<菜月チョビさん>劇団鹿殺し「SALOMEEEEEEE!!!」(原作オスカー・ワイルド)(4月22日-5月3日)
「近未来の『サロメ』を大勢の人に スターに育つ勝負の公演」
菜月チョビさん

 菜月チョビ(なつき・ちょび)
  福岡県稲築町生まれ。関西学院大卒。在学中に丸尾丸一郎らと劇団鹿殺し結成。2000年1月つかこうへい作「熱海殺人事件」で旗揚げ。短いOL生活の後、劇団活動に専念。第4回公演「愛卍情」からオリジナル作品を上演。2005年春上京。路上劇を重ね、都内の一軒家で集団生活をしながら活動する「劇団鹿殺し」座長、演出担当。
劇団webサイトhttp://shika564.com/

−菜月さん、名前を変えましたね。「菜月チョビ」になったのはいつからですか。
菜月:昨年までは「髭の子チョビン」だったんです。去年12月に声帯を痛めて今年の1月に喉を手術したあと、苗字が欲しかったというのもあって復帰する時についでだから変えました。

−「髭の子」が苗字だったのではないのですか。
菜月:電話口では通らないじゃないですか。普通の会社に電話して「髭の子」と言っても通用しませんよね(笑)。

−「チョビン」の「ン」を取ったのは何故ですか。
菜月:「チョビン」だと三枚目な感じがして、主役が出来ないなぁと思って、この際ノリで取ったんですよ。チョビン、チョビンって人には言われるんですけど、なんか生き物みたいなんで。

−だったらなんで最初に「髭の子チョビン」にしたのかなあ(笑)
菜月:最初は「星の子チョビン」だったんですよ(笑)。大学在学中に適当に付けた芸名なんですけど、大学のサークルはお客さんが多くて、1公演で700人ぐらい来てくれたことも。新しく劇団作るとき、名前を変えちゃったら来てくれないかもしれないと思ってそのままにしました。「髭」は後から渋みを足しました。

−「菜月」にしたのは…。
菜月:福岡の稲築町出身なんです。本名に菜の花の「菜」が付くので、母親がそれをどうしても入れてくれって言うんです。手術後3週間ぐらい実家に帰っていたとき、親が決めちゃった。「鹿殺し」という劇団名で十分親不孝になっちゃったから、名前ぐらいは親の言うことを聞こうかと…。

−ついでだから劇団名の由来も聞きたんですけど。
菜月:悪い意味で付けたつもりは無かったんですけど、今思うと「殺し」って入ってるなぁって。詩人の村野四郎の「鹿」っていう詩があるんです。夕日を見ている鹿がいて、後ろで猟師が銃口を向けているのを知っているんだけど、夕日がすごくきれいなので集中して夕日に向かって立っている。それがすごくかっこいい。そこから取ったんですけど、「殺し」は入れなくても良かったなと。丸尾丸一郎と一緒に考えたんです。

−喉はもう大丈夫なんですか。
菜月:今は大丈夫です。ずっと我流でやってたので、最近は病院で習ったりしてるんです。去年から路上で毎日パフォーマンスを始めたので、喉を休める期間がなさすぎて、疲れが蓄積していったんですね。

−路上だとつい叫んじゃうんでしょう。
菜月:そうなんです。路上は広くて壁がないから音が流れていってしまうんです。

−昨年上京して1年間ずっと活動し、今年2月は全国ツアーをしました。みなさん予定通りですか。
菜月:劇団的にも自分としても、もっと成長するかなと思っていたんです。まだまだって思いますね。劇団のスタンスとして長くやっていこうというのはなくて、最終的にみんながスターになれればいいなと思ってるんです。みんなフレディー・マーキュリーが好きで、ビッグスターになりたいっていう集まりなので、人間としてめっちゃかっこよくなれたらいいなあって思ってます。東京来るときも2年間限定で集中してやろうと、仕事を辞めたり大学を退学したりした子もいる。長いことやってぼろぼろになってみすぼらしくならないように、集中してガッとやろうと言って来ました。もう2年目なんで、もうちょっとバンバン行きたいですね。

