<三浦佑介さん> サルとピストル「地下100度線上のアリス」(10月31日-11月3日)
あまり幸せでない?アリスの物語
鈴木厚人さん

三浦佑介(みうら・ゆうすけ)
1980年東京生まれ。桐朋短大演劇専攻科卒。2003年、サルとピストル結成。蜷川幸雄、木村光一らが演出する舞台に出演。映画でも活躍。特技はスキー、殺陣、ローラーブレード。
劇団サイト:http://www.geocities.jp/saru_pisu/
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−三浦さんは桐朋学園大演劇科の出身なんですね。
三浦 そうです。実は母も桐朋出身なんです。一浪しているときにあちこち放浪して、ニューヨークに半年ぐらいいました。そのときの体験から、帰国したら芝居をきちんとやろうと思って桐朋に入りました。

−高校時代は演劇活動してなかったんですか。
三浦 全然やってません。遊んでました(笑)。実は千葉県の山奥にある全寮制高校にいましたので、演劇とは無縁でした。大学時代は専攻科に進んで、蜷川幸雄さんの授業を受けたり演出していただいたりしました。

−結成はいつごろですか。
三浦 卒業してすぐにサルとピストルを結成しました。5年前ですね。最初は1回だけのユニットのつもりでしたが、3年前に活動再開しようと思ったときに、サルとピストルという名前にもう一回お世話になろうと…。いまのメンバーは最初のときと全く違います。手元に資料も残ってなくて、第1回は幻の旗揚げ公演ですね。

−作・演出は三浦さんが多いのですか。
三浦 今度やる公演を含めてここ3回は、メンバーの大塚が担当しています。ぼくが作・演出の時は、テーマだけ稽古場に持って行って、そこで練り上げていくやり方でした。そういう方法で短編集を作ったり1時間半のパフォーマンスをしたりしていました。如月小春さんの初期作品「家、世の果ての…」を基に作ったこともあります。一つのせりふを違う役者にしゃべらせたり、如月さんは結構実験的なことをやっていましたし、何より雰囲気自体が好きなのです。

−如月さんは取り上げる素材も演劇の方法論も次々に更新した印象があります。特に亡くなる前の数年はアジアと女性に関心を寄せ、国際的な会議を開くなど幅広い交流活動を組織しました。そのころではなく、実験的な手法で「時代」を探ろうとした初期の作品ですね。
三浦 「家、世の果ての…」は桐朋の1年のとき、生まれて初めて演出した作品です。学園祭で演出をすることになったんですが、入学して演劇を始めて半年でしょう。訳も分からないし、トンでもない失敗をやらかした。悔しくてずっと温めていて、それから数年後ですね、再演しよう、再挑戦しようと思ったのは。初回は台本通りにやりましたが、再挑戦のときは恐れ多くも、ぼくなりにセリフをほとんど書き換えました。あとは現代の役者に合わせて、セリフを変えました。台本に凝り固まらずに、時代時代の空気にあわせるのが如月作品ではないだろうかと思っていたから。如月さんに生前、台本は好きに変えていいからって直接言われたこともありましたしね(笑)

−今度の作品は?
三浦 「地下100度線上のアリス」です。昨年タイニイアリスで公演して、その舞台を評価してもらって今年のアリスフェスティバルに呼ばれたんで、それじゃあアリスを取り上げてみようか(笑)。脚本担当の大塚と、アリスは何でウサギの後を追いかけて行ったんだろうとしゃべっていて、あれは追いかけたというよりも、逃げたんじゃないのということになった。そのあたりは書き込まれてはいないけれど、アリスはあまり幸せじゃなかったんじゃないか、幸せだったらウサギを追いかけて行ったりしなかったかもしれない、そんな前提で書いてみようと話し合ってできた作品です。

−アリスは物語の後半、一生懸命逃げまくるんじゃなかったですか。
三浦 そうですね。最初追いかけていて、いやになって途中で帰ろうとしてから追いかけられて裁判にかけられたりさんざんな目に遭っちゃいますね。アリスは空想に逃げて、結局は空想からも逃げ出してしまう。いろんな女性にアリスのことを聞くと、好きは好きでもそれほど具体的な理由が出てこない。服装が好きとか、雰囲気がいいとか、そんな感じでした。とっても扱いにくいし難しと思うけれど、だからやってみようかと。

