画もそこから発展してきました。

―それでは、お話の内容を呉さんに伝えてください。
 (呉さんに二言三言話して、お互いにうなずき合って終わる)
―えっ、もう終わったんですか(笑)。
 この間ずっと話し合ってきたことですから大丈夫。了解してます。

―川松さんは合同公演の提案を受けて、どんなことを考えましたか。
川松 韓国や台湾の俳優陣と一緒の舞台を作った経験はありますが、どちらかというと日本のやり方に合わせてもらったかなあという気がしています。2年前の「のら猫」公演では日本人、韓国人、在日中国人、在日朝鮮人の俳優たちが出演しました。稽古場でも本番の舞台でも、それぞれの言葉が飛び交うコメディーでした。榴華殿はもともと美意識を優先するのが特徴ですから、一緒の舞台を作り上げながら、美しい舞台にできないだろうかと考えました。

―お二人が話し合いを始めて、具体的な芝居作に入ったのはいつころからですか。
川松 呉さんが今年初めに来日して話し合い、その後はメールで遣り取りしながら話を進めてきました。

―今回は日本と韓国の神話を題材にしていると聞きましたが、呉さんからの提案ですか。
 そうです。両国は違う歴史を持っていますが、神話の中で今日的に、共通にとらえられるものがあるのではないか。神話は民族の本質的なものをとらえているのではないか。そう考えて取り上げたいと思いました。

―企画書によると、姉妹が亡き母を訪ねて黄泉へ向かう、となっています。実際に黄泉の国に入るのですか。
川松 入るかどうか、そこが試練の場でもあります。

―韓国でも、そういう神話が語り継がれてきたのですか。
 子どもが母を訪ねて黄泉の世界に向かう話はいくつかあります。

―物語の構成などで意見をたたかわせたということでしょうか。
川松 呉さんからこういう筋書きでこんな意味合いの構成にしたいと来たら、それを受けて日本ではこうだとかこうした方がいいのではないかと返す。その繰り返しですね。最初の案から随分変わりました。
 日本の神話を韓国語訳で読んで、基本的に理解したと思って当初の案を考えました。しかし川松さんから返されたものを読むと、日本人だから読み取れたこと、韓国人にはなかなか分からない点が明らかになっていた。例えば幼い姉妹は、生前母によくしてあげられなかった、申し訳ないという気持ちを伝えるために黄泉の国へ行こうとしたのですが、川松さんは母からもらった針をきっかけに行くのはどうか、と提案してきました。このとき私が読んだ日本神話と、日本で受け止められている神話は違うのだと気付きました。川松さんの提案した内容をもっと聞きたいと思いました。
川松 呉さんが描く母は、子どもが描く母親像なんです。日本の神話で見る限り、母親はそれほど温かくない。子どもとのふれあいを求めることは少なくて、生まれたらほったらかしというイメージがあります。母はあくまで神さま。手の届かない、割に遠くにいる感じがするけれども、呉さんたちの母はすごく近い。そこの摺り合わせをしている最中です。

―なるほど。確かに古事記に登場する人物は、現代のわれわれがそのまま感情移入できるように描かれていませんね。いわゆる「内面」が欠けたような人物として現れ、心理的な説明抜きで親子や兄弟が殺し合います。それが「神」だったりしますから、現代のわれわれがリアルに感じられる像とはかなり違うことは確かです。さて、そこで、いま稽古中ですが、だんだん形になってきたと思います。演出家同士の摺り合わせはどれぐらい進んでますか。
 日本に来ていろんな話し合いを重ねて、やっぱり考えていることに違いがあるなあと感じています。情緒の面で違う。ただ最初に違いがあることが分かりましたので、あとはお互いに理解しながら一緒に舞台を作ることに努力します。そういう理解と努力の上で初めて合同公演の意味があるし、花が咲くのではないでしょうか。

―上演台本はかなり出来上がっていますか。
川松 まだです(笑)。もうすぐ、いくつかのエピソードが出そろいます。そのあとそれぞれの稽古で影響し合う段階になります。

―榴華殿の芝居作はいつもそういう形で進むのですか。
川松 そういう場合もあれば、そうでないときもあります。ウチがアジアツァーをしたときは、いくつかのエピソード、いくつかの場面を作りながら、最後にまとめました。

