<アダチマミさん> アダチマミ×無所属ペルリ「大衆セルフ」(20011年5月28日-29日)
 自分が自分でよかったと思えるものを求めて

−いま多くの若い人たちがダンス、身体表現の領域に飛び込んで活動しています。アダチさんは10年ほど前から活動し始めて、2005年にグループというか集団プロジェクトで活動し始めてますね。

アダチ 2005年までは学内(お茶の水女子大)で仲間と一緒に活動しつつ、当時外部ではダンスと言うより、パフォーマンスに近い身体表現を一人でやっていました。ダンサーや役者と組むこともありましたが、人よりモノと共存する方がしっくりきていて。グループとして何かしたいと思ったのは2005年ですね。

−個人ではなく、集団で表現する、したいという欲求が煮詰まってきたんですか。

アダチ 要素の多い方がいい、という感じかな。もともと自分はダンサーらしいダンサーだとは全く思ってなくて、便宜上舞台に立っているけれども、自分でなくても成立するなら立たないと思っているんです。いろんな人 と無所属ペルリを作って活動したいと思ったときも、メンバーは固定でなくていい、流動的で構わない、考え方が共有できるならそれだけでいいと思ってました。人も増やしたい、音も自分で考えたい、美術も自分で作りたくて、私がソロのときから協力してくれた人たちはそういう自分の考えを理解してくれているので、やってみようか、と一緒に活動が始められたんですね。

−在学中からコンテンポラリーダンスというよりはパフォーマンス系の表現活動だったんですか。

アダチ 一応、小さいときからバレエやダンスをやってはきたので嫌いではありません。ただバレエだとパとか、いわゆるバレエ的身体とかがあって、その尺度の中での優劣があります。そういうところからどんどん外れたいという志向が強くて。一人で活動しているときもジリジリした時間とか、期待させておいて最後まで放置とか、見に来る人をトコトン裏切っていきたい(笑)という気持ちがいまよりもっと強かったと思います。(横浜の)STスポットでダンス企画として実現した場でも、それは一貫していました。

アダチマミ×無所属ペルリ公演から
【写真は、アダチマミ×無所属ペルリ公演から。提供=アダチマミ×無所属ペルリ】

−それがどうして活動休止になったんですか。

アダチ 2005年に活動停止した理由はいろいろあるんですけど、私たちは公演という形で他人様からお金と時間を取り上げて、特定の場所に拘束して、実はなくてもいいものを見せる、五感を縛り付けるわけです。最初の頃は自分がしたいこと、思うことをただすればいいと考えていたんですが、そんなことをしていいのか、という気持ちがずっとわだかまっていて、ちょうど大学を卒業する前後にそれが壁になったということですね。  それでも芸を生業にしている人たちのそばにはずっといたいと思っていて、卒業してからサーカス暮らしを2年ほどしました。某ミュージカル劇団や芸能事務所にも勤めました。芸人とか俳優という演じる側ではなくて、裏方、マネージャーとして働いていました。周辺をぐるぐる回っている感じですかね。

−5年も活動を休んでいるというので、てっきり子育てかと思っていました。

アダチ 一緒に活動していたメンバーの中にはもちろん子育てで忙しい人もいるし、アフリカの某国で唯一の日本人になった人もいますが、みなそれぞれですね。

−うかがうと、かつてのメンバーは相当変わっている人もいますね。中心メンバーに似たのかな(笑)。

アダチ うーん、そういえば変ですよね。確かに当時のメンバーで誰ひとり、いわゆるまっとうな道を歩んでいる人はいない。自分たちの中ではそれなりにしっかり歩んでいるつもりですけど、周りは変態扱いかな(笑)。

−でも世間的にまとうなコースを進んでいまごろ電力会社に勤めていたりしたら辛いでしょう。変でよかったかも(笑)。ところでサーカスではどんな仕事だったんですか。

アダチ 芸事には関係しませんでした。ダンスをしていたとも言ってませんでしたし。ただ仲良くなるのは自然と芸人や、その子供たちでしたね。もともと俗っぽいものや猥雑なものに惹かれるんです。それが好きになってなにがいけない、という。サーカス暮らしがしっくり来るので、辞めてしまったいまでも、サーカス的に暮らしたいなと思っているところはあります。

