<入江崇史さん> SPARK☆プロデュース セレンdipiティー公演「アリス、オキナワ!」(8月24日-29日)
「人間らしいふれあいで癒される 夫を探して沖縄へ行った主婦」
山田能龍さん(左)と後藤隆征さん
【いりえ・たかし】
1959年4月東京・渋谷生まれ。演劇集団円演劇研究所を経て渡米。ニューヨークで5年間演技やダンスなどを学ぶ。帰国後文学座付属養成所に入り、その後テアトル・エコー入団、今年で19年目。昨秋 テアトル・エコー公演「ルーム サービス」(ジョン・マレー、アレン・ボレッツ共作)で役者のフェーカー・イングランド役を演じる。この舞台は昨年度の芸術祭大賞を受賞
セレンdipiティーwebサイト:http://www.spark-serendipity.jp
−「SPARK☆プロデュース セレンdipiティー公演」となっていますが、どういう劇団なのでしょうか。
入江 SPARKという企画集団から依頼を受けてプロジェクトを始めるにあたって、その母体を「セレンdipiティー」と名付けしました。パフォーマンス・アーチストや映像作家、音楽家、舞台美術家らに幅広く声を掛け、協力してもらうことになりました。「セレンdipiティー」(serendipity)という言葉通り、何が起こるか分からない状態から宝物を見つけ出すという意味をこめて、あらかじめ青写真を用意するのではなく、セッションしながら、実験しながら、偶然を拾い集めて形にしていく手法を取っていきたい。SPARK代表の河田清志プロデューサーとそんなことを話し合いました。

−「セレンdipiティー」は演劇ユニットと言っていいんでしょうか。
入江 ぼくの頭の中では、演劇だけにこだわりたくなくて、いまあらゆる事柄が細分化されジャンル分けされたりしていますが、もっと根本に戻って新劇とか小劇場とか区分けせず、そこに音楽家がいたら音楽と演劇で何か協力して作れないだろうか、映像作家が加わったら、画家が入ったらどんなものができるだろうかということをいろんな人たちと試してみたい。
−さまざまな表現者が持っている技能や才能を、コラボレーションしながら舞台芸術に仕上げていくというイメージでしょうか。
入江 そうですね。

−入江さんが作・演出されるんですか。
入江 作・演出というよりも、コーディネーターですね。夢や想いを形にしていくという役割がいちばん近いでしょうか。

−入江さんはテアトル・エコーの劇団員として活躍されています。劇団の中で、いまうかがったような活動は難しいのでしょうか。
入江 テアトル・エコーにはテアトル・エコーのやり方があり、ぼくは文学座の養成所にもいたんですが、伝統ある新劇にはそれなりのやり方があると思います。また結成当初の演劇集団円の養成所にもいたので、何かを壊して新しいものを作るという活気みたいなものがぼくの頭の中にあります。そういう時代だったのかもしれませんが、既成のものから抜け出して、新しいものを新しい手法で作っていこうという気持ちがありますね。もちろんテアトル・エコーの中では楽しく活動しているんですが、自分たちのやり方や形にこだわることなく、いろんなアーチストの人たちと実験的に始めてみようかと思っています。

−今回が初めての試みですか。
入江 いろいろやってますけど、演劇のかたち、というのは初めてです。
−今回舞台には立たれないんですか。
入江 いや。今回はないです。

−入江さんは、円にいらっしゃったのですか。
入江 円結成当初の養成所にいました。寺子屋のようなよさがあったのですが、1年後に規模を拡大して演劇学校のような形態にしようという流れができて、かなり大勢のひとがやめたんです。残ってもよかったんですけど、血気盛んな時期だったんで、ぼくもそのときやめてニューヨークに渡りました。1970年代の後半です。結局5年いました。養成所で演劇の世界にふれたときも衝撃でしたが、アメリカ、特にニューヨークは何でもあり。演劇だけでなく、音楽でも料理でも、何でも自分の発想を自由に形にしていくというのがすごく新鮮でした。いまこういうことを始めているのも、そのころ経験したすべての要素が作用しているかもしれません。

−ニューヨークでは、どんな活動をされていたんですか。
入江 言葉が分からないまま飛び出してしまったので、いくつかオーディションを受けたりしましたが、やはり着実に訓練を重ねてなまりを直した人たちやそこで生まれた人たちが選ばれてしまいます。音楽や美術など言葉が介在しない芸術だとどうにかなったのでしょうが、でも活動への欲求はたまってきますから、ぼくはクラスを受けて朝から晩までダンスをやってました。

−帰国してから、文学座の養成所に入ったんですね。
入江 あまりにアメリカナイズされすぎたものですから、自分のアイデンティティーをきちんとしたかったので、いちばん歴史のある文学座で学ぼうと思いました。

−その後、どんな活動をされたのですか。
入江 文学座の養成所もいろいろ勉強させてもらいましたけれど、もう少し柔軟に活動できるところはないかと感じていました。周りがいつもピリピリしているような感じだったので、アメリカから帰ってきたばかりで、そういう雰囲気はちょっとショックでしたね。創造には何か喜びが伴うのではないかと思いました。文学座にはすばらしい人がたくさんいて、いまでも大好きですけど、当時は息苦しく感じてしまいました。

