<太田華子さん・葛西李奈さん>NPO法人プレイバック・シアターらしんばん「プレイバック・シアター」(8月14日)
「社会が必要とする演劇のチカラ」
太田華子さんと葛西李奈さん

太田華子(右) 日本大学芸術学部舞台芸術専攻修士課程卒業。NPO法人プレイバックシアター『らしんばん』副理事。同劇団で活動する一方、小学校や高齢者施設でのプレイバック、プレイバック・シアター研究所主催のワークショップなども担当している。タイニイアリス公演には企画立案・アクターとして参加。
葛西李奈(左) 日本大学芸術学部演劇学科劇作コース卒業。『らしんばん』所属、タイニイアリス公演企画立案。同劇団の制作として活動する一方、ライターとしても鋭意活躍中。Wonderlandに所属する劇評家でもある。劇評ブログ「あじさいがごとく」主宰。
NPO法人プレイバック・シアターらしんばんwebサイト:http://playbacktheatre.jp/

― プレイバック・シアターの手法の説明と、NPO法人プレイバック・シアター らしんばん(以下らしんばん)の活動概要を教えてください。

葛西:プレイバック・シアターは、観客の中からつのったテラー(語り手)の口から語られた「気持ち」や「思い出」を即興でアクター(役者)が劇にしてオーディエンス(観客)を含めた空間全体の一体感を生み出していく手法です。らしんばんは去年の秋に法人化したんですが、プレイバック・シアターを通して人と社会の役に立つ活動を続けるという意図のもと、今までは主に医療における心のケアや教育、福祉において、この手法を提供してきました。今回の劇場でのパフォーマンス公演は新たな試みとなります。

― らしんばんには、どういうきっかけで入ってこられる方が多いんでしょうか。

葛西:主宰である羽地朝和が開催しているプレイバック・シアターのワークショップや、大学の授業に参加してから入団する人が一番、多いように思います。メンバーは教師、心理カウンセラー、ソーシャルワーカー、企業研修講師、主婦、学生など、様々です。

― プレイバック・シアターは非常にインプロ(即興劇)の要素が強いという印象があるん ですが、演劇のジャンルとしてもプレイバック・シアターはインプロに分類されるん
でしょうか?

葛西:インプロの要素は入っていますが、インプロは扱うお題からどう展開していくか分からないという面白さが基になっています。どちらかというと「インプロの要素を含んだ心理劇(サイコドラマなど、即興劇的技法やアクションメソッドを用いて行う治療的、教育的集団技法の総称)」と言えるんじゃないかと思います。

― 葛西さんはどうしてプレイバック・シアターという活動の場を選んだのですか?

葛西:プレイバック・シアターを知る以前は、演劇学科の劇作コースに所属していたこともあって、台本のある芝居を中心とした生活を送っていたんですが、その中で「演劇がもっと社会に活かされる方法は無いのだろうか」という気持ちが湧いてきたんです。何故かというと同年代で演劇を学んでいる学生や芝居作りに携わっている方々の「演劇は社会の中で異質なものだ」という発言に、もどかしさとどこか反発するような気持ちがあって(笑)。そこで「演劇は社会に貢献する可能性を持っている」という思いを体現するために、一時期ボーイスカウトで子供達に向けたお芝居を使ったゲームの企画に携わったりしました。ただ方法論が確立されていないので面白いし手応えは感じるのだけれど、それ以上進められない。また劇場に行って舞台と客席の距離を感じても「これは演劇の宿命なのかな」と思ってしまう。そんなジレンマを抱えていた時に大学の授業でプレイバック・シアターという手法を知り、一人一人の距離の近さから生まれる全体の一体感と、社会でこの手法が使用されている領域が幅広いことに深い魅力を感じたんです。それから、らしんばんの活動に参加しました。さらに「演劇はもっと社会に向けて開かれている可能性がある」ということを主に演劇活動に携わっている方々に向けて発信出来ればいいと思い、学生有志を集めて「日芸プレイバック・シアタープロジェクト」というワークショップを企画しました。

― そのワークショップの内容はどんなものだったんですか?

