<錫村聡さん> 手作り工房錫村 第12回公演「真っ盛り」 (2010年4月21日-25日)
ケチくさいことはしたくないから、カネは稼いでくる。だからやりたい芝居をやるの

後藤優也さん

錫村聡(すずむら そう)
 1983年生まれ。生まれてすぐアメリカのフィラデルフィアに移り、幼少時期をそこで過ごす。一つ上に姉、一つ下の妹、父親と母親は小学生のころからの幼馴染結婚!愛情をひとの3倍もらい、夜にはティータイムのある理想的な家庭で育つ。横浜国立大学で演劇と出会い、2006年「手作り工房錫村」を立ち上げ、同時期に始めた実演販売で稼ぎながら地に足付けて挑戦的な芝居をつくり続けている。
webサイト:http://tedukurikoubou.web.fc2.com/
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− どなたにもお聞きしてるんですが、錫村さんの演劇との出会いについて、お聞かせください。
錫村 今年、28歳です。ぼくは、医者になりたかったんですね。父親が名古屋大学の医学部の教授なもんで、自分も医者を目指してました。2年受験したんですがダメだったんです。国立しか行かせないって言われてたんで、教師になろうかな、と横浜国大にいきました。
  名古屋にいた高校までは、演劇とは何の関係もなかったんですが、「北の国から」の「遺言」で唐十郎さんがトドって役で出演しててそれを見てうまいなぁってずっと思っていたんです。僕の聡(そう)って名前は脚本家の「倉本聰】」からきてます。
  その唐さんが国大で劇団作ってるっていうので(※1)行ってみたら、酒盛りしてまして、唐さんが学生を噛んでたんですよ。ガブッ!って(笑)。それからみんなをひきつれて、10人くらいでしたか…、トイレに連れていって、「便器にキスしろ!」って、みないわれるままに、ブチュってしてまして(笑)。ぼく、唐さんのこと何もしらなかったんですが、なかなか居ないなぁ、こんなパワー持っている人は…ってところがはじまりでした。後々まで考えるんですが、偉い先生はたくさんいるんでしょうが、ぼくは唐さんという日常生活で決して会うことができないような人に最初に出会ってしまいましたから、決定的でした。なので、偏見なのかもしれないですけど、都内の有名な小劇場でみるような芝居が嫌いなんですよね(笑)。もっと肉体がグッとでてくるのが好きなんです。

− 唐じこみなんですね(笑)
錫村 唐さんが新宿の原っぱや鬼子母神とかでやっているの見ると、美しいんですね。ゼミ室にビデオがありまして、「盲導犬」とか「ジョン・シルバー」とか見て…、いやぁ…、面白かったなぁ…。今、テントに見に行くと、昔からごらんになっているんだろうなって方がたくさんいて、ああ、ずっと来てるんだぁと思いますね、すげえな、と。昔の紅テントは上演が長かったんですよね?

− ええ、3幕で3時間半とかざらでしたね。
錫村 それであのテントで集中力をもたせるのスゴいと思うんですよ。環境もよくないのに。それは「肉体」がないと成立しないと思います。で、今の若い人たちがやっている演劇でそういうものを感じることがあんまりないんですよね。舞台で観客の感情を揺さぶれるってことがすごいって思うんですよねぇ。でも10何回やって1回くらいあるかどうか、なわけですけど(笑)。求めてはいきたいです。
  また、ぼく暗転って大嫌いなんです。暗転が見えた瞬間に蓄光(※2)が見えたりすると最低な気持ちになるんですよ。そんな役者のための目印をこっちに見せるなって思って、極端ですけどそれで2度といかなくなった劇場があります(笑)。そういう約束事だらけで成り立っているんですから、芝居ってずるいって思うんですよ。
  だからぼくは、蓄光を2000くらい貼って、ずーっと暗転なしでやって、最後にパチッて暗転した時に、テープが一面に光る「蓄光の星」ってシーンを作ったんです。その時にふつうのお客さんはポカンとしてたんですが、演劇人にはおお受けで(笑)。そういう蓄光みたいなことって、なんかお客さんをなめてる気がするんですよ。
  唐さんの場合は、暗転も中途半端だったり、外の明かりが平気で入ってきたりするのに(笑)、しらけることはひとつもないっていうか。だから、「肉体」を、絶対にださないといけないなって思います。こぎれいに音楽かけて、暗転して、シーン変わりましたってのは、大嫌いなんですよ。
  だから、それがタイニイアリスが好きな理由になるんですけれど、あんまりきれいじゃなくて、地下にあって、薄暗くて、空気詰まってて、独特なにおいがあってってのが最高ですよね。ぼくらはテントたててやってたんですが、最近難しくなって(※3)、いろいろな劇場を渡り歩いたんですがアリスに出会ったんですよ。
  4年前に旗揚げしまして、ゴールデン街劇場とサニーサイドシアターっていう小さいところで勝負を始めました。シアターブラッツでやったあと、拝島のポルノ映画館借りて、昔のロマンポルノと今のアダルトがどうちがうかって話をやりました。そして、07年にアリスです。その時のは面白かったですよ、「ジャングル女、十和子」(笑)。4回目か5回目の公演でした。そこで、上海儀劇学院のプロデューサーにであって、誘いをうけて去年上海へ行ったんです。面白かったですねぇ。観客280人中120人、怒って途中で帰りましたからね(笑)。
  上海で絶対にやりたかったのは、自分たちの「からだ」だけで、芝居が成立するのかどうか、勝負したかったんです。なので、脚本の翻訳を2枚分にまとめたものだけを配って、字幕なしでやりました。それでお客さんの集中力をとぎれさせたら「負け」ってことでやったんです。そうしたら、ダダダダダッて…、お客さんは帰っていくので、役者はみんな泣いてましたね(笑)。「こんなに怖い舞台はない」って口をそろえていってました。