−テアトル・エコーにはいつから。
入江 もう少しゆるやかな雰囲気で活動できるところはないかと思っていたら、それがテアトル・エコーでした。バランスを取りたいという気持ちが働いたかもしれません。当時はまじめにガチガチに構える姿勢ではなく、もうちょっと違った世界をのぞいてみたかったのだと思います。そしたら居心地がよくて、もう19年になるでしょうか。中の空気が明るいですね。主役の公演も随分やらせてもらって、いろんな方との出会いが持てるプロデュース公演などにも出させてもらいました。外で学んだことを、カンパニーに持ち帰るようなスタンスでこれまで活動してきました。

−今回の公演も、そういう活動の一つになるわけですか。
入江 そうですね。

−どうして演劇の道に踏み込んだのでしょう。
入江 ぼくが生まれたのは東京・渋谷です。すぐ近くに有名なライブハウス「ジァンジァン」があって、高校時代にそこで中村伸郎さん(演劇集団円)の「授業」公演をみて、何週間も通いました。それで円に入ったんです。自分もやってみたくて。「授業」はともかく驚きました。公演が終わるたびに中村さんが、「今日はどうでしたか」と尋ねるんです。前向きでしたね。人生ってこんなもんだよ、と簡単にピリオドを打たないところがすごいですよね。どうしてこの人はこんなに歩き続けていられるんだろう。そう思いました。内緒で養成所を受けて、あとで「受かりましたので、よろしくお願いします」と言ったら、「よせばいいのに」(笑)。

−今回は入江さんが台本を書くことになっているようですね。
入江 インプロビゼーションの第1人者の奥山奈緒美さんが加わったり、実験的に作りたいので稽古期間を長く取りました。台本という形で言葉に書いてそのまま上演するよりは、いろんなシチュエーションを試していくうちに出来上がるものを大事にする、即興劇の手法を取り入れています。

−稽古期間はどれぐらいですか。
入江 通常は3週間とか1ヵ月ですが、その場面場面で必要な人たちが、もう5月から稽古を始めてきました。

−即興的に作るといっても、タイトル(「アリス、オキナワ!」)があり、もちろん全体の流れも決まっていると思います。私たち観客は、どんなお話を期待して劇場に足を運べばいいのでしょう。
入江 まず主役の渡辺江里子さんを迎えてパッと見たとき、すらりとした姿に「アリス」というイメージが浮かびました。団地に住んでいるふつうの主婦役です。ふつうの主婦はルーチンをこなせばそれなりに過ごせて、重要な決断を下すことなく暮らしていける。しかし突然夫がいなくなって、独りで物事を決めていかなければならない状態になるとき、人間はどう変わっていくのかということに興味がありました。誰かの陰に隠れていれば安全だという人が、自分で道を切り開かなければならない状態に置かれたときに、人間って実はものすごく強くて、細胞が全部生まれ変わるぐらいの力を発揮するというか、本来の力をみせる。その枠組みが沖縄という場所だと思っています。ぼくの場合、沖縄に行くと、いままでギザギザになってものが、いっぺんにあるべきところに収まって、ある種感動と喜びを与えてくれる不思議な土地だなと思ってたんですけど、自分の身にあり得ないことが起きた主婦が、沖縄に行くことでどう癒され、どう再生していくのか。自然だったり、陰のない本当に人間らしい人たちと触れあうことによって、本来の自分自身になる物語を作ってみたいと思いました。

−映像が使われる予定でしょうか。
入江 タイニイアリスという会場は小さな空間なので、こぢんまりした劇にするのも手ですが、小さな場所で広い空間を表現してみたかった。映像を使って、青い海や抜けるような空とか、ずっと歩き続ける主人公とか、表現の幅を広げたいと思いました。

−これからも、こういう企画を続けていくおつもりでしょうか。
入江 随分前にインドで世界音楽祭をやろうというお話をいただいて、音楽評論家の湯川れい子さんや音楽家の東儀秀樹さんたちと組んで、プロデュースと演出をしたことがあります。ちょうど10年前ですね。二足のわらじを履くとは考えていませんが、お話を受けたときに形にしたい、おもしろそうな組み合わせだと思えるようであれば、形にしていきたいと思います。

−俳優さんはヒューマンスカイ所属の方が多いようですね。
入江 ええ、最初にヒューマンスカイという事務所から、所属のタレントと一緒になにかできないかというお話をいただいたので、テアトル・エコーの役者も含めて舞台を作ることになりました。

−映像監督は谷村香織さんですね。
入江 ええ。谷村さんはアメリカの大学で演劇と映像を学んだ方で、まだ二十歳代の若い方ですが、シアターとコラボレーションしたいという話を前に聞いていたので電話したら、すぐに乗ってくれました。こういうイメージにしたらおもしろいんじゃないかとぼくが話すと、彼女は映像技術を通してそれを形にしていく。2人で話し合いながら同じ想いに向かって進んでいます。
(2005年7月11日、新宿2丁目の喫茶店)

ひとこと>沖縄から戻ったばかりの入江さんは真っ黒に日焼け。精悍な表情でしたが、語り口はとても柔らかでした。その口調が逆に、さまざまなアーチストらと協力し、新しい舞台芸術を作り上げる情熱を胸に秘めているように思えました。抜けるような海と空のイメージが舞台から伝わり、見る側にも共有できることを期待しています。(北嶋孝@ノースアイランド舎)

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