葛西:内容は、所沢校舎の一・二年の演劇を学び始めた学生に向けて、プレイバック・シアターを紹介するというもの。基本的な流れは、みんなで一緒に遊んだり、自分の気持ちを話し合ったりっていうようなエクササイズをやって、最後にテラーのストーリーをやって感想を一言、言ってもらうというものでした。タイニイアリスでの公演も、目的は「日芸プレイバック・シアタープロジェクト」のワークショップと同じです。Wonderlandの関係で西村さんに「ちょっとタイニイアリスでやってみない?」って勧められて「あ、じゃあやります」って言って申し込んでしまった(笑)西村さんは覚えているかどうか分からないんだけど(笑)。プレイバック・シアターの企画で面白いのは、本番に至るまでのチーム作りにも、プレイバック・シアターを使うことなんです。お互いにどういう気持ちがあるとか、どういうものにしたいとか、それを話し合いながら、プログラムも一人ひとり考えてプレゼンしていって、その中から何が大事なのか、今回は何を伝えたいのかなんていうことも話し合いながら決めていったりします。「日芸プレイバック・シアタープロジェクト」で、そのチーム作りを進めてくれたのが太田さんです。私は学校側との交渉とか、練習の記録とか、そういうことをやっていました。タイニイアリス公演でも、太田さんがアクター、演じる人達の代表で、私は制作です。

― 太田さんと葛西さんが初めてお会いしたのはいつ頃ですか?

太田:いつ頃だろう。私が大学院を出て一年目ぐらいかな。
葛西:そうですね。太田さんが卒業した後だったと思います。
太田:私は「日芸プレイバック・シアタープロジェクト」にサポートという形で参加したんですが、葛西さんは後輩と言えば後輩だし、慣れている空気があったので、今まで一緒にやってきたという感じです。

― 太田さんとプレイバック・シアターの出会いも大学の授業ですか?

太田:そうですね。私が参加した時はプレイバック・シアターが授業に導入された初めの年で講義形式の授業だったので、実際に体験するというよりは手法が持つ考え方を学ぶ時間が多かったです。私が興味を持ったのはプレイバック・シアターの『治癒的効果』。「治療する」という目的でなく、人が集って対話をすることの中に含まれている治癒力を実感出来たことが新鮮でした。それはもともと演劇が持っている治癒力だと思うのだけれど、脚本を書いて演出家が指示出して役者が作り込んで…というプロセスが、何故こんな短時間で凝縮して観せられるんだろう?って興味を惹かれたんです。

― 太田さんは役者の経験があるとのことですが、どんなお芝居をされていたんですか?

太田:高校時代から演劇部のお芝居とか、いわゆるコミュニティみたいな所でミュージカル芝居をやっていました。大学時代は映画学科だったので映画を撮ったりする機会もあったけど、映画の芝居は普通の芝居と違って、虚しい作業で(笑)ワンカットずつだから気持ちのシフトも出来ないし、ちょっと違うんだよなって思いがずっとありました。よくも今まで繋がったなぁと思うくらい、自分にとって芝居をやることや観ることは、どっぷりハマってしまうことではなかったんです。プレイバック・シアターっていうものに私も葛西さんもハマっていったのは、多分真面目さと突拍子も無い自分のイメージが必要とされるバランスに惹かれたんじゃないかと思います。そのバランスをプレイバック・シアターは持っているんだろうなって気がする。

― 太田さんは今回の公演でアクターのリーダーをやっていらっしゃる、とのことですが、 今出演している中で思うことがあれば、お聞かせ願えますか?

太田:ちょうど昨日まで合宿をしていました。私は…とりあえず感動の連続(笑)。今回のメンバーは「演劇って何?」みたいな人達が半分以上です。プレイバック・シアターって、いつも見ようとしないことや思い出そうとしない場面が形になっていくから突拍子もなくていいんですよね。逆にその方が新鮮だから「新しい人達とやりたい」っていうのが今回の私の中にはあって「大丈夫なの?」って言うぐらい演技に不慣れな人達を集めました。でも普通の演劇と違うのは、心で演じるから演技が上手い下手は関係ないということ。感じられるか、感じたことを表に出せるかどうかなんです。慣れちゃうと体で表現することも型になっちゃうから「ああこの人って大体、嬉しいときはこう演じるな」「悔しいときはこう演じるな」って見えちゃって、つまんない。逆に表現しきれない人の方がやっていて面白いです。

葛西:日常生活の中で「こういうことをやったら笑われちゃうんじゃないか」って頭で考えることってすごく多いと思うんです。今回の合宿では、頭が先行して自由に動けなくなってしまうところを、感じたままに思い切って演じてみるイメージの練習。それを時間をかけてやっていました。それぞれがイメージしたことに添って動いて段々崩れていく経過を見る。何をやってもOKな解放されていく空気の中で、その人の自由な表現が出てきたりすると、これはプレイバック・シアターの面白さだなと思います。

― 観客の方が、テラーではなくアクターをやるっていうことはあるんでしょうか?

