<恒十絲さん、朱尾尚生さん> 劇団idiot savant 「馴れあう観客」(4月7日-9日)
「未熟は困るが未完成でありたい 映像 音楽 パフォーマンスが織りなす舞台」
白瀧尚子さんと大塚誠一郎さん

恒十絲(こうとおし): 1970年9月千葉県生まれ。高校卒業後、影絵芝居へ。25歳で第三エロチカに参加。5年間の活動の後に退団。劇団プルキニエ・フェノメノンを経て2005年5月、劇団idiot savant(イディオ・サヴァン)結成、座長。今回が旗揚げ公演。
朱尾尚生(あかお・なお): 1976年12月群馬県生まれ。2002年、結成間もない劇団プルキニエ・フェノメノンに加わる。以後、全作品に出演。idiot savant 創立に参加。
劇団webサイト:http://homepage2.nifty.com/is/

−ホームページを拝見したら、とても本格的でしたが、結成のいきさつなどがあまり詳しく書かれていません。そのあたりから話していただけませんか。
恒十絲 ぼくは第三エロチカ出身で、映像編集やホームページを担当している何哉(かや)、それに吉本興業出身の男と、制作の青井、舞台美術の池原の5人で、4年前に劇団プルキニエ・フェノメノンを始めました。かっこよく言うと、アングラと吉本のコラボレーションかな。ともかく、いまの芝居は飽きたよね、ということが出発点でした。これまで3作上演してきました。第1作(「空々しい爪の叙情的嗜好」)はモニター20台と鉄板やチェーンをつりこんだ前衛的な作品、次の公演(「XとRの動機」)は真夏の中野光座で開きましたが、あそこはクーラーがないからものすごく暑い。2.5mの衣装を着せて稽古していたら暑さで俳優が呼吸できなくなって、公演中は酸素ボンベを使ったりしました。3作目(「耽溺」)も中野光座でした。どれもぼくが書いた現代文語を基にしたテキストをベースに、映像や現代音楽を絡めた前衛的表現ですね。
  ところが3作とも見に来てくれた友人に「舞台でしゃべっていたのは何語だったの」と聞かれて、現代口語や現代文語について説明したけれども怪訝そうな顔をしている。もしやと思って「日本語だよ」と言ったら、「そうか、日本語か」(笑)。カタカナと言うか、外来語はいっさい使わなかったのに、さすがにこれはいかんと思いましたね(笑)。いまは分かりやすくと言うのではないのですが、舞台の商品化をどうするか考えているところです。

−メンバーはいま何人ですか。
恒十絲 3作目を上演した後にプルキニエ・フェノメノンを解散して、すぐに新しいいまの劇団を立ち上げました。ぼくと制作の青井と、舞台美術の池原と、俳優の朱尾と、さっき言った映像担当の何哉の5人がメンバーです。

−今回もテキストがベースの作品になるんですか。
恒十絲 今回は無言劇です。毎作テーマのようなものを決めていて、何かを伝えたいと言うことよりも、いま何が伝えられるか何が出来るのかという、割に技術的なことを考えて作ります。1作目は映像を撮ることによって具体的なものにどれぐらいアプローチできるか、2作目は俗に言うアングラをどこまで出来るかだったりします。今回はねえ、具体的にと言うと説明しにくいんですが、間違いなく、一般の方には分からないと思いますよ(笑)。分かる/分からないとか、おもしろい/おもしろくないと言う境界線的なものではなくて、2%から99%までの間でどんよりしていて、なんとなくおもしろくないみたいな感じかな(笑)。決定的におもしろいとか決定的におもしろくないとか言われない、今回の作品はそんなイメージですかね。

−話せる範囲でいいんですけど、今回はどんな…。
恒十絲 北嶋さん、気を付けて。ぼくは何でもしゃべっちゃうから(笑)。
−うーん、それはよかった(笑)。タイトルが「馴れあう客」ですね。客席との関係が俎上に乗ることになるんでしょうか。
恒十絲 板に付いていなければ(舞台に出ていなければ)われわれも観客じゃないですか。われわれも含めた観客に対して、怒らすとか引きずり回すとか極端な表現方法ではなくて、何気なく挑発していきたいな、という感じなんです。この間、ある劇団をみにいって、名前を言っちゃっていいかどうか分からなりませんが、某ポツドールを見に行った(笑)。芝居は無言劇でした。最初は「(演出の)三浦君、かっこいいなあ」(笑)。あの芝居も、おもしろいかおもしろくないかではない気がする。でもあそこまでチンポコ出すんだったら、おネエちゃんはどうなんだよと言うか、男に対する愛情と女に対する愛情が演出的に随分違っていたなあ。出演している女優の中に彼女か、ねらっている女性がいたんじゃないかとか、そんな感じがしなくもない。
朱尾 そんなこと、言わないですよね(笑)。
恒十絲 ただなるほどと思ったのは、そのときどき勃起の角度が変わること。あそこは唯一、生っぽかったなあ。あれが演出だったらすごいと思うね(笑)。あれ、なんの話だっけ(笑)。

