<塚田次実さん・山下浩人さん>「〜の向こう(カラのむこう)」(7月25日-26日)
「人形遣いが踊りを模索し、踊り手が人形に対峙する」
山田能龍さん(左)と後藤隆征さん
【やました・ひろと】
1972年、熊本県生まれ。日本マイム研究所出身。後に演劇から舞踏の世界に入る。高田恵篤舞踏公演などに参加。及川廣信氏に師事し、多方面から学び特に気功から影響を受ける。
Webサイト:http://www13.plala.or.jp/nkoshiba/yamasita.html
【つかだ・つぐみ】
1972年、神奈川県生まれ。「人形演劇プロジェクト2000」に参加したことをきっかけに「ヂバドロ・アノ」を結成。モノとともに舞台に立つ作品を多数発表。黒谷都氏演出の実験公演「月の娘たち」に参加し、等身大の人形と出会う。
Webサイト:http://www.devilrobots.com/marya/

―山下さんは踊り手、塚田さんは人形遣いということですが、お二人の経歴を教えてください。
山下 私は最初は演劇を目指しており、演劇の訓練として発声やダンスとともに始めたパントマイムが、おどりと向き合うことになったきっかけです。そのうちに、マイムこそが舞台に立つうえで最も重要な身体訓練だと考えて演劇を離れ、日本マイム研究所という養成所で3年間みっちりマイムに取り組みました。その後は、マイムと芝居を平行してやっていましたが、3年ほどして今度は舞踏と出会ったんです。

―それは一般的にイメージされる、いわゆる舞踏ですか。
山下 当初は白塗り・ふんどし姿という、もろに舞踏というスタイルでやっていたこともあったんですが、いまでは自分流のおどりを掴みつつ、最近は服を着て踊ることがおおいです。もともとマイムのなかでも踊りに近いことをやってはいたのですが、舞踏を習っている人の多くは自分自身と真正面から向き合っているので、 自分自身を探求していくことに興味が傾いていきました。

―気功もやられているそうですね。
山下 アイコンというワークショップで、パントマイムの第一人者にして気功も精通している及川廣信先生と出会いました。当時、自分ではマイムにかなりの自信を持っていて、最初のレッスンのときに先生の前で自慢げに踊ってみせたのですが、「そんなに体に力が入っていたら、いっさい自分の外部と交流ができないから踊れないですよ」といわれて、すごくショックを受けました。それからは、いままでに習ってきたものをすべて捨てるような気持ちに切り替えて、新たに踊りを始めるつもりで取り組んだんです。気功・バレエ・マイムのほか、身体論・哲学・思想に至るまで及川先生に教えを受けて、それが現在の踊りにつながっています。特に、気功を習ったことで、自分のなかの価値観が大きく変わりました。

―それでは、塚田さんはどのようなご経歴なんでしょうか。
塚田 「人形演劇プロジェクト2000」というプロジェクトが、舞台に関わるようになったきっかけです。チェコから講師として招いた美術家のペトル・マターセクさんによる「オブジェクトシアター」というワークショップに参加しました。これは、モノや人形と一緒に舞台に立つというコンセプトで、モノというのはたとえば大きい布や、折り曲げた紙、アクリルで作ったキューブ、OHPによる映像などを使って、照明・音響とともに総合舞台を作っていくというイメージです。

―「ヂバドロ・アノ」というのはどのような活動なんですか。
塚田 「プロジェクト2000」で知り合った仲間と結成したのが「ヂバドロ・アノ」というグループです(チェコ語でDIVADLOは劇場、ANOはハイ(YES)の意)。「プロジェクト2000」のコンセプトを引き継いで、モノや人形とともに舞台に立つという活動を行ってきました。その後、岡本芳一さんが主宰している人形芝居「百鬼どんどろ」の公演に私がソロで参加して、本格的に人形の世界に触れることになりました。

―その後、等身大の人形と出会うきっかけがあったそうですね。
塚田 「プロジェクト2000」の代表者でもあった黒谷都さんという人形遣いの大先輩がいるのですが、黒谷さんのワークショップや「月の娘たち」という実験公演に参加したことで、等身大の手足がついた人形と舞台に立つという経験をしました。今回の公演でも、そうした等身大の人形を用いていまして、黒谷さんにも相談役としてアドバイスをいただいています。非常に大きな存在です。

―どのような経緯で、お二人が組んで公演をやることになったんですか。
山下 ヂバドロ・アノの公演を私が演出させてもらう機会があったんですが、人形遣いはおどりと似ているところがあるなと感じて、それ以外の舞台でも塚田さんに身体的なアドバイスをするようになりました。でも、単に外から意見をいうだけでは、意図するところが必ずしも十分に伝わらないこともあって、それならば、きちんと二人で作品を作ったほうがいいという話になったんです。今年3月に第1回の公演を行い、今回が2回目になります。

―人形遣いとおどりで、どのあたりが似ているんでしょうか。
山下 おどりは、空間の何かを感じ取りながら動く、何かに対応しながら動く、そして動くためのもともとの要因は自分の内部にあるという考え方をしますが、自分の体を人形に置き換えてみれば、人形遣いも同じような原理になると思います。人形は人体をうつわ化した象徴的存在。その点で、私も人形に興味がありました。
塚田 私が志向している人形遣いは、自分が後ろに隠れて人形を操るということではなく、人形とともに立つという事になりますので、踊り手のかたが自分の身体をとらえるのと同様に、人形遣いとしての身体ということも考えなくてはいけないんです。私はもともとモノから入ったので、そういった身体的なことを踊り手のかたからアドバイスしてもらうのは、非常に参考になりますね。

