生バンド出演、飲食可の日もある! ライブ・テイストな舞台に
谷賢一(たに・けんいち) |
−前回アリスでの第6回公演「小部屋のマリー」が「CoRich注目ランキング」で上演期間中は連日1位をとり続け、大成功をおさめられた谷さんですが、今回第7回公演は「ジャニス・ジョップリンの生涯(仮)」を上演されます。その舞台の話や昨年のアリス・インタビュー(07年3月)以降の活動についてお聞きしようと思ってます。
谷 はい。
−現在(8/25)脚本はどのぐらいの仕上がりですか?
谷 今回は、全部書き上がっています。それを役者に渡して、最初は好きにやってもらうことにしてます。
−それはいままでの作り方とは…
谷 違いますね。いままでは稽古の最初の2週ぐらいの中で、やってみては持ち帰って手直しをして固めていくという形でした。
−ご自身のブログ「PLAYNOTE」の中で、「次回公演への宣言を兼ねて書いておこうと思うのは、もうこういう作り方はしない、ということ。(中略)次は、もっとストレートに、物語とそれを演じる役者の身体だけに頼ったことがしたいと思う」(2008年06月17日『小部屋の中のマリー』を振り返って)と書かれているのが、たいへん印象的だったのですが。
役者の「身体性」を追求していきたいという中で、今回の「ジャニス」でやりたいことをお聞かせください。
谷 難しいですね。そんなの読んで、インタビューを読む人が楽しいのかどうかとも思うんですけど(笑)
「身体性」と言っても、よくある「フィジカルシアター」的なものだとか、舞踊的なものだとかを取り入れていくというような意図はないです。いままで、空間の区切り方、空間の使い方、シーンの重ね方などに自分の関心と時間をかけていたので、そういうことはそろそろ止めてもいいのかな、と思っているんです。それらは、もう自分の中ではいつでも必要な時には引っ張り出せるので、今回は役者の体のもつ色気だとか、オーラだとかというようなものにこだわりたいと思ってます。
演出家目線で芝居がどう構成されているかということよりも、ことばがきちんと発声されていることも「身体性」だし、役者自身の「Existence」みたいなものがより顕著にでてくるものにしていきたいなぁと思ってます。
−この場合「Existence」は「存在感」ということでしょうか?
谷 そうですね。
ジャニス・ジョップリンという歌い手は、歌っている姿を見ると、生命観、オーラ、存在感、色気というものが、当時の映像を見てすら伝わってきます。いってみれば、魔力というものがある。彼女が好きだから余計感じるのかもしれませんが、演劇でなければ触れられないはずの「ヒリヒリした感じ」というが彼女の表現の中には漂っています。その「ヒリヒリした」歌を見せたい。
今回はセリフがどうだとか、物語の構成がどうとかいうよりも、むしろ、歌そのものがどれだけ説得力があるかとか、ぽつんとつぶやく短いセリフにどれだけ説得力がもたせられるか、とかいうことに帰着する舞台になっていくのではないかなと思っています。
なるべくシンプルな物語をつくろうと考えていたので、ジャニスが、ちょうど良かったのです。前からどうしてもやりたかったものでしたし…(笑)。
−評伝ものは、以前ユトリロ(第二回公演「ラパンアジルと白の時代」)の時にやってらっしゃいますが、今回はそれとは異なるやり方なんでしょうか。
谷 そうですね。ユトリロの時は、彼自身の全人生を追っかける構成だったんですが、今回の「ジャニス」は死の間際の3週間ぐらいだけをやろうと思ってます。
彼女には若い頃や、デビュー前、1st、2ndアルバムの時とかにも、かなり面白いエピソードがあるんですが、そういうのを包括的に並べていって構成的に面白くするやり方はとらないことにしました。最後の3週間に彼女が見せた、消える前に火がボッと強くなるような「きらめき」をクローズアップして見せたいと思ってます。
−なるほど。
ちょっと嫌ないい方をしますが、役者の体を見せたいから、生で歌う、というのは方法論としては安直だというそしりをうけるかもしれませんが…。
谷 安直でいいんじゃないかな(笑)
ジャニスの歌がやりたいという初期衝動がまずあります。それをやろうとしたときに、操作や演出を加えてたとして、歌をうまいっぽく聴かせることはできるかもしれませんが、それでは「身体のもっている説得力」を見せることにはならないだろうと思ったんです。
けっこういい女優はつかまえたのですが、ジャニスに歌そのもので対抗できるわけではないですし、歌でデビューするとかいうのでもないです。
ジャニス自身、「アクトレス・シンガー」といわれかたをすることがあります。考えてみると俳優というもの自身が、「イタコ」のように「憑依者」だと考えられます。ジャニスには自分自身の過去の記憶が憑依していると思われるので、彼女が感じていた苦痛の深さや、コンプレックスの大きさを考え合わせると、彼女は非常に演劇的な存在であると思うんです。だからこそジャニスには有無を言わせぬ存在感というものがあるんだと思う。
そういう部分はこれから俳優を叩いていけば、きっちりだしていけるだろうと思っています。
−ジャニスはじめ、出演者はオーディションで決めたんですよね。
谷 そうです。
−歌手を演劇に出す? 役者に歌わせる? どちらでしょうか?
