<志賀政信さん、渡辺熱さん> 劇団ザ・ニートニク「はこのゆくえ」(3月9日-12日)
「ポップでスピード感のある舞台へ 劇団として新たな出発」
志賀政信さんと渡辺熱さん

【しが・まさのぶ】1979年8月岩手県宮古市生まれ。専修大学在学中から俳優を志す。2002年からDEAD STOCK UNIONプロデュース公演に参加。劇団ザ・ニートニク代表。(写真左)
【わたなべ・あつし】1962年東京都生まれ。大学在学中にモデルにスカウトされ、その後商業演劇の舞台に立つ。88年から3年間米国ロサンゼルスに滞在、演技・演劇を学ぶ。帰国後、活動を再開。98年から若手俳優のプロデュース公演を続け、作・演出を務めてきた。(写真撮影=鈴木麻奈美)
劇団ザ・ニートニク:http://dsu.lovepop.jp

−これまでみなさんはデッドストックユニオンという名前で活動していたと思います。劇団になったのは、いつからでしょうか。
志賀 ザ・ニートニクの第1回公演は昨年7月の「民宿チャーチの熱い夜3」でした。それまで活動してきたデッドストックユニオンは演劇プロデュースという形でしたが、その中で若手だけの、新しい演劇ユニットを作って売り出していこうとしてスタートしました。最初は5人でした。でも、それだけでは弱い部分があるので、これからもメンバーを増やしていこうと考えて劇団にしました。演劇ユニットとしてスタートしたザ・ニートニクですが、今回は劇団として初公演と言うことになります。

−演劇ユニットだと不都合があったんですか。逆に言うと、劇団にした方がメリットがあったんですか。
志賀 劇団にすると、主演メンバーが固定します。ユニットで客演が多かったりすると、出演者が入れ替わり立ち替わりになって、観客の側からみるとファンになりにくいのではないかと思います。劇団制にすると、そこに行けばあの人が出演すると印象づけも出来るし、固定客も育つだろうし、ぼくらも世に出て行きやすいのではないかと思いました。

−志賀さんは劇団の代表をしています。キャリアが長かったんですか。
志賀 2001年からワークショップに参加して、デッドストックユニオンに2002年から出演していました。出演してきた若手の中では、ぼくともう1人が一番長いんです。

−小さなころから演劇志望だったんですか。
志賀 親父が寅さん好きで、子供のころよく映画館に連れて行ってもらいました。初めのころは寅さんが実際生きていると思っていましたが、だんだん渥美清という役者が演じていると分かって、役者はいいな、やりたいなあとずっと心の中に秘めていた。上京して大学に入ったので、これはチャンスだと思って俳優をめざしました。

−在学中、演劇部で活動したんですか。
志賀 演劇部ではなく、学外の養成所に通って映像関係のエキストラなどに出演していました。

−ぱっとみると、モデルをしているのかなと思いましたが。
志賀 いやいや、そんな体型ではないですよ(笑)。時代劇に似合う顔と言われますから、モデルより頭が大きいし、足も…(笑)。子供のころからサッカーをしていたせいにしたりして(笑)。
−出身はどちらですか。
志賀 岩手県宮古市です。リアス式海岸で知られていますね。
−岩手県出身のサッカー選手というと、鹿島アントラーズの小笠原選手が有名ですね。
志賀 同じ年齢です。県内では小学校のころから飛び抜けた存在で有名でした。

−デッドストックユニオンに出演して、活動の場は広がりましたか。
志賀 デッドストックユニオンはユニットですが、同時にプロダクションでもあるので専属のマネジャーが付いているので、それ以前とは比べものにならないぐらい仕事は増えました。NHKの専属エキストラで大河ドラマに出たりします。