―「モノから入った」というのは・・・。
塚田 以前はデザインの学校で家具を作ったりしていましたので、もともと立体に関わるのが好きだったんです(笑い)。その流れで、「プロジェクト2000」でも自分自身が舞台に立とうと思って参加したわけではなく、舞台美術のほうに興味があったんです。ところが、実際に参加してみると「全員舞台に立たなきゃだめよ」という状態だったので、そこから舞台に立つことに関わりはじめました。
山下 彼女と一緒にやり始めてすごくいいなと思ったことは、もともと舞台に立とうと思っていなかった人なので、第一に舞台に立ちたいと思っていた人とは違う立ち方ができるんです。そこにすごく魅力を感じますね。以前は自分も「オレがオレが」と前に出ていく感じでしたが、彼女が舞台に立つと、そうした人とは違った見え方がすると思うんです。自分が舞台に立つことがメインになっていると、どうしてもモノが生きてこないんです。一方で、彼女をはじめとしてヂバドロ・アノのメンバーはモノが立つということに喜びを感じているので、そこから僕も学ぶことが多いですね。

―第1回の公演はどのような感じだったんですか。
山下 「塚田次実×山下浩人」として「〜の囁き(カラのささやき)」を上演しました。そのときは二人のシンプルなコラボレーションで、私は人形の置かれている前で踊ったらおもしろいのではないかという発想で、実際に人形に触れることはなかったんです。
塚田 二人が同時に舞台に登場するシーンはあったんですが、動きを絡ませることはありませんでしたね。
山下 なんとなく、私は人形に触ったらいけないんじゃないかという遠慮もありまして。ところが、舞台が終わって二人が人形と並んで挨拶をしたら、お客さんが「あれ、これから何か一緒にやるんじゃないんだ?」という反応だったんです。一瞬、間をおいてから拍手があって(笑い)。舞台をご覧になっていた黒谷さんからも「あなたたちがやりたいことは、あれじゃないでしょ」といわれました。それで、今回の公演では、前回とは一つも同じシーンがないくらい作り替えて、私も人形に触れたり、人形と一緒に立つという場面があります。
塚田 私は今回、人形遣いという存在として、人形とともに踊りを踊ることに挑戦しています。二人がそれぞれの身体として、人形に関わり、踊りに関わるというアプローチができればと思っています。

―ユニット名は特に考えなかったんですか。
山下 前回の公演のときにユニット名をつけることも考えたんですが、やはりソロの二人が組んでやっているということがいいのではないかと思って、二人の名前そのままにしています。
塚田 ヂバドロ・アノを結成したときにも感じたんですが、グループ名があると、メンバー個人としての立場とグループを背負っている立場との違いというのは、おのずと出てきますね。

―今回は「〜の向こう(カラのむこう)」というタイトルですが。
山下 「カラ」というのは彼女の発案なんです。
塚田 山下さんからアドバイスを受けていて、人形遣いにとっての身体とはなんなのかということを考えてみると、やはり踊り手のかたの“カラの身体”に近いものがあると感じています。そして、“カラの身体”は人形にも通じるものだと思うんです。
山下 ある種、踊り手は人形的な身体を目指しているという面がありますが、本物の人形自体が舞台に存在してしまうと、その後にどんな身体が出てきても全然ダメだという意見も前回の公演では聞かれました。そこを踏まえて、今回は最初に踊りから入っていって、私も人形と触れあいながら、そこで対応する身体ということでうまく融合できればと思っています。そして、人間がオーラを発すれば人形の存在感を超えうるという意味で、人形の向こう側に立てるような舞台にしたいという気持ちがあります。

―人形を作るという作業は塚田さんにとってどのような位置づけでしょうか。
塚田 先ほどの話のとおり私はモノから入っているので、人形を作るということも家具を作ったりすることとあまり変わらない感覚ですね。私は家具を作ることは大好きだったし、こだわりもありました。けれど家具は使うもので、そこに何かを込めるということはしませんでした。それと同じように人形に何かを込めるということもないのです。その点は、人形作家のかたの思い入れとはちょっと違うと思います。初めに粘土で原型を作るんですが、私の場合はあまりデッサンなどもせずに、粘土をこねているうちに「あ、こんなのができてきた!」という感じです。

―演出は山下さんということで、お二人だけで稽古をしているんですか。
山下 基本的には二人でやっているんですが、5回に1回くらいの割合で黒谷さんにみていただくようにしています。前回の公演ではこだわりがあって、すべて二人だけで稽古を行ったんですが、結果的に本番では「流れがよくなかった」という指摘も受けたので、今回は第三者の目も入れるようにしました。
(2005年6月12日、新宿の喫茶店)

ひとこと> 山下さんは大学時代に演劇を始めた頃、横内謙介氏の脚本に魅せられたことがきっかけで、扉座を目指して上京したそうです。塚田さんはお父さんが劇団の演出家、お母さんが講談師という家庭に育ったものの、ご自身は演劇にはあまり興味がなかったとか。独特な活動をされているので、初めは手探り状態でのインタビューでしたが、お二人ともとてもフランクで、わかりやすく話していただきました。(インタビュー・構成 吉田ユタカ)

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