<谷賢一さん> Dull-Colored Pop 第4回公演「ベツレヘム精神病院」(3月16日-18日)
「ポップでゆるゆるした、とっても暗いハッピーエンド」
谷賢一さん

谷賢一(たに・けんいち)
1982年千葉県生まれ。明治大学演劇学専攻。今春卒業予定。演劇・映像サークル「騒動舎」28期。2004年に英国University of Kent に1年間留学、Drama and Theatre Study を学ぶ。翌2005年9月に明治大学文化プロジェクト『マクベス』演出を担当。2005年10月に演劇ユニット DULL-COLORED POP を旗揚げ、主宰として作・演出。個人ブログplaynote.net:http://www.playnote.net/
ユニット公式サイト:http://www.dcpop.org/
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−今回の「ベツレヘム精神病院」はどんな芝居なのでしょう。舞台はイスラエルですか。
 いえ、日本です。片田舎にある精神病院が舞台です。入院した患者の詐病がばれるところから展開していく話になります。精神の患い方はさまざまで、自分で体験しきらないことは書けないと思うので、精神病そのものよりは、患者に触れたり見つめたりすることによって周りの人がどのように変わるのかを描きたいと思いました。

−精神状態に限らず、これまでの作品でも、中心からずれた人物を取り上げることがあったのではありませんか。
 毎回ちらちら取り上げはいますね。第2公演には画家のユトリロが出てきました。彼も何度か精神病院の入院歴がありますね。そのほか知的障害や自閉症の子供、それにリストカットする人物もいましたが、中心人物として精神障害を取り上げたのは初めてです。

−どうして「ベツレヘム精神病院」なんですか。
 英国にそういう名前の宗教系の精神病院があって、実際にみてきたんです。なんでも史上最初の精神障害者収容施設だと言ってました。もともとは治療施設ではなく、精神障害者を集めて見せ物にしていた。ひどい話ですが、お金を取って客を集め、檻に入れた障害者を棒で突いたりしていたそうです。

−これまでの公演と関連があって精神病院が舞台の作品になったのですか。それともあまり関連はないのですか。
 内的な関連はあるのかもしれませんが、まずタイトルとアイデアがひらめいて、それで是非やりたいと思いました。高校生のときに鴻上尚史作「トランス」を取り上げて自分で演出、出演したことがあって、その当時から人の心の仕組みや動きなどは気になっていました。それが今回、きっかけを得てまとまった感じです。

−どのあたりが見所でしょう。
 今回は、とっても暗いハッピーエンドを書きたかった。ポップでありつつ、ゆるゆるした空気のなかでそんな感じが出せればいいなあと思います。演出的にも、まったく別の二つのシーンがそのまま重なっていくような、ぶつかっていくような場面を作るとか、これまであまりなかった演出を随所で試みています。役者の個性や魅力も同時に出せるように、わりに欲張った感じで取り組みました。

−音楽はどうですか。音楽と芝居の関係は意外に触れられませんが、とても大事だし影響が深い。どんな音楽をそんなふうに使いますか。
 ぼくは音楽にこだわっていて、旗揚げ公演はビートルズ、2回目はフランスの作曲家エリック・サティの曲、その次は大好きなブランキージェットシティーを使いました。芝居の特徴や雰囲気を考えて音楽を選びます。今回は日本人のバンド「アルチュール」の曲をたまたま聴いたらぴったりだったので、これだと思って全編そればかり使います。

−旗揚げが2005年。それから企画公演を含めて計5回の公演をしてきて、作風や演劇の考え方などは変わりましたか。
 変わりましたね。ぼくらの母体はギャグ芝居を多くやってきた「騒動舎」という明治大学の学内団体です。だから結成当初はシチュエーション・コメディーっぽい作りで笑いの要素が強かった。それが最近は物語の方に重心が移ってきています。今回もギャグや笑いはあるにはあっても、旗揚げ公演に比べたら雲泥の差がありますね。というか話のプロットをしっかり書くようになりました。だらだら書くのはもう止めようということです(笑)。

−出身の騒動舎は伝統のあるサークルですよね。
 約30年の歴史のある団体です。明大生だけでなく、学外の人も参加できます。最初は映画サークルだったらしい。その後ジョビジョバが活躍した前後からギャグ中心の芝居が多くなったようです。ラブリーヨーヨーや、阿佐ヶ谷スパイダースの中山祐一朗さんとかオッホ(iOJO!))とかが出てきましたね。

−物語に比重が移ってきたというと、作・演出の谷さん自身が変わってきたからですか。
 それもあるでしょうが、毎回アンケートを読むと、話の筋がおもしろかいという方が結構いて、そこから目をそらさずに進んできたと思います。最初の頃は照れ隠しというか照れ笑いというか、そんな気持ちもありましたが、最近は自分でどこまで書けるか試したいと思っています。あと自分は演劇を考えたり批評したりするのが好きなので、単純に笑えて楽しめて、ああよかったという芝居は実はあまり好みではない。次第に自分の趣味志向に近づいてきたと言えるかもしれません。

