<小島屋万助さん、本多愛也さん> 東京黙劇ユニットKANIKAMA「KANIKAMA collection 番外編」(2011年1月28日-30日)
 「黙劇」が「想像力」を呼び覚ます 日韓競演のステージで

k.r,Arryさん

小島屋万助(こじまや・まんすけ)
1956年、群馬県桐生市生まれ。劇団青年座研究所入所。劇団風車を結成し公演活動したあと1985年、東京マイム研究所入所。1987年、ソロ公演「脳みそぐりぐり」を群馬、東京で上演。以後フリーのパントマイミストおよび小島屋万助劇場主宰者として、国内および海外で多数の公演を継続。1993年、アジアマイムクリエイション実行委員会を設立し、代表者の一人としてアジアやヨーロッパのパントマイミストと文化芸術交流を深め、現在に至る。
本多愛也(ほんだ・あいや)
1983年、東京マイム研究所入所、パントマイムを始める。1990年にパフォーマンスユニットZOERNA association結成、ソロ公演やアンサンブル公演を続けている。海外公演も多く、ヨーロッパやアジア各国の演劇フェスティバルに参加。パントマイム以外にもブルースハープの演奏や、ナンセンスマジック、ダンスの振り付けなど多岐にわたって活動中。昭和音楽大学院の非常勤講師、「北九州パントマイムフェスティバル」マイム指導などパントマイムの普及に努めている。

KANIKAMAサイト:http://ameblo.jp/kanikama2000/
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−タイニイアリスには随分前から出演されていますよね。ぼくも何度か拝見した記憶があります。
小島屋 そうですね。アリスフェスティバルに出た最初のころ、ぼくは太地企画というグループに参加していていました。そのあとフェスティバルの中にいまは懐かしい「10時劇場」(<NIGHT THEATER10>)という枠があって、そこで何度かソロ公演させてもらいました。小島屋万助劇場「脳みそぐりぐり」シリーズですね。アリスさんとはそこからの付き合いです。

−小島屋さんと本多さんがアリスにコンビで参加したのはいつからですか。
本多 確か数年前*が最初じゃないかなあ。
  * 第23回アリスフェスティバル2005に「東京黙劇ユニットKANIKAMA」として参加。
小島屋 本多さんはもともと東京マイム研究所の先輩で、そこで知り合いました。ぼくは早くからソロ活動していたんですが、よく手伝ってもらってたんですよ。小島屋万助劇場の公演で、本多さんとアンサンブルを組んで舞台に出たし、国内も海外も回りました。そんなことが積み重なって、そのうちに二人でやろうか、ということになりました。
本多 KANIKAMAと名乗ったのもアリスフェスティバルに参加したころだったね。

−KANIKAMAという名前は、「カニ蒲鉾」から付いたそうですが…。
小島屋 そう、ちょっとインチキ臭くておもしろいだろうぐらいのアイデアだった(笑)。ただ理屈を言えば「虚構の世界を遊ぶ」というコンセプトなんですよ。

−「東京黙劇ユニット」は前振りというか、サブタイトルというか…。
本多 KANIKAMAと名乗っただけではよく分からないといわれるもんだから…。
小島屋 ちょっとかっこ付けた(笑)。マイムというと身振りだけと思われがちだけど、ぼくらは芝居仕立ての舞台を作ってるので、いい言葉、ぴったりのネーミングはないかと考えました。

−「黙劇」という名付けはとても印象的でしたね。ちょっと虚を突かれたというか、文字で書かれたテキスト、声に出して聞こえてくるセリフをとりあえず括弧にくくっても「劇」が成立するというコンセプトというか自負というのでしょうか。マイムという言葉はやや既成概念がこびりついているので「黙劇」という打ち出し方はとても新鮮でした。
小島屋 舞台を見てもらうと分かるんですが、いわゆるマイムとはちょっと違った方向に進んでいるのかな。ぼくは演劇活動を10年やってからマイム研究所に入った。もともと俳優志望だったんです。
本多 ぼくは高校時代に演劇活動をしていませんでした。それで芝居をやるために、まずマイムを覚えておこうと思って研究所に入った。それが20数年もこの道に(笑)。