−劇団としてどんな芝居を作りたいとお考えですか。
志賀 作・演出はデッドストックユニオンのときと同じ渡辺熱ですので、ポップな人情喜劇という路線は変わりません。初めてみる人も笑って泣ける、分かりやすい芝居をめざしたいと思います。今回は、ニートのお話です。自立支援塾を舞台に、そこに集まってくる人たちのドタバタ劇ですね。
(作・演出の渡辺熱さんが出席)
−台本が上がったそうですね。
渡辺 昨日顔合わせで、朝8時半ごろにやっと書き終えました。
−さすがにやつれが(笑)。いままで志賀さんから、サッカー少年が演劇青年にカーブを切るあたりの話を聞いて、さきほどから今回の公演の中身をうかがったところです。渡辺さんが作者ですから、今回の芝居の特徴をお話しいただけますか。
渡辺 舞台は自立支援塾です。いま各地にあるそうですが、そこは3か月単位で合宿生活を送って、ニートやフリーターと呼ばれる人たちの就職支援する場所になっています。登場するのは、昔のヒッピーのように、働いたら負けだと思っている人で、食べていくために働くけれども、普段は歌を歌って過ごしている。でも本人の心の中には葛藤があって、彼を取り巻く支援塾の人や親との関係が描かれます。両親は定年だったり亡くなっている年ごろです。一昔前はプータローと呼ばれていましたが、フリーターと言われるようになった最初の世代がいま30代後半を迎えて、健康保険も年金も保険料を払ってない。塾に来ているのはほとんど自分より若くて、世代の落差も感じます。そういう設定の中で、夢を追いかけるとはどういうことなのか、自分のやりたいことって何なのか。ぶらぶらしているように見える人にも夢があるのではないか。そういうことを考えてみたかった。世の中は回転寿司のようなもので、最初の一皿で何を取るかが大事で、躊躇して逃してしまうとなかなかチャンスがめぐってこないような気がします。

−若い人たちが渡辺さんに劇団を作りたいと相談しに来たのでしょうか。
渡辺 私が劇団にしたらどうかとアイデアを出したんです。ユニットはいまはやっているけれども、もう少しきちんとした形にした方がいいんじゃないかと思って言ったんですけどね。劇団は拘束されるじゃないですか。そういうちょっと不自由な環境で活動してみた方がいいような気がしました。フリーターと正社員のような感じでしょうかね。休日に集まって楽しんでいる草野球チームもいいけれど、やはり勝つ厳しさを肌で実感するプロの世界をめざしたい。訓練を積んで芝居の質を高めたい。厳しいし、イヤなこともあるかもしれないけれど、それでもめざしたいものがある。そういう人たちとチームを組みたいと思う集団の方がいいのではないかと思います。
志賀 確かに劇団になって、ぼくらもホントに頑張らないといけないと思うようになりました。

−メーンのキャラクターはどなたが演じるのでしょうか。
渡辺 劇団の志賀と江藤、それに客演の菊池の3人がメーンになります。

−ヒッピーのような、歌を歌う人は?
渡辺 菊池君です。年齢もほぼ同じかな。

−劇団名のザ・ニートニクはどうして付けたんですか。
志賀 アメリカのドキュメント風の映画「ビートニク」にちなんでるんです。ビート・ジェネレーションの実験精神と同じように、未熟だけれども志を掲げて挑戦していく姿勢が込められています。役者としてはまだニートのように開花していないけれども、目標に向かって進んでいくというイメージです。一緒に始めたメンバーが名付けました。その男はいまいないんですが、ニートから来たのではなく、元々ビートニクから発想した名前ですね。
渡辺 母胎になったデッドストックユニオンのメンバーも元々デッドストック(在庫)だったし、作者も同じなので似てくる部分はありますが、ニートニクはもっとポップなスタイルにして、若い人のスピード感を取り入れていきたいですね。

−これからの活動は?
志賀 劇団としての活動をスタートするわけですが、これからもいい芝居を続けたいしいい役者になりたいし、いい仲間も見つけたい。センスを磨き、役者の力量を上げて、劇団としてお客さんに楽しめる芝居をお見せしたい。そして役者として飯が食えるようになれば、それがまた新しい出発になると思います。
−ありがとうございました。
(2006年2月9日、東京・目黒の稽古場)

ひとこと>子供のころからサッカーに熱中してきたという志賀さん。スポーツマンらしい歯切れのいいお話に若々しい活力と責任感が感じられました。渡辺さんは劇団の母胎となったプロデュース公演を主催し、劇団の作・演出も引き受けています。若手をプッシュする役どころを進んで引き受けているのでしょう。青壮のかみ合った劇団のこれからの活躍が期待できそうです。(インタビュー・構成 北嶋孝@ノースアイランド舎)

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