−ハイ、馴れあう観客の話です(笑)。
恒十絲 これまで会場だった中野光座は舞台が抜けるといううわさがあって、いや天井も抜けるという話もあって、まあそれはいいんですが、ぼくらはあそこの下に倉庫を持って、そこに300本の単管を持ってます。それでヤードを作って、照明120発でつり込んでいた。でもそれはあまりおもしろくないので、今度はスタンドだけでどうだ、ということになった。スタンドの中の白と黒の不具合からから何かが生まれるといいなあと思ってます。

−タイニイアリスは、ヤードを作るには舞台空間の高さが不足しているかもしれませんね。
恒十絲 あとアーチが気になります。アーチを殺さないで使うとすると、奥にある洗面台をどう使うか考えています。

−総勢12人、そのうちダンサーが4人ですか。上演時間はどれぐらいになりますか。
恒十絲 1時間20分から30分です。あとぼくらの特徴は映像でしょうか。前の劇団の1作目はこの辺を撮りましたが、2作目は雪山にこもりました。カメラ7、8台持っていって、1日で6台が壊れてしまった。いちばん安いカメラで撮った動画を使いました。雪山に白塗りで出かけて、女性はたいまつを持ったりして、山を登って降りたり。その間、深夜3時4時まで起きていて、朝は9時から稽古を始めたり、結局2週間かかりました。夜中に飲んで、ぼくは記憶にないんですが、寝ているメンバーを蹴飛ばして起こして、ダメ出しを繰り返していたそうです。集中してたんでしょうね。
朱尾 ともかくこの間、映像はすごく進化、進歩しましたね。

恒十絲 3作目は四国、京都、広島を回りました。京都では金閣寺へ行って、怒られました。
朱尾 全身白塗り、ふんどし姿で入って行ったんです。入るところまでは大丈夫だったんですが…。
恒十絲 お札が立っていているだけで、ああ大丈夫なんだと思っていたら、お坊さんが出てきて「キミたちは何をしておる!」(笑)。全身白塗り、ふんどし姿(笑)。「キミたちはダンスをするのか!」と聞くから「いえいえ、ダンスはしません」と答えて、しばらくしてからパフォーマンスをしていました。すると案の定また坊さんが出てきて、でっかい声で「それを演技と呼ばずして、なーんと呼ぶ!」(笑)。それで「ダンスはしないと言ったけど、演技をしないなんて言ってないモン」なんて言っちゃったもんだから、坊さんは怒り狂って「出、出て行けー!」。すると女の子が「そこは入り口でしょう。出口はどっち?」と言うと「入り口でも出口でもいい!さっさと出て行けー!」(笑)。広島の原爆ドームにも白塗りで出かけたんですが、さすがにあそこでは考え込んでしまいました。いまはともかく、意味のないことをやろうと思っています。

−今回の映像にそれが反映するんですか。
恒十絲 それなんですよ。聞いていただきたいんですが、今回は東北へ行きました。寒いところへ出かけるんで、風邪を引いて生まれたばかりの子供にうつしちゃいけないと思って、川釣りなんかでよく使う、腰まで入る長靴を履いて出かけたんです。そしたら、雪がない。ちっとも寒くないじゃないですか。現地の人は軽装で歩き回っている。こちらは完全防寒の腰長靴(笑)。こんな格好してるのおれだけじゃん(笑)。海っぺりは雪が降らないらしいんだよね。

−どこへ行ったんですか。
恒十絲 太平洋沿岸の宮城、岩手を回って、最後は下北半島まで。遠かったなあ(笑)。
朱尾 宮城を拠点にして、下北半島まで足を伸ばしました。