−バンバンっていうのは、テレビとか映画とかに進出したいっていうことですか。
菜月:うん、いろいろなジャンルでやりたい。ツアーはやってみて本当に良かったですね。東京の2月は寒くて路上パフォーマンスができないから、飢え死にしちゃうんじゃないかって心配があった。で、ライブハウスでやろうと。東京で何回もやってもお客さんはその都度これないから、じゃあ全国まわろうって決めたんです。実際行ってみたらどこも満員で凄い反響があって。みんな自信がついたし、路上とは別で、お芝居をして振り向かせるっていうのが面白いなぁって、演劇自体もまた新鮮に好きになってよかったです。

−ライブでも、路上と同じようなパフォーマンスをみせたんですか。
菜月:いえ、お芝居です。でも会場がライブハウスで、音楽の後なので割と歌とか多くて、台詞もマイク使って肉声ではほとんどやらない。神戸でやってたころのスタイルなんですけど、ちょっと普通の演劇とは違った感じです。

−ライブの合間にやっぱり路上はやったんですか。
菜月:はい、結局やっちゃっちゃいました。どこも人数が集まって、その場で明日行きますって言ってくれる人もいたし、CDとかを興味もって買ってくれる人とかもたくさんいました。

−東京で毎日パフォーマンスしてて、そういうCDだとかグッズの売り上げがメインの収入になるんですか。
菜月:それとカンパですね。

−カンパが集まる時の地域性とかありますか。
菜月:盛り上がったのにカンパが入らないってことも多いんですよ。若い子が多くてみんなお金を持ってないから、すっごい盛り上がって、CD手に取って面白い、欲しいって言ってくれるんですけど、終わったらじゅあって行っちゃう(笑)。その後公演に来てくれたりするから良いんですけど。あと天気が悪かったり寒かったりすると難しいですね。今は秋葉原が一番お客さんが多い。厳しいときは警察の人に取り囲まれて連れて行かれるんですけど、腰を据えて出来る日は一日中出来るんです。

−ではそろそろ公演の話に入りましょうか。今回はどういう内容なんですか。
菜月:今度の公演は「サロメ」という古典作品のリメイクです。私たちは名前も怖い感じだし、みなが知っているお話をやることで、大勢の人たちが足を運んでくれるんじゃないかと思っています。それと全国ツアーで分かったんですけど、ああいうライブスタイルにはすごく引きつける力があるなあって感じて、今回はツアーの演出も取り入れたいと思っています。通常の「サロメ」は一瞬のシーンの物語なので、そのままやると狭くてなってしまうので、今のところ時代設定とかもかなり変わって、ちょっと未来、荒廃した日本になってます。音楽はオリジナル曲をかなりいれたい。ライブでもオリジナル曲をやったんですけど、自分たちで作った歌を歌ったほうが、お客さんも真剣に見たり聞いたりしてくれるので。

−タイニイアリスは、舞台もそんな広くない。みなさん人数も多いし、動き回るには制約もありそうです。どうしてタイニイアリスでやろうと思ったんですか。
菜月:地下の感じとか、新宿のあそこにあるムードはすごいかっこいいと。

−劇団の名前やイメージには合いそうですよね。
菜月:特に丸尾丸がタイニイアリスでやりたいと前から言っていて、東京来た最初のころとか劇場の方に相談に乗ってもらっていたりして割とお話したことあったんです。前回公演したゴールデン街劇場は本当に狭かったので、それに比べたら全然。なんぼでもやれるだろうって。

−作品は、丸尾丸さんが書いてるんですか。
菜月:そうですね、オリジナルになってからはずっと。途中は私も共同で考えたりしますが最後は丸尾丸がまとめます。

−荒廃した世界という言葉が先ほどもありましたけど、そういうイメージがみなさんの中にあるんですか。
菜月:みんなというわけではないんですが、丸尾丸と私はやっぱりお芝居の中にメッセージは絶対入れたいと思っていて、頑張ろうよとかじゃなくて、自分たち今が強く思っていることを一行感じさせたいって思ってる。だから本当にそのとき気になっている世界のこと生命とか平和とかを考えて今の時代を見つめたら、不穏な社会や不安な感じがまず基本に出てきてしまうのかな。