谷 あんまり線引きはしていません。ただ歌のうまい子がでてるというのではなく、きちんと演出を加えていく中で、舞台の中の歌として存在感のあるものにして行きたいです。
今回、バンドを演じる役者の中に、プロとして通用するような、歌唱指導もできるし、演奏テクニックもあるというのがいてくれるので、音楽的なスキルアップに関しては心配してません。だから俳優として説得力を持たせ、味付けをするところで自分の仕事があると思ってます。
−今回はジャニス役だけでなく、バンドのメンバーも俳優として芝居にでてるのですね。
谷 そうです。
−では次に、昨年から活動されている「柏市民劇場CoTiK」について伺います。
これは立ち上げから谷さんがおやりになったんですよね。どういう経緯ではじめられたのですか?
谷 動機はシンプルでして、「柏で助成金がある」というのを「fringe」(小劇場演劇の制作者を支援するサイト。http://fringe.jp/)で知って、ものすごく驚いて。自分が住んでいる芸術・文化に関心がなさそうな地方都市に助成金ができて、しかも演劇も応募オッケーというのですから、じゃあ、自分が応募しなかったら、だれが応募するんだと思ったんです(笑)。
イギリスにいたときから、コミュニティ・シアターというものが気になっていました。今までの自分は、同年代の人たちと芝居をすることが多かったので、6、70代の人が考えていること、特に演劇をどういう風に考えているかを知ることはとてもおもしろいだろうなと思ったというのがあります。また高校生たちとひさしぶりにやるのもいいなとも、思いました。
自分にとって地元が薄っぺらくなってしまっていて、なにかしようと思うと新宿へでてくるしかない生活で、家は帰って寝るだけになっていました。だから地元で友達関係やコネクションが築けたらおもしろいだろうなと思ったこともあります。柏の住人たちもみな寝に帰ってくるだけとか、主婦仲間とだけしか話をしない人とかも多いだろうし、そういう人たちがつながりが持てたらいいんじゃないかなと思ったわけです。
−東京に近すぎるから余計、文化的なものがないという現状はありますよね。
谷 そうです。千葉都民になっちゃって、映画や演劇は都内にでかけるという。ま、行けてしまうんでそうなるんですけどね。
−1回目の公演を終わってみてどうでしたか? 演出だけではなく、庶務や雑務も多かったでしょう。
谷 死ぬほどたいへんでした(笑)。
−得るものはありましたか。
谷 はっきり言って演出家としては成長しなかったですけど…。やった後に変化として感じたことは、大きくいうと、自分の中での演劇の許容量というか、演劇の定義について、前より柔軟になれたように思います。また、素人を俳優として鍛え上げるということを経験して、自信がついたということもあります。
−「演劇の許容量、定義が柔軟になった」というのはもう少し説明していただくと…
谷 自分が活動のメインにしていたのは、今回公演するダルカラという集団ですが、そこでは自分の美学、文章論、演出論などをギリギリまで追求してやっていけました。だからある意味、狭苦しいところがある。でも、CoTiKは「市民劇」ということで、素人さんができることを、手加減するというのではなく、入りやすさを優先してやりました。その結果、そういうものの中にもおもしろさが見いだせました。
自分が企画したとはいえ、発注されたもの、要請されたものを作るという側面がはっきりとあったので、それをきちんとできたのが「柔軟性」が増したということだと思います。また客層、俳優層、戯曲に合わせて演出のスタンスを調整することが、すんなりうまくいけたというところが、自分の「許容量」が広がったと感じました。演出家としての対応力がついた、といいたいですね。
その後、ミュージカルの演出をしました(JMS「Little Woman〜若草物語」)。ミュージカル自体はやったことがあったんですが、なぜこのぼくに「若草物語」なんだ? というところはありました(笑)。でも自分が得意ではなさそうな戯曲を振られた時にも、それでもその中に自分らしさを盛り込んだり、戯曲に歩みよったりということが、自分にはできないんではないかなと思ってたんですが、意外とできたのが収穫でした。自信と言うよりも安心した感じです。
−「若草」の戯曲というのは…潤色したのでしょうか?
