<西谷尚久さん> 脱線劇団 PAGE・ONEパートU「極道の妻・・・の旦那達」(9月8日−10日)
「12年ぶりの復活 ビールを片手に楽しめる任侠ドタバタコメディー」
西谷尚久さん

西谷尚久(にしや・なおひさ)
1958年、北海道函館市生まれ。道立函館中部高校時代にはバスケ部でインターハイの出場経験あり。東放学園を経て、東京ヴォードヴィルショー、スーパー・エキセントリック・シアターに所属する。1984年、劇団PAGE・ONEを旗揚げし、1994年まで21回の公演を重ねる。2006年、劇団PAGE・ONEパートUとして活動を再開。主宰・作・演出を務める。
劇団webサイト:
http://page-one.jugem.jp/

−以前は、スーパー・エキセントリック・シアター(SET)に所属されていたとか。
西谷 1984年にSETから何人かの若手と一緒に独立して、いまの劇団を旗揚げしました。

−独立することで、SETとはトラブルになりませんでしたか。
西谷 当初は三宅(裕司)さんも「なぜだ」という気持ちだったようですが、いまではSETの稽古場に遊びに行って、三宅さんにも声をかけてもらったりしていますので、わだかまりのようなものはまったくないですね。独立後も殺陣の指導はSET所属の野添(義弘)さんにお願いしているという関係もありますし。

−今回の芝居も殺陣の場面は多いんですか。
西谷 稽古中にボツにならなければ4カ所の予定です。

−独立当初の「脱線劇団 PAGE・ONE」ではかなりの公演をこなしていたようですね。
西谷 1994年に活動を休止するまでの10年間で21回の公演を行って、「脱線劇団 PAGE・ONEパートU」として今回上演する芝居が通算で第22回ということになります。

−劇団名にはどんな由来があるんですか。
西谷 旗揚げ当時は「PAGE・ONE」という名前で、公演回数に合わせて劇団名も「PAGE・TWO」「PAGE・THREE」と変えていく予定でいたら、旗揚げ公演のアンケートのなかに「次は劇団名が“PAGE・TWO”になるんですか」というズバリの指摘があったみたいで(笑い)。それで、あえて「PAGE・ONE」のままにしてきました。その後、タイニイアリスのALICE FESTIVALにエントリーした際に推薦文を書いてもらう必要があって、漫画家の高信太郎さんにお願いしたんです。すると、その原稿のタイトルが「脱線劇団 PAGE・ONE」だったので、「これはいいや」ということでそのまま使わせてもらっているという経緯だったと思います。

−当初からドタバタ喜劇のような作風だったわけですね。
西谷 “くだらない”といっては何ですが、「おもしろかったんだけど、内容は覚えてないや」という感想が多い芝居ですね。「全体は覚えてないけど、あのネタだけはおもしろかった」とか。

−それは、SETではできないことをやりたいという考えがあったんですか。
西谷 というよりも、SETはベテランから若手まで人数が多くて、当時は若手が出演する機会が少なかったんです。やはり、役者は舞台に立たなきゃしょうがないだろうというのがあって。

−旗揚げ当時は何人でスタートしたんですか。
西谷 5人くらいだったと思います。

−10年経って、活動を休止した理由は何だったんでしょう。
西谷 僕が体を壊したんです。しばらくは療養がてらプラプラしていたところ、演出家の澤田隆治さんに声をかけられて、にしきのあきらさん主演で「てなもんや三度笠」の舞台をやるので手伝わないかと。その舞台で演出助手をやったきっかけで、その後も澤田さんの関わっているテレビ番組の手伝いなどをしていたんですが、やはり体がきつくなってきたんで、そういった仕事も断らざるをえなくなりました。そのころ、いまの女房と結婚して、「無理だったら、しばらく体をやすめなさいよ」といわれまして。

−そうすると、かなり長い期間お体の調子がよくなかったんですね。
西谷 神経が誤作動するような状態で、ケガもしていないのに体のあちこちが痛むんですよ。急に首が動かなくなったりとか。うつ病の一種だと思うんですが。

−これといった治療法はないんでしょうか。
西谷 そうですね。とりあえず、あまりイライラしないように心がけています。本来はとても短気な性格で、以前、電車で多摩センターから下北沢へ向かう途中に5回もケンカになったことがあります(笑い)。

−いまでは、だいぶ回復されたんですか。
西谷 そうですね。この2−3年はゆったりとした生活を送っていたら、「なにかやりたいな」という気が湧いてきまして。少しは体を動かしていたほうが健康にはいいみたいですし。それで、12年ぶりに復活することになったんです。

−メンバーはどうなったんですか。
西谷 12年前と同じメンバーは私と、時田(貴司さん)、加茂(克さん)の3人です。それ以外の今回のメンバーは、時田の知り合いの声優さんで舞台に興味のある人などが参加しています。