−ほう。
三浦 ぼくらは子供ではないから、アリスの物語のように、次々に起きる事象だけではもう喜べない。アリスの物語はいろんなエピソードが次々に出てくるだけ。おそらく作者のルイス・キャロルが船の上で話しているアドリブだから当たり前と言えば当たり前だけれど、でもぼくらは次々に起きる事象を結び付けるドラマにどうしても関心が向いてしまうし、そこに心を動かされる。しょうがないですよね。大塚といろいろ話していますが、彼が書くのは基本的にファンタジー要素が強く、日本の古典を基に台本を書いたりすることも好きなくらいの人なので、まず、現代リアリズム物にはならないでしょうね。

−劇団の特徴、作風はどんなところにありますか。一貫性、といってもいいのですが。
三浦 劇団メンバーからも、うちの一貫性は何かとよく言われますね(笑)。「劇団に一貫性がないとお客さんは困っちゃいますよ」(笑)。そういわれて考えるんですけどねえ。うーん、ないですね(笑)。むしろ、そういうことにとらわれること自体ぼくはいやなんです。びっくりさせたい、驚かせたいということは第一に考えます。でも戦争反対を主軸におくなんてことは一切ありません。脚本でも演出でも、そういうことを前提にしてやるとろくなものができない。おもしろいもの、楽しいものを追求すれば、結果として必ず、なにがしかのメッセージが浮かび上がってくる。だからたぶん、一貫性はなくて大丈夫なんだろうなと思っています。というと、制作からも劇団員からも、うちの劇団を宣伝するとき何といえばいいのか、と言われてしまう。だから「おもしろいことする劇団」、と言っているんですけど。

−いまは戦争反対をむき出しで叫ぶ劇団はあまりお目にかかりませんけどね。サルとピストルの何度かの舞台を通じて、結果的に浮かんでくる共通のもの、その特色は何なんでしょう。
三浦 すごくやかましいシーンと静かなシーンを一緒くたにしようとしている点でしょうか。みんなが盛り上がっている騒がしい場面に、静かな音楽が流れている。逆に静かな場面にワーッとやかましいエネルギーがある。そんな相反するものをどう表現するか考えています。多分、テーマに近いんだと思います。高校時代は千葉県の木更津にいましたけど、基本的に生まれも育ちも東京です。六本木生まれ、佃島育ちだから、山の手と下町のハーフっていうことで(笑)。
  東京はおかしなところで、すごくうるさくてノイズだらけだけど、意外に盛り上がるものがない。それが絡み合って何かを生み出すというより、街にたくさんの人がいても歩き方や歩く方角がまちまちでちぐはぐ。そしてそれぞれが無関心。意識はしていませんが、ぼくが演出した舞台にそんな感覚が流れているような気がします。だからものすごく悲しいシーンを無機的な感覚でやってみようとしたりします。あとそうですね、破壊と創造を同時にやろうとするところところもありますね。自分で造って自分が壊すのはおかしな話ですけど、どっか悶々としているから、そこから脱却したいと思っているんじゃないでしょうか。でもやってみても躓いたりする。だから、橋を少しずつ造りながら爆破しているイメージかな(笑)。

−ひところ作家の村上龍がしきりに「突破する」と力を込めていたのを思い出しました。
三浦 ぼくはそこまでマッチョになれない(笑)。ものすごく突破したいと思っているんだけど、行くぞ!オーッ!というタイプではない。ちょっと逃げ腰かなあ。でもこっそり爆弾を仕掛けて爆発させるみたいな。うーん、難しいですね。

−メンバーは何人ですか。
三浦 5人です。そのうち今回役者として登場するのは3人。ぼくもちょこっと舞台に出るかもしれません。メンバーはほとんど桐朋の後輩です。在学中、白塗りの芝居もやったことがあるんです(笑)。そのとき一緒にやったのが多いですね。白塗りといっても大駱駝艦みたいなのではないですよ。服は着ていましたし(笑)。尊敬はしてますが、あのころの人たちにあまり良いイメージはないです。なぜって、やりたいことをやって、壊すだけ壊して、いま野っ原にしたのはあの人たちではないか(笑)。寺山さん、唐さん、ちょっとずるいんじゃないなんて(笑)。

−舞台や映画、CMなどいろんな出演経験を積んでいるメンバーが多いですね。
三浦 基本的には、メンバーには色んなところに出て経験をすることをむしろ推奨しています。で、いろいろやってきて自分の劇団に帰ってきたら、そこで学んだことを生かしてくれると思うから。楽しみなんですね。ぼく自身も、役者として映像作品をやらせていただいたり、、「羊のしっぽ」という劇団で寺山修司さんのお芝居に出演させていただいたり、桜会というシェイクスピアのお芝居に出演させていただいたり、商業から小劇場から、なんでも出て行きますし。11月のうちの芝居が終わった後は三越劇場の舞台に出たりしますしね。