谷 いえ違います。ブロードウェイで上演されたものを、版権をかって、そのまま翻訳してやりました。版権があるので脚本に関しては全くいじってないです。といっても、翻訳を自分でしたので、ずいぶん自分のスタイルは入っていたはずなんですけどね。シーンをカットしたりとかはできないので、脚本に合わせてやりました。いい経験になりました。
−今年のCoTiKは「源氏物語」だそうですが…
谷 昨年の「ロミオとジュリエット」は原作の脚本があるわけですが、今回は自分で脚色します。実は「ロミジュリ」も原作は3分の1しか残ってなくて、残りはシェークスピアの文体を模して自分で書いたんですが、みんな気がつかなかった(笑)。そういう意味では「ロミジュリ」にも十分自分らしさは入っていましたが、「源氏」に関してはゼロからたたきあげて脚本にする作業です。自分では扱ったことのない時代、扱ったことない古典なので、おもしろそうだなぁと思っているんです。
−それは劇作家としてですか。
谷 もちろんそうですが、「源氏」を与えられてどう演出するか、というのは突きつけられているので、あの劇場でどうするかとか、オープニングシーンはどうするかという演劇的な視点を持って作り上げて行きたいとおもってます。原文で全編読んで脚本に取りかかろうと思っています。
−長大すぎるということもあるのでしょうが、先行作品で嚆矢といったものが、残念ながらない作品ですので、十分に期待しています。
谷 ありがとうございます。
−最後に、お聞きしたいのですが、谷さんは実によく調べ、取材し、本を読んで書くタイプの作家さんという印象を持っています。
ブログでも演劇レビューだけでなく、映画や読書にもずいぶん分量をさいてます。他ジャンルのどのようなものが好きだったり、意識したりしてますか?
谷 どれだけ忙しくても活字を読まない日はないですね。海外文学が好きなんです。
最初のぼくの読書体験は、恥ずかしながらヘルマン・ヘッセでした(笑)。高校生ぐらいの時です。高校まではけっこう思い上がって、学校の勉強ぐらいならなんてことないと思ってました(笑)。ただ作文が苦手だったり、芸術がよくわからなかったりしたのが、悔しくて、小説を読み始めたんです。最初はおきまりの村上龍・春樹からはいったんですが、最初につきささったのが、ヘッセが神秘的に傾倒していくあたりの作品群でした。だから最初はヘッセ、次はカフカですね。カフカはほんとに好きです。日本だと芥川とか漱石ですね、やはり(笑)。
−芥川は「藪の中」を脚色されましたものね。
谷 はい。
最近はリアリスティックな傾向が好きになってきて、ジャック・ケッチャムのように、猟奇性の中にすごく鋭い人間観察眼があるのがお気に入りです。一番人間のエグいところをえぐり出した後に、でもそこからはい上がろうとする姿勢が感じられて面白く読んでます。パウロ・コエーリョは、でかいテーマに挑戦してるところが好きです。
戯曲ではもちろんシェークスピアとギリシア悲劇が一番好きだし影響をうけました。詩は恥ずかしいのですが、ヘッセやゲーテ、寺山修司が好きでした。世代がそうなんですが、ブランキー・ジェット・シティやNumber Girlも歌が好きでしたので詞もよく読みました。
社会科学は精神医学や宗教学が好きです。といっても、本格的に勉強する時間はとれないので、新書などで、興味のある分野を読む程度ですが。
−「日本」についてはどうですか
谷 日本・日本人というくくりにはあまり興味がないんです。むしろ日本はどうでもいい。人間のアーキタイプを表現してるものが好きですから。
−本日はどうもありがとうございました。
<ひとこと>10年後の演劇シーンのトップランナーが期待される谷さんは、言語は明晰で、論理も明確。しっかりした「自己の世界」を確立している。過去の脚本はどれも完成度が高い。今回はドラマ性の追求から離れ、伝説のロッカーを点描する。本格的ライブを構成し、重厚なブルースが響く空間を創造してくれそうである。そして、次が「源氏物語」! 注目すべき才能のこの振幅の大きさを見よ! 期待して劇場へ向かおう。 (インタビュー・構成=香取英敏)