−英国留学した影響が出ていますか。
 あると思います。ただダイレクトに影響するかというとどうでしょうか。まだ帰国して2年しか経っていないので自分の中で熟成しているわけでもないし、なんとも言えませんね。方法論的に消化されてくればまた別ですけど。英国留学というとキャッチーなので自分でも言い、周りにも言われますけど、これまで国内でみたり出演したり演出したり大学で学んだことがたくさんありますから、留学して得られてこともそのたくさんある中の一要素と思っています。英国で学んだこれを何とかしたい、ということではありません。

−留学を終えて間もなく、大学ホールで開かれた「マクベス」公演の演出を担当されましたね。大学の公式プロジェクトでしたが、演出を担当されたのはどういういきさつからですか。
 そのプロジェクトは留学中に話が進んだようです。ぼくは演劇学専攻の学生のなかでは目立った方だと思っていたし、研究室にも押しかけて教わったり議論したりしてきました。学生の仲間内ではバカをやっている危ない奴と思われていたかもしれませんが(笑)。英国にいる間に演出の話が決まって、それでシェークスピア関連の勉強もしてきました。

−とっても大がかりなプロジェクトで、学生だけでなくプロになっているOBもスタッフとして参加するなど本格的な公演でした。苦労があったのはないでしょうか。
 俳優の原田大三郎さんも監修ということで参加されて、ぼくもとてもいい経験でした。学生はスタッフも含めて約50人、OBはプロスタッフだけで10人以上いました。予算もかなりの額を計上してましたから、大学の公演としてはあまり例がないと思います。

−得難い経験でしょうね。
 ホントにそうですね。いまは自分の劇団で芝居を続けていますが、あのときは人もいる、時間もある、金もある(笑)。それに戯曲は「マクベス」だし、いろんな試行錯誤を重ねてうまくいったことも失敗したことも、みんなとても貴重な経験でした。

−反響は。
 教授たちからはお叱りの言葉を頂戴しました(笑)。周りの学生たちからは評価されたかな。NINAGAWAスタジオや文学座に進んだ仲間たちは、あの舞台がおもしろかった、驚いたと言ってました。ぼくはそれまでギャグ芝居ばかりやっていたせいかなあ(笑)。それがきっかけで演出や解釈について話ができたのもおもしろかった。規模が大きかったので、ふだん芝居を見ない人も来てくれた。マクベスはシェークスピアでも見やすい方だとは思いますが、あれだけ長大なせりふがあり、しかもレトリックいっぱいのせりふなのに、明大生には理解してもらえたようで、あの公演がきっかけで芝居に嵌ったとか、ぼくらの公演を全部みてくれるようになった人もいたり、個人的には思わぬこともありました。ふだんは会えない人からも、つまりいろんな層の方々の反応を知ることができたのはよかったと思います。

−劇団結成はその公演のあとですか。
 マクベス公演が2005年9月で、その年の11月に旗揚げ公演でした。マクベス公演のメンバーと騒動舎の仲間が加わって始めました。自分たちのサークルを褒めるのは気が引けますが、自分たちがやっている芝居は、笑いに関しては結構おもしろいと思っていたんです。しかしほかでみられない笑いがあっても、舞台は全体としてみられたもんじゃなかった。その笑いの質、笑いのセンスを、演劇臭くない感性としっかりした筋で融和させられればきっとおもしろいものになるだろうと、割に安易な考えでスタートしました。だから最初はギャグばっかりで、後半になって散らばっていた伏線が次第につながっていくという芝居でした。

−メンバーはあまり固定してないようですね。
 皆勤賞に近いメンバーは2, 3人かな。ほかは入れ代わりがあります。明大の学生がいますが、そこにこだわっているわけではありません。縁がある人が参加している形ですね。毎回苦労しています。ぼくが演劇に興味を持った高校時代ぐらいから演劇ユニットやプロデュース方式がはやり始めました。それはそれでメリットはありますが、まだ20代で人気も力もない、ネットワークも動員もない段階で役者を入れ替えるユニット方式は結構リスキーだと思います。旗揚げしてからそのことに気が付いて、後悔はしているんですけど。ただ毎回、色の違う芝居ができるという意味では助かっています。

−いままで劇団といわれたのも、正確に言うと演劇ユニットということですか。
 そうですね。ぼくらの世代は劇団を作って一緒の船に乗り込み、嵐が来ようが何が来ようが行けるところまで行こうというケースは割に珍しいんじゃないですか。周りを見ても、一個所に腰を据えないで、あっち行ったりこっち来たりしてるようですね。劇団というシステムや神話がもう通用しないという空気が学生の間にも浸透し始めているような気がします。