―ドンニョクの場合はどうですか。
 川松さんたちと同じですね。両方のやり方で舞台を作っています。どういう話をどのように上演するかによって、最初に台本をがっちり作るか、それとも俳優の想像力が必要な作品なら稽古しながら仕上げていくかが決まります。

―今回は?
 期間が短いので、2つの方法を取り入れて作品を作ります。

―稽古してみて、双方の俳優の動きや演技についてはどういう印象ですか。
 即興劇をやっているんですが、俳優の個性を見つけ出そうとしています。
川松 ドンニョクの俳優さんや呉さんのやり方は最初にエモーションがある。私たちの芝居は、最初にビジュアルがある。まず感情から入るのと、観客にどう見えるかを考えるという入り口の違いがあります。これは国の違いだから生じてきたのではなくて、劇団や芝居作りの方法の違いですね。それぞれの俳優も多少は戸惑っているかもしれませんが、徐々にお互いに合わせて稽古しているようです。

―今回の公演は東京と大阪、それに韓国・釜山でも予定されているのですね。日本と韓国での演出家が共同演出したり、両国の俳優が出演する舞台はありますが、劇団同士の合同公演は珍しいかもしれませんね。
 近いところでは日本のク・ナウカと韓国の劇団旅行者が一緒に公演しました。合同公演の例がないわけではありませんが、それほど頻繁にあるわけではないと思います。

―俳優も韓国が6人、それに日本人が4人。金さんも舞台に立つのですか。
 そうです。せっかく自分が企画したのに、ぼくを出演させてくれないと企画した甲斐がない(笑)。

―これから1か月間日本に滞在することになりますが…。
 日本の文化にも触れてみたいのですが、この1週間は日中が稽古、夜は台本書きで、借りているアパートをほとんど出たことがない。早く仕上げて、いろんなところを見物したいですよ(笑)。

―大阪公演は野外劇場ですね。
川松 まだどういう劇場か見ていませんが、ドンニョックも野外劇の経験があるどうですから、大丈夫だと思います。
 屋内劇場は繊細な演技を心がけますが、野外は雰囲気を感じてもらうことに留意したいと思っています。例えば屋内で火を使う場合はそこに火があることを分かってもらうのですが、野外だと火を使うだけでなく、音楽や効果音なども使って、お客さんに火が燃えているという、野外だからこそ感じてもらえる雰囲気を大事にしています。

―釜山の公演はどんな形態ですか。
 小劇場ですが、客席は240席あって、日本よりもう少し広い。力のある俳優でないと持て余ますかもしれません。

―ドンニョックの組織形態を知りたいのですが、給料制ですか。
 3、4年後にはメンバーに給料を支払っているでしょう(笑)。ドンニョックはほかの劇団と違って、演出家が多い。3人います。しかも自分で作品を書き、バラエティーに富んだ作品を上演しています。ひと言で言うと、創作劇ですね。でも最初は実験劇が多かったのですが、2000年前後から大衆的な名作なども取り上げてきました。
 韓国では割に、劇団内で作・演出することが少ない。外部の作家が書いた作品を上演することが多いのです。作と演出は別れている。日本の劇団は作・演出が一緒の場合が多いですよね。

―すばらしい舞台を見せてくれるよう期待しています。どうもありがとうございました。
(2006年9月23日神奈川県相模原市の稽古場)

ひとこと> 榴華殿とドンニョックの公演は双方ともみていたので、意外に相性がいいかもしれないと感じていました。舞台から発散される美的イメージに、ある種の共通点が感じられたからです。しかし実際に合同公演となると、相性だけでことが運ぶわけではありません。インタビューでも語られていたように、違いは違いとして、むしろ違いからエネルギーを生み出すことが大切になってきます。JR横浜線相模原駅近くのマンションで、稽古の合間を縫って話を聞いたのが公演のほぼ1か月前。集中した稽古の成果が楽しみです。(インタビュー・構成 北嶋孝@マガジン・ワンダーランド)

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