−活動を再開しましたが、いまの時点で、休止した理由について吹っ切れたんでしょうか。

アダチ いままではいかに観客の視線や感性を裏切るか、思い通りにやらずにどれだけイライラさせるか、と頭で考えてパフォーマンスしていたところがありました。いまでもやること自体はそう変わっているとは思いませんが、狙ってやることよりも、観客にすべてを委ねてみようと思えるようになりました。そこが微妙に変わってます。稽古場でのテンションも、昔より穏やかになったんじゃないかな。いや、変わらないかな(笑)。頭の中の設計図にダンサーをはめ込むんじゃなくて、ダンサーの身体的特色や癖を引き出したり手掛かりにしたり…。 活動を止めた理由に決着が付いたわけではありませんが、その疑問が自分の中になじんだというか、それが稼ぎだとやっていけないという感覚がなくなりました。他人を拘束したくないと思っても否応なく拘束してしまうときもあるし、劇場という器の問題はあっても、いま自分がそこでやりたいと思ったらいいじゃない、と思える。問題が解消されたわけではないけれど、動きやすくなったのかな。やっていくうちに、答えが変わっていってもいいと思います。

−頭の中の疑問や課題が身体の方に降りてきて、それらを意識しながら身体は動かせる、動いていくというイメージでしょうか。

アダチ そうですね。病気と似ている気がします。完全には治らないけど、それはそれとして、まあ付き合っていこうという感じじゃないでしょうか。敢然と闘うスタイルも付き合いかたの一種なら、時々忘れたり棚上げもしながら、ほどよくお付き合いしましょうというのも暮らしのスタイルですから。

−なるほど、なるほど。さて、以前のメンバーは身近にいた人が多かったと思いますが、再開後はどんな方々と一緒なんですか。

アダチ 結果的には学生時代つながりのメンバーになりました。コンテンポラリーダンスのカンパニーで活動している人、コンクールで賞をとるようなバリバリ現役のダンサー、いまは2児の母とか非営利法人の職員とか…。身体の特徴もバラバラですから、それぞれ歩く姿、動くスタイルも違います。

−タイトルはどう付けているのですか。今回は「大衆セルフ」、その前は「トランポリンの上で殴り合い」(2005年1月)と「まな板の泳ぎかた」(2005年8月)でした。ソロ時代は「無駄足コンフリクト」(2001年)というのもありましたね(笑)。

アダチ 「トランポリンの上で殴り合い」は別にトランポリンが出てくるわけではなく殴り合うわけでもありません。「まな板の泳ぎかた」にまな板は出てきませんし、泳ぐわけでもありません。それだけは言っておきます(笑)。伝わるかどうかは別として、自分の中では、そのとき考えたイメージや気分とタイトルはしっかりリンクしています。例えば「トランポリンの上で殴り合い」の場合は、人と向き合って殴ろうとか、かわそうというとき、地面がしっかりして揺らがないことを見込んで運動するわけですよね。そもそも足元がふにゃふにゃでは相手に当たらないし、相手のパンチもかわせません。でもそのときはふにゃふにゃしてたんです(笑)。それでディ・プラッツ主催の「ダンスがみたい!新人シリーズ」に出場したら批評家賞をいただいてしまった。それで身構えたところがあって、どこがよくて賞をもらったんだろうと、批評などで書かれたものを読むと頭ではだいたい理解できるけど、それを全部かなえてあげるのが私の仕事ではないし、でも踏まえていかないといけない。ということで次の公演は、まな板の上に乗せられながらも泳いでいかないといけないので「まな板の泳ぎかた」(笑)。

−今回の「大衆セルフ」は?

アダチ いままで話したことで分かると思いますけど、もう見る人に委ねちゃおう、という気分ですね。実は直前の仕事は刑務官だったんです。あまり人前で言ってませんけど。だって「刑務所に務めていた」と言うと、まず、罪を犯して刑務所に入っていたんだろうと思われる(笑)。「…ああ、そうなんだ、でも気にしないから大丈夫」なんて言われてしまうキャラのようで…。それは余談ですけど、そこに務めていたとき、いや勤務していたとき(笑)、近所に「大衆セルフ」と書かれた看板を見つけたんです。なんとも中途半端であか抜けない、大衆食堂風の店でした。なんだ、あのセンスは、と記憶に残っていて、今回の公演に当たって自分の気分は「ご自由にお取りください」という感じだよなあと思ったら、その看板がパッとひらめいた。それで「大衆セルフ」(笑)。

−どんなステージになりますか。

アダチ それぞれのシーンに実現したいかなり具体的なイメージがあり、それを稽古で落とし込んでいきます。それらはバラバラのようでいて、ちゃんと関連しています。だから創作ノート的な文章をプログラムに載せる手もあるかもしれません。でも全部さらけ出すと、そうだったのかと分かるかもしれませんが、それだと観客の想像力を縛るような気がして…。どこまで出すか出せるか…。