−影響を受けた舞台や作家、演出家はいますか。
三浦 ニューヨークに滞在したとき出会った公演がおもしろかった。一つはストンプと呼ばれるパフォーマンスです。そこら辺にあるデッキブラシでゴミ缶や壁などをリズミカルに叩いてサウンドを作り出すんです。もうひとつは、南米(アルゼンチン)の集団ビーシャビーシャの「デ・ラ・ガルーダ」と、「ブルーマン」のパフォーマンスです。いやブルーマンより、シルク・ドゥ・ソレイユの「ラヌーバ」かな。これはニューヨークじゃなくて、ディズニーワールドの中にある劇場でみたんですけど、この4つは芝居を始める前にアメリカでみていて、結構おもしろかった。「デ・ラ・ガルーダ」は4回も観たかな。衝撃でした。当時のぼくは確かに、ただ騒げればいいという面もありました(笑)。でも奥が深いから、惹かれるんですよね。
  ストンプは、労働者街で若いのがそこら辺にあるものを勝手に叩いて楽しがっているところから自然に生まれた音楽というかパフォーマンスというか、ストーリーはなくて、ひたすら叩きまくっている。そんな感じです。それを楽しんでしまう。
  「デ・ラ・ガルーダ」は、何も予備知識がない方がいいと言われて、情報ないまま見に行ったんですけど、説明に「learn to fly」とだけ書いていある。狭い小屋に入ったらお客さんがいっぱいいて、どこで芝居をするのかと思っていたら、照明が暗くなって天井がぼんやり明るい。やがてその天井を突き破って人が出てくる。紙でできていたんですね。その紙天井が全部破れると、結構天井が高くて、みんなハーネスを付けて空中を縦横無尽に飛び回っている。壁を駆け回る人もいる。Tシャツの人もスーツの人もいましたが、そのうち着ているスーツが破けてパンツ一丁になったり。照明もめまぐるしいけれど、音楽は民族系だったり…。それまで無感動な生活を送っていましたが、そのときは全身鳥肌が立って、これはすごい、おもしろい、ワァーッとなりましたね。水も降ってくるし男女入り乱れてものすごいパワーでした。1999年ころですね。
  これが出発点です。イメージ的には、ものすごく鬱屈を抱えている人が、広い大地でワーッと叫ぶ。そんな感じですね。それをやりたくて、いろんな実験を重ねているところが確かにありますね。だからいろんなことがやりたくて、試しに「静かな演劇」もやりました。平田オリザさんの本を読んで勉強して、レストランのような会場で…。

−いろいろな人が出入りする半公共的な空間を設定して…。
三浦 そうです、そうです。半公共的で、プライベートになりすぎない。開店前のバーという設定で、店の用意とかしてて、常連とかは入ってきちゃうような空間で、そこのママと不倫相手の男がいて、やがて男の娘が現れて、という芝居でした。

−やってみていかがでしたか。
三浦 「静かな演劇」に偏見を持っていましたが、自分でやってみると意外にスピード感もあるし、説明しすぎない言葉は逆に空気感が必要になるし、いやー、おもしろかったですね。いろいろ発見がありました。「静かな演劇」は言われているようなスーパーリアリズムじゃなくて、作り物という意識がないと出来ないお芝居なんだとやって初めて実感しました。自分は勘違いしていたのかもしれないなぁと思いましたね。

−なんで「静かな演劇」だったんですか。
三浦 実験好きだし、飽きっぽいし、なんでもやりたがる(笑)。ともかくいろんなひとがおもしろいって言ってるんだから、きっとおもしろいことがあるんじゃないかと思った。だったら試してみようと。やってみてたら、大きなものを目指していくんじゃなくて、小さなものに集中していくのもものすごいパワーだなと、あらためて感じました。

−さて、いろんな話を伺いましたが、これからどんな活動を目指すのでしょう。
三浦 大塚とのコンビでここしばらくやってきました。彼の本は内容が分かりやすくて大味。登場した瞬間に名乗りを上げるような、リアリズムとは真逆にある芝居です。そこが自分にはない部分ですごく好きなのです。ですが、またそろそろ違うものもやりたい虫も顔を出してきました。次には、いま見に来ているお客さんがどん引きするような芝居をやってみたい(笑)。もう少しというか、そろそろというか、ぼくも28歳になったので、自分のフレームを固める時期に差し掛かっているかもしれないとは思いますが、まだまだやりたいこと、興味をもったことに正直にいきたいと思っております。
(インタビュー・構成 北嶋孝@ワンダーランド)

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