− 今回の「真っ盛り」ですが、キャストの紹介をしてください。
錫村 劇団員はいません。ぼくと音響の丸谷っていうの二人でやってます。今回は彼は参加してませんが、彼はさる広域暴力団の息子で、子どものころピアニストを目指してたんですが、小6の時にそれをいったら、おやじに「おまえは極道になるんだ!」といわれて腕折られたそうです(…!)。それでおやじから逃げて横浜国大に入ってきたというやつで、めちゃめちゃ面白いんです。彼がぼくのそばにいる間は面白いものつくれるんじゃないか、って思ってます。ところが今回「最近、錫村さんつまんなくなりましたよ」っていわれちゃいまして、「1度外から見させてください」って、今回離れてんです。…だから…今回は面白くないかも…(笑)
  寺地芙美子と二階堂瞳子(バナナ学園純情乙女組)は、美しいものがだせんるんじゃないか、と思ってます。この二人につんとつきぬける美しさを出してもらいたい。
  寺地は面白いんですが、この子、海外に連れてったら絶対面白くなるんだろうなと思ってたので、1か月前インド連れてったんですよ。ぼくは今まで3度くらいインドいってるんですけど、バラナシに二人で行って、ガンジス川に飛び込んで二人ともぐずぐずになって、楽しかったんですね。ただ大学で知り合って1回やっただけなんですけど、すごく美しかったですね。もちろん下手くそなんですけど。そんなのはどうでもいいんで…。
  平田ハルカっていうのは三重県で保母さんを26までやってた人なんです。そのあとENBUゼミの前田司郎さんクラスに入ったそうです。飲み会で初めて会った時に、皿洗いロボットという役で出てもらえたら最高におもしろいなと(笑)ずっと考えていたんです、失礼で言いだせなかったんですが。

− いやぁ、キャストの紹介だけで、十分面白いですね。
錫村 劇団の中で一番可愛い子がヒロインってよくある感じが大きらいなんですよ(笑)。

− 錫村さんは演劇以外でもプロフェッショナルな仕事をなさっているとお聞きしましたが。
錫村 もう何年も、「実演販売」というのをやってます。実演は完全歩合なんで、うまくなれば食っていけます(笑)。あれってまさに「演劇」でしてね。でも、なかなか演劇人が入ってきてもプロとして定着しないんですよ。「おれって面白いだろう」ってなっちゃう人が多くて、みんな「もの」の下に入れないんですよね。確かにこっちがでれば、笑ってもらえて、受けるんですよ。その代わり商品は消えてしまって、拍手して終わりになるんです。どこかで引かないとダメなんです。それがわかるまで何年かかかりました(笑)。普通、人が集まれば売れるって思いがちなんですが、そんなもんじゃありません。一番重要なのは右45°にいる人が買う気じゃないと全員帰ってしまうんです。この45°の人が買う気だと、後ろのお客さんは「あ、この人買いそうだからまだ見てていいや」ってなるんです。気持ちよく見ていられるんです。この人が買う気がでてないと、みんないつ帰ればいいのか、ってなるんです。
  だから、ぼくは演劇人として、演出をやる上で人を巻き込めない、金も稼げないんじゃ、芝居を続ける資格なんてないんじゃないかと思ってます。僕が稼いだ時に劇場費だけは払っちゃって、お金の心配は極力しないように努めています。

− でも、実演の事務所のプロフには「趣味:演劇」ってありますよ。
錫村 あっ! これっ! まずいなぁ(爆笑)。事務所に勝手に書かれちゃったんですよ。すぐ自分でなおします(笑)。
  ぼくは矢野顕子のライブなんか最高だと思うんです。あの表現力とはじけぶりでしょうか。だからぼくは演劇で、こぎれいでうまくやって、売れていろんなところにでるなんてまったく興味がないんですね。旗揚げからしばらくは、学生ばかりで、ド下手で芝居をずっとやっていくつもりはないんですが、エネルギッシュでともかく面白いやつらがあつまっていたんです、しかもうちにしかでないって子がばっかりで、でも、大学を卒業して広告会社や新聞社とか皆いいとこに就職しちゃって(笑)。一緒になって芝居を作れるメンバーが増えて行ったら、加速度的に面白くなっていくと思います。
  今年は若手演出家協会の新人賞をとります。こんなことばっかやってて、お客さんも少ないんで、ぼくは気にしてないんだけど、評価を受ければ、仲間がおちつくってことはあると思いますんで。ぼくら長いスパンで考えてますんで今回だけでなく、これからもよろしく、長い目でみてください。

【注】
※1 「劇団唐ゼミ☆」の前身の唐ゼミのこと。97年唐十郎横浜国大教授就任。00年唐ゼミ発足01年から。8回の公演を経て(青テント公演含む)5年プロ化。主宰は中野敦之。
※2 舞台に目印をつける蓄光テープのこと、暗くなった時に薄黄色にぼんやり発色するものが多い。
※3 姉歯事件の影響で建築基準法が厳格適用になり、テントにも建築許可が必要になったと聞いています。

ひとこと> 会った途端にそのパワーに圧倒された。「実演販売」で鍛えあげたトークは息もつかさぬ面白さを持っている。インタビューは予定時間の3倍超。今回原稿に起こせなかった「脇筋」も大爆笑の連続。この人が作るものなら、是非見てみたいと思わせる輝く魅力に満ちていた。(インタビュー・構成 カトリヒデトシ)

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