−そうはいってもお二人は内外、特に海外公演は随分回を重ねてますね。
本多 海外はアジアマイムクリエイション実行委員会の活動であちこち行きました。
小島屋 そう、1994年から活動を始めましたね。それまで韓国などにマイムとして何度も招かれていたので、そろそろ日本でもフェスティバルをやろうじゃないか、と言うよりやらざるを得なくなってアジアマイムクリエイションという団体を作りました。それから6年間、アジアやヨーロッパからいろんな人たちを呼んでフェスティバルを各地で開きました。だから思いっきり関わったんでまた声がかかるようになってどんどん広がりました。韓国には何度も行きましたねえ。10回ぐらい行ったかな。
本多 アンサンブルで小島屋さんと組んで行ったりソロでも出掛けました。

−韓国ではどんなところで公演を開いたのですか。
小島屋 ホントにさまざまです。小さな町の劇場公演もあれば、都市の広場で開かれるイベントに呼ばれたり、大道芸と一緒にやってみたり、ソウルの大劇場のフェスティバルに参加したり…。

−KANIKAMAの舞台の特徴はなんでしょう。
小島屋 ぼくらは広場の大道芸的なパフォーマンスよりも、劇場でしっかり見せる方が持ち味が出るかもしれません。今回の舞台は三つありますが、その一つでぼくはサラリーマンとなって登場します。世の中が嫌になって自殺しようとする男ですが、なかなか死ねない。彼(本多さん)は死に神で、それが任務だから何とか死んでもらおうとがんばる、という設定です。そこでどれだけおもしろいことができるか、というわけです。ぼくがやると、ソロもアンサンブルもたいてい、こんな感じかな。彼は彼で独自の世界を持っています。
本多 マイムといってもダンスみたいなものもあるしクラウン(道化師)芸のようなのもあるし、いろいろです。ぼくら二人はそれぞれでやるときも二人で組むときも、ストーリー仕立てというか無言劇に近いスタイルですね。
小島屋 そうですね。

−黙劇コントとも言えるわけですか。
小島屋 かなり近いんじゃないですか。二人の遣り取りを聞いて、単なるバカバカしいコントと捉え人もいるだろうし、何か考えるヒントがあると思う人もいるでしょう。特に(タイニイアリス・プロデューサーの)西村博子さんには過大に評価してもらってますが(笑)、そこまでの意味性、象徴性を考えてやっていると言うより、二人でどれだけ遊べるかを考えながら延々と稽古してるわけです。その結果をお客さんに投げてさまざまに受け取っていただくことになるわけです。

−KANIKAMAはお二人だけですか。
小島屋 実は、演出の吉澤耕一がいて3人なんです。彼は今日、都合が悪くて来られなかった。売れっ子の照明家だからものすごく忙しいんですよ。でも演出をしたいらしい。まったくお金にならない、小さくて貧乏なぼくらの演出を(笑)。

−吉澤さんは初期の遊◎機械/全自動シアターで演出担当でしたね。
小島屋 そうです。いまでも高泉淳子さんたちが出演する年末公演「ア・ラ・カルト」の演出をしています。
本多 青山の円形劇場で毎年暮れにやりますね。もう20年以上続けてます。ぼくも折々参加してます。

−吉澤演出はとても自然というか透き通っていて、まるで演出が介在しないような印象を受けますね。
小島屋 基本はぼくらなんです。ぼくらが作りますね。それがお客さんにどうきっちり伝わるか、うまいこといじってもらってます。リアリティーが感じられない個所は細かく指摘されますよ。

−吉澤さんとはどこで知り合ったのですか。
小島屋 (太地企画の)大橋瑶介つながりです。大橋、吉澤の二人は早稲田大学の劇研(演劇研究会)出身でしょう。94年のアジアマイムクリエイションで一緒に活動してから、吉澤さんとはホントによく付き合うようになりました。それ以来、海外公演も一緒ですね。

