<山崎ふらさん> 劇団まるおはな「ビッグ ファンキー ダディ」(6月11日-15日)
すごく優しいものを作りたい 「父」にまつわるコメディーで
山崎ふらさん

山崎ふら(和妻きりん改め)
  東京生まれ。1984年よりNHKアクティングゼミナールにて演劇を学ぶ。以降、数々の舞台、映像に出演。2001年に演劇ユニット「まるおはな」旗揚げ。2006年劇団結成。主宰。「和妻きりん」名で脚本担当、演出も。ほぼ年1-2作のペースで公演。「ビッグ ファンキー ダディ」が第11回公演。『日本人』というキーワードにこだわってボディブローのように後からジーンと効いてくる芝居を目指している。
劇団web:http://www.fan.hi-ho.ne.jp/fura/maruohana/
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−劇団を始めたのはいつですか。
山崎 2001年にユニットで始めて、劇団になったのは2006年からです。

−ユニットと劇団では違いますか。
山崎 活動しているうちにメンバーがだんだん固定してきたこともありますけど、一人だと手が回らなくなってきたこともあって、いろんな仕事を出演者に振るわけです。でも振られた側は客演なので、いつもごめんね、ごめんねと言って頼む。私としてはすごく心苦しくなってきた。経済面も苦しいので、いったん活動を止めようかと思っていたのが2005年ごろかな。そのときいまのメンバーに相談したら、お金がなくなったと思ったらしくて、劇団にして資金を積み立てたらいいじゃないですかって言ってくれたんです。それで、じゃあ、お願いします(笑)。

−「まるおはな」以前は、どこかの劇団で活動していたのですか。
山崎 劇団に所属して活動したことはありません。ある養成所でNHKディレクターだった深町幸男さんの指導を受けましたけど。深町さんは向田邦子さんの「あ・うん」や早坂暁さんの「夢千代日記」「花へんろ」などを手がけた演出家、映画監督です。そこを出てからいろんな劇団に客演したりしてました。もともとダンスが好きで、そのつながりで活動してきました。

−これまでの舞台でダンスシーンが多いとうかがっていましたが、そのせいですか。
山崎 最初の公演は妊婦が二人出てくる舞台で、妊婦が踊ったらおもしろいんじゃないかと思ってダンスシーンを取り入れました。妊婦が活発に動き回るというねらいだったんですが、やってみたらすごく好評。それ以来、ダンスシーンはないの、いつ踊るのと言われて、だったらやってみようかと(笑)。レビューのようにきれいに踊るシーンはあまり好きではなくて、着物で踊ったり変な動きとか異質な感じがいい。そういう振り付けは好きですね。もちろんダンスのない公演もあります。前回はありませんでした。

−ダンスがあったりなかったり、これまでの公演はいろんなタイプの違う舞台だったんでしょうか。
山崎 ずっと奥にあるものは同じですけど、舞台上での表現方式が変わる。私にとって、小屋が重要なんです。この小屋だからこういう絵になるというイメージに向かって書いている。だから同じことを書いていても、表現方法が変わってくるんでしょうね。B型だからかなあ(笑)。でも、それでいいんじゃないかと思ってる。

−作・演出は?
山崎 台本はペンネームを使ったりしていましたが、ずっと私が書いています。以前は役者としての割合が多かったので作家ではなくて役者としての私として舞台に立ちたくてペンネームにしていました。お客様に「あの人が書いてるのか」って先入観を持たれちゃうのが嫌だなって思っていたんです。前回から演出も担当するようになって「まるおはな」での私は役者の役割が少なくなりつつあるので、もう名前を分ける必要はないかな、と。それで今回から名前を表に出すことにしました。

−今回の「ビッグ ファンキー ダディ」はどんなお話なんでしょうか。
山崎 最近劇団のチラシを見ていると、父親の話がすごく多い。世の中、父親のことをこんなに考えているのかと思えるほどでしょう。

−確かに最近の舞台で「父」を取り上げたケースは多いですね。岸田國士戯曲賞受賞作の佃 典彦「ぬけがら」、モダンスイマーズ「回転する夜」、タイニイアリスで公演した劇団印象「父産」もそうでしたね。父の葬儀の当夜、集まった家族や親戚の間で交わされる会話から…といった芝居はほかにも記憶があります。
山崎 今度の公演は、父親が亡くなった後の話です。劇団員の親も亡くなったりしていて身につまされるんですけど、親がだんだん年取ってきて、記憶もおぼつかなくなって我が儘になってきても、やっぱり親でいてほしい、父であってほしいと思ってしまう。元気な父親のイメージがあるから、そういう年を取った父を許せなかったりする。でもいま父が亡くなったらどうしようとも思う。私の父は割にはハチャメチャなんですけど、そういう父を実はよく知らない。ハチャメチャになったワケも知らない。なんて言うかな、でもそのワケを知らなくていいんだろうか、知った方がいいんじゃないかって思う。私はだからといって父のもとへ行って聞き出したりしてはいないけど、気にはなっている。今回は、そんなふうにハチャメチャな父と、きまじめな長女との関係を、長女中心の話にしてやりたいと思いました。父親を「男」としてはみられない、けれど「男」としてみたら許せない。でも父が好きで、というあたりですね。これまでずっと「家族」や「家族のようなもの」をテーマに書いているので、今回もそのつながりになりますね。