−毎回取り上げるものが変わっているようですが、各公演を通じて変わらない特徴はどんなところにありますか。
 自分は近代に特有の市民悲喜劇があまり好きではありません。例えばチェーホフ、イプセン、ボーマルシェですね。だから明治、大正、昭和に書かれた戯曲もあまりおもしろいと思わない。むしろギリシャ悲劇やシェークスピアの方に引かれます。でも何も考えずにギリシャ悲劇を取り上げたら現代との共通点は見つけられないし、せっかく現代に生きているのにそこから目をそらしているようで癪ですよね。ギリシャ時代でも現代と同じような感情や精神的な苦痛はきっとどこかにあるはずで、ただそれを大げさな言葉や身振りに表さないだけではないか。きっとそれらを見つけられるはずだと思っています。暗いといわれますが、毎回グロテスクな面や悲劇的な終わり方に向かっていくお話が共通するかもしれません。それをしかめっ面で、深刻な表情でするのは現代的ではない気がして、バイトやテレビの話をしたり、彼氏彼女の話をしながら生きていて、そのなかで精神的な痛みとかを感じていると思う。ポップで若者っぽいスタイルを通して、最終的に行き着く場所は大きな苦痛のようなものを出せないかといつも考えています。

−野田秀樹の芝居も構造は似ていますね。笑いをまき散らし、舞台狭しと駆け回りながら、最後に要のせりふが出てくる。
 でもその時代と決定的に違うのは、ぼくらの時代はもうファンタジーを信じられなくなっていることではないでしょうか。ぼくらの芝居には、場所が特定できて、リアリティーがあって、いそうな人しか出てこない。そういう登場人物しか取り上げません。大きな物語とかファンタジーとか共同幻想とかもうないだろうと思ってますから。そのあたりをうまく摘み上げられたらいいと思っています。英国で読んだマーク・レイブンヒル(Mark Ravenhill )の作品「Shopping and Fucking」がとてもおもしろかった。フリーターの若者5人がオーディションに落ちたりドラッグにはまったりホモセクシャルな行為に走ったりしてすり切れていく話ですけど、最終的に主人公が独白するシーンがあって、革命も終わったし時代の変動も過ぎてしまった、ぼくらは大きな物語を持てないと語ります。戯曲としてもおもしろかったし、その独白シーンにはとても共感できました。そんな芝居が書ければいいなと思います。

−国内でいま注目されている30代の人たちの芝居に共通するかもしれませんね。なるほど。卒論で確か、スタニスラフスキーを取り上げたそうですね。なんでまたスタニスラフスキーなんですか。
 演技の研鑽や研究はライフワークのようなものだから、いまうまいいとかへたとか言われるのは仕方がない。自分は演出と脚本をやりたいけれど、アクティング・トレーナーにはあまり興味がない。でも演出を続ける以上、きちんと知っておかなきゃいけない、やっておかなきゃいけないと思って取り上げました。留学中にスタニスラフスキーの後期のメソッドを勉強したとき、とてもおもしろいと引っかかってはいたんです。そのときは上っ面をなでただけでよく分かっていなかったので、日本に戻ってからちゃんと取り組みたい、演出の勉強にも参考にもなるんじゃないかと思って取り上げました。

−なるほど。スタニスラフスキーのメソッドは伝統もあるし、多くの人が学んでいるようですね。
 そうですね。いま王子小劇場にいる黒沢世莉さん(時間堂)とはスタニスラフスキーつながりで知り合うことができて、その縁でぼくらのワークショップに講師として来てもらった。そのお陰で、埋もれていたスタニスラフスキーやサンフォード・マイズナー(Sanford Meisner)らの演技論に触れて、役者たちが何か感じるところがあればいい。すぐに成果が生まれるとは思いませんが、長い目で見て何かがタネになればいいなあと思います。

−これからの計画は決まってますか。
 秋口に次の公演を予定しています。大人たちがだらだらゲームをしている話を書きたい。今回は題材からいってどうしても重くなって生活感覚から離れた面があるので、次はゲームはどうかと。ぼくらはもちろん鬼ごっこもしてますが、それと同じ感覚でゲームがあって、人格形成に影響があると思ってるんです。この年になるとノスタルジーで、昔のゲームを無性にやりたくなるんです(笑)。いまやってもおもしろいし、ぼくらの人格、性格のなかにも影響を与えているゲームを取り上げたかった。はまったのは「桃太郎電鉄」ですね。当時のハドソン、ナムコのゲームはおもしろいモノがいっぱいありました。

−3月で大学卒業ですが、就職は…。
 就職はしないでフリーターになります。これから小劇場界の塵芥となって、さまよったり沈んだり(笑)。そんな生活をしばらくは続けようかと思っています。

−ありがとうございました。
(2007年3月5日 東京・下北沢の喫茶店)

ひとこと>  谷さんの個人ブログは以前から注目していました。論旨が明快で、文章にパンチが効き、鋭い感性が感じられたからです。しかし意外にも、明治大学の文化プロジェクト「オセロ」は正攻法で押し込むで堂々たる演出でした。演劇ユニットの公演は未見ですが、選曲のセンスは鋭いし、期待しています。(インタビュー・構成 北嶋孝@マガジン・ワンダーランド)

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