−大人計画の初期の作品とある種の雰囲気が似ているような気がします。芝居はばかばかしくにぎやかで、ちょっといい加減のように見えながら、世界が崩壊した後の時代を背景にしたりして、訴えたいことが確かにある。そういう感じが出ています。
菜月:そうですか、初めて言われた。

−あと、フレディー・マーキュリーというかクイーンが好きなんですね。もともとは菜月さんが好きなのかな。
菜月:わりとみんなですね。ライブ映像をたまたまみて、めっちゃかっこいいってなって。すごいかっこいい人がいるから、参考になるからこれは見なくては駄目だって、稽古止めてみんなで集まって見ましたね。これはすごいと。

−山本さんが最初からフレディー役なんですか。
菜月:そういうわけじゃないんですけど、完コピさせたら一番面白かったんです。なんかちょっと古いものが好きなんですよね、つかさんにしても。

−劇団の旗揚げは、つかこうへいさんの作品を上演したいからと聞いてますが、なんでつかさんなんですか。
菜月:めっちゃかっこいいから。登場人物はみんなすごく主張して、人間味があるというか人生苦労してるんだろうなって思える、生きていることを感じさせる脚本でしょう。ずっと脚本のファンでしたね。上演作品を見る機会が無くて、たぶんこうだろうと演出を想像してました。たまたまビデオを見たら思ったのとちょっと違ってて、じゃあ自分でこうだと思っていた演出でやってみたいと思って旗揚げしたんです。

−ただ歌って踊って楽しくというだけじゃなくて、今の時代とちょっと関わるような何かを必ず挟んだスタイルを最初から続けてきたのでしょうか。
菜月:そうですね、最初はとにかくなんかガーンっていうものを与えたいというのがあった。でも第9回公演「image」(2003年7月)という作品からちょっと変わってきて。それまではとにかくガツンとくることに重点が置かれていたので、人物が情熱的だったり、激烈な人生だとか。そうなると時代も戦争・革命とか大げさな感じになっていたんですけど、「image」からは肩の力が抜けて、登場人物も等身大な感じになって、悩み自体も昔はアウーっと倒れてチックショーっていう立ち上がるっていうのが多かったんですけど、最近は普通に生きててなんか不安で堪らなくなってくるような気持ちとか、そういう等身大な辛さからの物語が多いです。

−そうすると、演出も変わってきましたか。
菜月:大分変わりましたね。ガチガチに役者の体をとにかく鍛えて、どこまでやれるかって感じでやってたんですけど、それだけじゃなくてバラバラに集まったメンバーなので、それまで見てきたものとか好きなものとかが滲み出てくるように、もう少し自由にやってみてっていうので、だいぶ楽しい稽古になりました。

−ダメだしは随分厳しいということですけど。
菜月:そうですね、今でも厳しいって言われます。「さよなら〜君が代ラウドネス」は戦争ものだったこともあるけど、客演したある人は稽古で「ここはもう軍隊。練習じゃない。海軍だ」って言ってたそうで。

−こわいな(笑)。
菜月:自分はあんまりしんどいシーンはやらないんで、どれくらいしんどいのか分からなくて、もうちょっとできるだろうと思ってたらバタバタと倒れていって。最近はそんなことはないんですけど。

−演出で気をつけていることは、各人の持ち味、個性が生きるように、ですか。
菜月:そうですね、お芝居のために練習するんじゃなくて、今後スターに育ちたいと思っているので、長い目で見て面白くなれば良いと思っています。多少馬鹿なこと、全く関係ないことでも本人が魅力的に見えるのなら入れてます。「百千万」公演(2004年11月)のフレディー・マーキュリーの完コピなんかは全く意味分かんないですけど、すごく面白くて。本人が面白い人間に見えるように気をつけてます。