−どこか一個所が腑に落ちたり響いたりすると、それぞれのパフォーマンスのつながりが見えてくるということでしょうか。でもこれを狙って作りました、という言葉を見聞きしたからその公演が理解できたというわけではないだろうし、だから見たいと思うかどうかも分からないですよね。

アダチ アウトプットから逆にたどっていくと、普通の公演だと分かりやすいタネをすぐに見つけられるかもしれませんが、ペルリの場合はトリッキーというか、そこを巧妙に仕組んであります。最終的な答えのところは二転三転して、ひねくれてるんです(笑)。最初に私が提出するのはわりにベタで青臭い。そこを見破られてはまずいだろうという、照れがあるのもしれませんね。

−もうひとつ、この3月にぼくらの社会は震災・原発事故と遭遇してしまったわけですね。否応なく。この点で考えることはありますか。

アダチ 震災が起きたのはまさに、さてやろうか、という時だったと思います。ペルリにはいろんな人が各方面から集まっているので、感じ方考え方もさまざまで。手を引いてしまった人もいるし、考えたいと言って一時休んでいた人もいます。いろいろやり取りしましたね。
 私たちがやろうとしていることは、言ってしまえば、やらなければいけないことではない。要るか要らないかと言われたら、要らないでしょう。でも私たちがやりたいと思っているのは、社会的なことに直結しているわけではなくて、ごくごくプライベートな部分から出発しているわけです。周りはどうであれ、無所属ペルリの私たちにはやるべき理由があり、必然がある。だからやろうと。とってもプライベートなところから表現活動を始めているので、3月11日で世の中が様変わりしても、わりに影響は少なくて活動できるのかな、揺らがなかったのかなとも思います。自分が自分でよかったと思えるものを求めて生きているので、それを続けてどうしていけないのかと、密かに開き直った部分はありますね。

−最後に、無所属ペルリというグループ名は不思議な響きがあります。謎ですね(笑)。

アダチ 別に謎ではありません(笑)。学生時代から舞踊やダンスの世界は××系とか○○派とか、すぐに色分けしがちです。私たちはそういう世界と違うよね、とつぶやきたかった。それで「無所属」。「ペルリ」は喫茶店の名前なんです。あるイベントに参加したとき、最寄りの駅前で見つけた喫茶店の看板が「ペルリ」。そこに黒船が描かれていて、すごく印象に残った。それで初めは「ペルリ」でしたが、据わりが悪いし「無所属」と付けたんです。

−なるほど。今回の公演タイトルもグループの名前も、どちらもお店の看板が由来だったとは驚きです。いやあ、おみそれしました。マル秘級のとてもいいお話を聞かせてもらいました(笑)。
(東京・池袋の喫茶店 2011年5月19日)

【略歴】 アダチ・マミ(あだち・まみ)
 福岡県生まれ。お茶の水女子大文教育学部芸術・表現行動学科卒。同大学院博士前期課程修了。サーカス、ミュージカル劇団、法務省、芸能事務所等を経て、現在会社員。在学中の2000年からソロを中心に活動を展開。2005年にアダチマミ×無所属ペルリを立ち上げ。同年1月『トランポリンの上で殴り合い』で「ダンスがみたい!新人シリーズ」批評家賞を受賞。同年8月『まな板の泳ぎ方』上演を最後に活動休止。2011年5月、6年ぶりに活動再開。

【公演情報】
アダチマミ×無所属ペルリ「大衆セルフ
☆会場 新宿タイニイアリス
☆日程 2011年5月28日(土)19:00、29日(日)13:00/17:00(開場は開演の30分前)
☆上演時間 60分(予定)

☆構成・振付・演出=アダチマミ
☆出演=二瓶野枝、澤井麻奈美、梶本はるか、アダチマミ 他
☆スタッフ 照明:福田玲子
☆料金(日時指定有・全席自由席)前売:3000円 当日3500円

【ひとこと】
 タイニイアリスのインタビューはほとんどが初対面です。相手の公演を見る機会は少なく、資料だけを読んで臨むことが多いので、ぶっつけ本番が珍しくありません。今回のアダチさんとも会うのは初めてでした。しかし話しているうちに、迷惑を顧みずに言うと、以前から知り合っているような気持ちになりました。インタビューのやり取りから、その弾み方が伝わるでしょうか。少ない公演期間ですが、日程を調整して実際の舞台を見てみたいと思います。きっと外されたり裏切られたりするでしょう。その不思議な快楽を味わうつもりです。(インタビュー・構成 北嶋孝@ワンダーランド)

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