−今度の公演は、韓国のグループも登場します。合同公演なんですか。
小島屋 いえ、一緒の公演と言ってもそれぞれが登場して舞台を見せる形式です。先日韓国へ行って、そのグループEmpty Spaceの作・演出の金星然さんに会ってきました。若い人たちです。ぼくが行き始めた当時、韓国のマイムはアバンギャルドで抽象的だったりショッキングなものが多かった。ぼくらのように物語を軸にして舞台をつくる演劇的なマイムは見かけなかった。ぼくらは韓国で随分公演していて、多くの人たちがおもしろがって見てくれた。当時の韓国でマイムで活躍していた人たちはいま、大学の先生になっている人が多い。学生にぼくらの公演ビデオを教材として見せるらしい。実際の舞台もよく見てますね。

−お二人が韓国のマイム界にまいた種が回り回って若い世代に花開いた、ということでしょうか。
小島屋 そこまで言えるかどうかは別として、何らかの影響を与えてきたとは思います。彼らの公演ビデオをみると、ぼくらの舞台とDNAが似てる(笑)。参った、 と思いましたね。

−どんなステージになりますか。
小島屋 というわけで(笑)、違うテイストの舞台をお見せしようと演目を考えました。ぼくと本多がそれぞれソロで、そのあとアンサンブルの舞台になります。合わせて1時間ぐらいかな。そのあと韓国の舞台になる予定です。
本多 ぼくのソロは、高校野球の話をマイムで演じてみようと思います。
小島屋 これが見事なんですよ。投手、捕手、内野手、外野手、それに打者や監督、審判、観客や売り子まで、高校野球の風景に登場するありとあらゆる人たちが現れて、それがドラマになるんです。

−小島屋さんは。
「止まらない男」をやります。食欲が止まらない男。もう、何でも食べてしまう。

−人を食った話ではないんですか(笑)。
小島屋 そこまでは行きません。せいぜい猫止まり(笑)。二人でやるのは、先にお話ししたサラリーマンと死に神の話です。
本多 Empty Spaceはアンサンブルで1時間の公演です。ぼくらも同じだと退屈させちゃうので、ソロとアンサンブルにしてみた。

−Empty Spaceは何人のグループなんですか。
小島屋 出演するのは数人、スタッフを入れ来日するのは全部で9人と聞きました。

−日本と韓国のマイムが同時に見られるんですね。KANIKAMAの舞台を要約すると、 どういう表現がぴったりでしょう。
小島屋 いい年のオッさんががやりたい放題ふざけ散らして遊びまくっているところでしょうかね(笑)。

−セリフはまったく出ないんですか。
小島屋 出ませんねえ。
本多 荒い息づかいとか、シェーとかウーとかは言うかな(笑)。

−言葉を発したいと思うことはありませんか。
小島屋 うーん。ぼくらの舞台では、しゃべってるけど音がない、ということはありますよ。言葉は大事ですけど、言葉のない方が想像力を刺激することもあるんです。言葉がないからこそ、想像力が働いてお客さん自身が「分かる」。その獲得体験がおもしろいんじゃないですか。

−漫画の吹き出しが空白だったり「……」だったりということなんですね。逆に猛烈にしゃべりまくるコーナーを作ってもおもしろいんじゃないですか。
本多 やってることとまったく無関係なことをしゃべるのはありかな(笑)。
小島屋 でもね、セリフを話そうとすると猛烈に緊張する(笑)。やめときましょう(笑)。

【編注】
・Empty Spaceは「Two Policemen 二人の警官」。ベテラン警官と新米警官が衝突しながら殺人事件を捜査する−。韓国の人気若手マイム集団の公演。
・「日韓ワークショップ ―体はどう違う?―」(小島屋万助・本多愛也・金星然)
☆日程&料金(ワンレッスン¥2,000)
  1月26日(水)19:00〜
  1月27日(木)19:00〜
☆予約・問い合せ タイニイアリス tel.03-3354-7307
  tokyo@tinyalice.net

ひとこと>KANIKAMAは、マイムらしからぬマイムというより、新しいスタイルの身体表現と言えるのではないでしょうか。「言葉がないからこそ、想像力が働いてお客さん自身が『分かる』。その獲得体験がおもしろい」と言う発言に、KANIKAMAの自負と特色が色濃く出ているように思います。空白の吹き出しに、めいっぱい楽しさの詰まった「黙劇ユニット」の舞台をぜひ一度体験してもらいたいと思います。韓国の若手グループとの競演も楽しみです。(インタビュー・構成 北嶋孝@ワンダーランド)

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