−ぼけや徘徊など具体的な行動があらわになったりするんですか。
山崎 いや、そういうシリアスなドラマではなくて、これはコメディーです。お父さんが亡くなった後なので、父親は舞台に登場しません。そば屋をしていた父が突然死して、舞台は翌日の霊安室という設定です。ご近所さんや父の知り合いという人が次々に出てきて、これまで知らなかった父の側面が明らかになるということなんですけど…。

−これまでの公演に父親は登場しなかったんですか。
山崎 離婚夫婦や兄弟の話もありましたが、基本的には「家族のようなもの」を取り上げてきたので、父親はあまり登場しませんでした。職場一緒に働いているチームや同じ病棟の患者さんとか、旅役者の一座とか、家族のように結びついている人たちのありように関心がありました。それは強かったりもろかったりしますよね。

−ほとんどコメディーなんですか。
山崎 ギャグはあまり好きではないんですが、すごく真剣なとき、例えばお葬式で足がしびれて転んじゃったとか、大事な場面で焦ってヘンなことをしゃべっちゃったとか、そういう笑いはないとね。

−笑いのない芝居は耐えられないということなんですか。
山崎 それはないです。笑いがなくても大好き、すばらしい芝居はいっぱいあるけれど、舞台って総合芸術だから、いろんなセンスが集結していて、役者さんもなにもかもすばらしくて飽きないけど、きっと私は、それだけでは芝居を引っ張れないと思っているんだと思う。ダンスだけで3分間は作れるかもしれない。でも1時間半か2時間、人を引っ張りきれないと思っているんじゃないかな。カッコよさげなものをやりたいと思うんだけど、無理なんです。

−2001年から7年あまり活動して、作風が変化したということはありますか。
山崎 ユニットから劇団になった2006年の「ジェリーフィッシュ ナイト」から変わりました。演出も変わったし。以前は良くも悪くも、お客さんに迎合していたというのかな、このあたりまで作っておけば大丈夫という商業主義的な考えっていってもいいかな。優しいツボがあって、初めて芝居を見る人にはいいかもしれないけど、ちょっと違うなって。それで一度、バラそうと思った。みんなにどう思われるかというよりも、嫌われるか好かれるかでいいと思って芝居をやり直したので、見てる方はどう思うか分からないけれど、うん、そこで芝居が変わったと思います。

−ほう。
山崎 前回の「サンクチュアリ」公演のアンケートを今ごろ整理しているんです。月の作用で心の病気になる、統合失調症のような症状が出てくるという話なんですが、アンケートを読むと、私も同じ病気だという内容がかなり多かった。その人たちにとって舞台は、浮かれている私が実は病んでいるのではないかとか、病んでいるのは私だけではないとか、そういうふうに見えるのかな。

−劇団は何人ですか。
山崎 5人、うち男性1人。大募集中です(笑)。

−影響受けた劇団や舞台はありますか。
山崎 何でしょうかね。高校生のとき、別役実の「カンガルー」を見てしびれてしまった。すぐに文化祭でやった。高校生って恐ろしい(笑)。

−周りから変わってると言われませんでしたか(笑)。
山崎 言われた、言われた(笑)。先生も「おまえは何を考えているんだ」。文化祭でも全然受けなかった(笑)。

−これからは。
山崎 今年は2回公演を予定しています。激しく動いていこうかと。自分たちの芝居はエンターエンターテインメントだと思っているし、そう思ってメンバーが取り組んでもらわないと困ると思っています。

−アート、芸術ではないと。
山崎 見せ方は芸術でもいいんです。やっている側の気持ちの問題かな。圧倒的に楽しませますよ、という気持ちがないとエンターテインメントではないと思う。見る人が勝手に感じてくれればいいというのはエンターテインメントだとは思えないんですよね。
  静かな芝居でも暗い舞台でも、ともかく圧倒的におもしろいから見に来てください、という気持ちで作りたい。せっかく時間とお金を払って見に来てくれる客さんに楽しんでもらおうという気持ち。それは役者も同じだと思います。その役者を見ていたいというオーラを舞台で出さないと、役者として責任を取ることにはならないと思う。
  それは意識やエネルギーの問題だと思います。ものすごいエネルギーを使って動かないのと、まったくエネルギーを使わないで動かないでいるのとでは、違うと思う。例えば暗転でも、眠くなったりこれで終わってしまうということでなくて、もっとここにいたいと思う空気感が大事だと思う。
  私たちの芝居はすごく温かいですねと言われるけど、意図して温かく作っているわけではない。ただすごく優しいものを作ろうとは思っている。それが気持ちいいかどうか分からないけれど、優しいものにしたい。でもただいい子、いい子ってすれば、優しくなるわけではない。この箱だと優しさが通じるけど、こっちの箱だとまだ通じない、という段階にあるから、まだまだエネルギーを貯めたい、高めたいですね。

ひとこと>「元気になって」「楽しんでほしい」などという作り手のメッセージはこれまで何度か聞いてきました。今回の山崎さんは少し違っています。楽しんでもらいたいし元気になってほしいのでしょうが、作り手側として「すごく優しいもの」を「ものすごいエネルギーを注いで」作りたいというのです。こういうことばに出会ったのは久しぶりです。「父」に関するコメディーを期待して待ちましょう。(インタビュー・構成 北嶋@ワンダーランド)

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