−東北でも、太平洋沿岸はあまり雪が降りません。それは大変な道中でしたね。それで撮影した映像を、単なる背景として、記号のように使うんですか。それとも舞台の一部として、ヒトとモノとの関わりを表現するために実写を活用するんですか。
恒十絲 田舎の中で、メンバーが演技というよりは作業に近いイメージで、歩く、手を振るという作業めいた演技を撮り続けてきました。だから映像をそのままとはいかなくて、エフェクトをかけて使うことになると思います。自然のなかで、人工的に作られた衣装を身につけた彼らが作業しているというイメージですね。

−その映像と俳優やダンサーが組み合わさって舞台が構成されることになりますね。
恒十絲 今回、現代音楽を使うときに考えたんですが、あるシーンに音楽を流すと足し算になってしまう。せりふ芝居でも同じじゃないでしょうか。この足し算がとても怖くて、現代音楽も割にフラットなものを使います。あと現代の政治的事件などは極力入れないようにしています。そうですね、未成熟だと困るんだけれども、未完成ではありたいと思うんです。ちょっと生意気な感じなんですけど。なんで彼らの芝居をみて泣きそうになったかというと未完成だから。興奮して客席に飛び出してアドリブで動いたりしゃべったり。これだよなあ、という感じ。それが新宿梁山泊へ行って桟敷童子へ行って、すごく成熟して、エンターテインメントになったりする。ぼくはエンターテインメントだとは思わないけれど。唐さんの舞台にはコアなものがあったと思うよね。

−未完成なものって、唐さんの舞台に感じますか。
恒十絲 それをいちばん感じたのは、ぼくが第三エロチカに在籍したときの「東京トラウマ」とか川村毅さんの一連の作品です。物語もせりふもおもしろくて、演出は割にコントロールしない。その結果、舞台が混沌としてくる。そのときはあまりはっきりしなかったけど、辞めた後に、あのとき川村さんがやろうとしたのはこういうことだったのではないかって、思いました。川村さんはいま、違う方向へ行ってますけど。逆に言うと、完成させようとするいまの若い人たちの舞台を見たときに感じるのかもしれない。おもしれえ、でも十年後も変わってないだろうなって。

−事実確認をさせてください。idiot savant の結成はいつになるんでしょう。
朱尾 去年5月です。前の劇団を解散したのが4月30日ですから。

−解散と結成をめぐって、何を捨て、何を新たに掲げようとしたのでしょう。
恒十絲 抽象的になりますが、前は土の中にいたなというイメージなんです。新しい劇団は、闘っていくという感じ。自分に対してですね。これからやろうとしていることは、商業ベースでは大変だし、だけれども自分でやりたいことをやらなければ意味がない。しかしお金の問題とどこでそう折り合いを付けるのか。その中でやりたいことをやる。そこに彼女(朱尾)が残るし一緒にやっていく。もう結束力ですね。舞台美術担当の池原も含めて、本当に好きな人がやっていくしかない。「お前が舞台を続けたいんだったら、役者がいなければオレが人形を作るからやってみろ」と言ってくれたことが支えになりましたね。いまはとにかく、やりたい人とやりたい。

−劇団の名前の由来は、劇団ホームページをみると、心理学用語だと書いてありましたが。フランス語では賢い愚か者…。
恒十絲 天才白痴という意味ですね。今回はあまり意味づけを考えてなくて、旗揚げ公演でやること、これから続ける方向がなんとなく愚か者めいて思えたりするんです。演劇って何なんだろうという問いがぼくの中にいま強くて、音楽が流れても捌けた音がしても大丈夫な人たち、パンチの引き方、リードの引き方、幕の垂らし方などすべてにおいて釈然としなくて、そういうことにこだわっていきたい。捌けるって何なんだろうとか、トウタイって何なんだろうとか、役とか演出って何、という禅問答のようなことに答えを出していきたい。割に答えは出ているんだけど、それを実現できるかどうか。その意味で劇団を新しく立ち上げたということは、名前を変えて、自分にその問いを定めたということなんです。

−朱尾さんは?
朱尾 前の劇団プルキニエ・フェノメノンが結成して間もなく参加しました。それ以来ずっと活動してきて、私は座長の書く世界観がとても好きなんです。やっぱり本当に好きじゃないと続けられないんだなあと思います。
(2006.3.16、東京・新宿の地域センター)

ひとこと>笑いの絶えないインタビューでした。自由闊達、変幻自在、縦横無尽、快刀乱麻。ときに意味不明と思える言葉が脱線気味に乱射されますが、一瞬で核心をずばりと射通す転換の妙が鮮やかです。そんなインタビューをゆっくりお楽しみください。 (インタビュー・構成 北嶋孝@ノースアイランド舎)

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