−公演の最後はいつも、黒いブリーフにサスペンダー姿で踊りますよね。どこからアイデアが出てきたんですか。
菜月:「愛卍情」(2000年1月)上演からですね。その時に15分のワンコイン劇場っていう路上のスタートになるイベントがあって、劇場下のロビーでいろんな人が15分だけ好きなことをやってカンパを募ることになって。その時に何しようかと考えて、衣装はつかさんの影響受けててタキシードが好きだけれどみんな持ってないし、黒でピシッといきたいよね、サスペンダーとか正装っぽいしいいね、などと決まっていった感じですね。

−でも、さっきの話からすると、決めていったというよりは、決めてやらせたっていう感じですが(笑)。
菜月:いや、皆でいいっすねってなるんですよ。

−でも最初に菜月さんが考えたんでしょ。
菜月:そうですね、まあはい(笑)。バラとか持ってたら、もっとかっこいいって(笑)。

−今のメンバーは何人なんですか。
菜月:今7人ですね、正式には。

−みんなバラバラに集まってきたっていう話でしたけど、最初は大学で活動していたんですか。
菜月:そうですね、でもサークルが一緒とかじゃなくて、私と丸尾丸以外はバラバラ。最初は普通に募集チラシを張って。で素人の学生さんがいっぱい集まってきて、私は関西学院大でしたけど、それ以外の神戸大学などからも入ってきた。その時にサークルの幽霊部員だった山本聡司を誘った。デザインと音楽を担当している李は上の階の軽音楽部でバンドやってて、毎回うちのサークルの公演を見に来るお客さんで、サークルでも有名だったんですよ。その人が電話かけてきて、会ったらあの人やーって。あとはお客さんで入りたいって言ってくれたり…。

−2年限定で活動するのは何か理由があるんですか。
菜月:2年でなんともならなかったら故郷の福岡へ帰って来いって私が言われたことがきっかけです。じゃ2年は頑張ろうかって。2年で解散するわけではなくて、1年1年確実に活動を発展させようってことなんですけど。

−なるほど。劇団のwebサイトやメルマガなど、とても凝っていて、情報を定期的に送ってくるので、ほかの劇団と意欲が違うなと思ったのもそんな事情があったんですね。
菜月:ありがとうございます。まあバイトもしてないし他にすることもない。あと寝るぐらいしかない(笑)。それだけやっていればいいんだから、手を抜いてもしょうがないだろうっていう感じですね。

−どこかに一軒家を借りてるんですか。
菜月:そうです。「鹿ハウス」(笑)。

−2年でスターということですけど、どこまでいったらスターなんですか。
菜月:なんか、次の階段に上がったって感じられることかな。自分で準備して小劇場でやるっていう繰り返しだから、そうじゃなくてよそから仕事がちゃんと来て、大きな劇団さんの公演に定期的に出てたり、テレビや映画など違うシーンに一歩踏み込めればいい。自主公演の枠をどれだけ超えられるかっていうことですね。

−全国ツアーが出来て、テレビ番組にも出演できて、基礎固めは出来てきていますよね。
菜月:注目だけは今すごくしていただいてるんで、今度の「SALOMEEEEEEE!!!」公演が勝負だなって思います。次は見に行きますって言ってくれる人もかなり多いのでがんばります。

−あとはもう、メンバーそれぞれが自分の力で勝負ってことですね。何十年も活動することになるんですか。
菜月:そうですね、楽しかったらやってるんだろうと思うんですけど、その基礎としてみんながいろんな仕事を楽しくやって、でもそこでは一番好きなことばかりはできないから、貯めて帰ってきたら年に1回ぐらい本当におもしろいと思える公演をやるようにしていきたいと思います。そういう形でなら、劇団活動は続くんじゃないかなって思うんです。
−ありがとうございました。「サロメ」公演期待しております。
(東京・東久留米 2006.3.17)

ひとこと>スターになろうと上京して1年。テレビにも取り上げられるほどになりましたが、菜月さんらはまだ満足していません。週6日の路上パフォーマンスの積み重ねの上に実現した2月の全国ツアー。成功へのあふれるような意欲が前進に駆り立てているようです。「生きる時間が黄金のように光る」(村野四郎「鹿」)時期なのでしょう。のびのびした菜月さんの話しぶりにも自信と勢いが感じられました。 (インタビュー・構成 北嶋孝、吉田俊明)

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