太田:あります、あります。オーディエンス・アップっていうんですけれども。

ワークショップでは初めての人にどんどん役者をやってもらいます。役者をやることの意味って大きくあるんです。怒りの気持ちを出せない人が役を通してみたら出来たとか。アクターの経験をして、テラーがそれを喜んでくれるっていう経験をすることも、プレイバック・シアターの大事な要素としてあるので、今回の公演でも演劇の活動をされている方が一緒にやるっていうのは面白いかもしれませんね。この前、ワークショップに高校三年生の男の子が来たんです。彼は人前に出て話すのも、人と関わるのも喋るのも苦手で人目をすごく気にしている。どうなるかなあと思ったんですが、最終的にその子はアクターをやったんです。しかも口うるさいおじさんの役。(笑)それが、またちゃんと演じているわけですよ。普段の自分だったら絶対おじさんにはならない。でも役を与えられたことによって、何だか自分が広がっていく。彼は来たときと、もう全然顔が違うんです。気持ちが安定しなかったら、そうはならないと思いますね。

― お話をお伺いしていると、すごく現代の日本に合っている気がしますね。

太田:プレイバック・シアターの活動で行っている「人の話を聴くこと」って本当は家族や恋人が聴いてあげたり、子どもだったら親や先生が聴いてあげたりすれば済むことだと思うんです。だから私はプレイバック・シアターはある意味、人工的だなと思います。家庭や学校で自分の気持ちを話せていたら、プレイバック・シアターという手法は本来、必要ないんです。人は喋りたい生き物で、喋って整理がついたり気付いたりしていくものだと思うんですが、それをわざわざやる場所があるというのは、ちょっと不自然な気もします。
でも学校の先生や、企業の人や、高校生のお母さんや、色んな人がワークショップに来て語ったり劇を観たりしているんですよね。プレイバック・シアターをつくったジョナサン・フォックスは「コミュニティの持つ力」という言い方をしていますが、アメリカでは教会がそのコミュニティなんだろうと思います。今の日本にはそれに相当する場所が無いような気がするんです。昔だったらお寺に行って住職さんに悩み聞いてもらうとか(笑)あったかも知れませんが。プレイバック・シアターがなくなるような世の中なら、ずいぶんコミュニケーションがとれていて健康的だなと思いますね。
小学校六年生の子には私の100%の悲しみは分かんない!って思うかもしれないけど、その子にはその子なりの100%の悲しみがあるわけじゃないですか。それはおもちゃを買ってもらえなかった、みたいなものかもしれないけど(笑)。でも、私が失恋した時と、その子がおもちゃを買ってもらえなかった時は、同じ経験かもしれないって思うことがあるんです。アクターとテラーとオーディエンスは、いわゆる対話をしているだけなんだと思います。だから演技の上手い下手よりも、それぞれが経験として持ってるものを心で分かち合う。
心の病気でよくあるのは「私だけ」って気持ち。こんなに嫌われてるのは…できないのは…認められないのは…「私だけ」。私もよく病気になるし、その時はすごく孤独です。でもそれって、話してみたら、みんな持っているんだろうって思う。でも、そういうのってなかなか話してくれなかったりするんですよね。
昨日も五十過ぎたおっちゃんがぼろぼろ泣きながら劇を観ていたけど「そっかー、このおっちゃんもいろいろ悩んでんだなー」って(笑)。年を取った人は達観しているように見えるけれど、常に変化しているし動いているし、もちろん感じていることがある。だから、そういうものを見せてくれるってことは「そっかー、この年になっても悩むんだーっ」って、若者にとっても勇気の出ることだと思うんです。
今回の公演を含めてプレイバック・シアターでは、そういうことをお互いに話し合える勇気の場を提供出来ればいいと思います。
(インタビュー・小畑明日香 構成・太田華子/葛西李奈)

ひとこと>人と人の間に深い溝ができている時代だと思う。それは個人と個人の間の溝でもあるし、芸術活動をしている人と芸術を享受する人の間の溝でもある。積み重なった歴史によって芸術はどんどん洗練され抽象化されていくけど、他者に共感する経験が少ない観客には、抽象的な場からメッセージを汲み取るのは困難に思う。それがきっと、今多くの場所で「壁」を生み出している。インタビュー中に太田さんが「プレイバックは普通の演劇と違って心で演じる」「慣れてくると気持ちを表現することも型になる」といった発言をしているが、私は普通の演劇でも、役者は心で演じ、その瞬間の心の動きにいつも敏感で居ることが求められると思う。プレイバック・シアターは役者にこそ必要かもしれない。(小畑明日香)

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