−当初から劇団の主宰者は西谷さんだったんですか。
西谷 そうですね。なんとなくまわりから「お前がやれよ」という感じで。私も本当は役者に専念したほうが気楽だと思っていたんですが。

−作・演出もご担当のようですが。
西谷 「作・演出」というほど固定的な役割かどうかは別ですが、最初に芝居の状況や構成を私が説明して、それに対して各役者が持ち寄ったネタをもとに作り上げていくという感じです。基本的に役者の考えたネタを生かした芝居にしたいんですが、どうしても行き詰まってしまったときに、私が責任を持つという意味合いですね。

−以前は東京ヴォードヴィルショーにも在籍されていたとか。
西谷 もともと、テレビのバラエティー番組が好きだったこともあり、東放学園という専門学校に行っていました。そこで先輩たちに「笑いは舞台が基本だから舞台を観ろ」といわれて最初に観たのがヴォードヴィルだったんです。そのときに、「舞台のほうがテレビよりおもしろいんじゃないかな」と思ったのが、芝居を始めたきっかけというか、人生の最初のつまずきというか(笑い)。

−ヴォードヴィルにはどのくらいいたんですか。
西谷 3年くらいですね。たまたまSETの三宅さんと知り合いになって、SETのほうが出演機会が多そうな気がしたので移ってみたのですが・・・。

−結果的に、出演機会は増えなかった。
西谷 むしろ減ったかもしれませんね。SETは当時から大所帯でしたし。

−現在では、テレビ関係のお仕事などはされていないんですか。
西谷 特にしていません。女房が声優をやっているので、私は普段は家で“主夫”をしています。彼女はテレビ朝日の報道のナレーションを担当していて、朝の3時半に出勤するので、それを見送っています。(注:奥様は声優の畠山美和子さんで、今回の公演の制作も担当している。)

−稽古の頻度はどのくらいでしょう。
西谷 週に一日は休みを入れるようにしています。中野区の地域センターをあちこち借りて稽古場にしているので、場所がとれなかった日は稽古も休みという感じですが、そろそろ、そう悠長なこともいってられなくなりそうです。

−中野区というのはなにか理由があるんですか。
西谷 単に、稽古場の手配をする担当者が中野区在住なので。私は品川区に住んでいるんですが、中野区のセンターに比べると利用料金は高めですね。先日も自宅の裏にある小学校の一室を借りて踊りの稽古をやったんですが、3時間で2,000円でした。

−今回の芝居はタイトルをみると任侠モノのようですが・・・。
西谷 昔気質のヤクザ一家と新興の暴力団の抗争のさなかに、「高倉」が網走刑務所から出所して東京に近づいてくるという話です。

−上演時間はどのくらいになりそうですか。
西谷 90分の予定ですが、過去の公演も90分を超えたことはないですね。時間が長くて窮屈な芝居にはしたくないので。会場ではビールも販売しますので、気楽に楽しんでいただきたいです。

−公演でタイニイアリスを利用されるのはなにかきっかけがあったんですか。
西谷 たしか、タイニイアリスのこけら落としかなにかにSETが出て、その流れでPAGE・ONEも結成当初から利用していたんだと思います。ただ、しばらく活動を休止していたために最近の小劇場の事情がよくわかっていなくて、最初、とある劇場に今年2月ごろ今回の公演の希望を伝えたら「いまごろ連絡されても、もう年内は埋まっちゃってるよ」といわれまして・・・。幸いタイニイアリスは当時まだ空きがあったんです。

−芝居の構成はどのような感じでしょうか。
西谷 大枠のストーリーらしきものはありますが、まず前半部分を固めてから後半を構成していくという芝居作りなので、まだはっきりしていない部分が多いですね。一人の役者が長いセリフを受け持つ場面はほとんどなく、小刻みにテンポよく展開していきます。

−客演のかたの反応はどうでしょう。
西谷 殺陣の場面には女性が加わる箇所もありますが、「刀を持つのは初めて」という人もいますので、重点的に稽古しています。ただ、教えてみると、むしろ男以上にさまになっている人もいますね。

−次回の公演はもう決まっていますか。
西谷 来年の4月が決まっていて、11月か12月にも1回やる予定です。

−チラシのイラストデザインは「山本直樹」となっていますが、あの漫画家の山本直樹さんですよね。
西谷 ええ、直樹とは高校のバスケ部で一緒だったんです。わりと大きな部なので東京にもOB会があって、卒業後も直樹とはちょくちょく顔を合わせていて。ちなみに、このチラシを刷ってもらった印刷会社のかたもそのOB会の縁なんですよ。

−顧客層はどのような感じなんですか。
西谷 以前の公演では時代劇が多かったこともあって、年配のお客さんが目立ちましたね。おばちゃんがお弁当を食べながら観ていて、切られて倒れている役者に客席から「あんたも大変だね」と話しかけたり(笑い)。役者の集中を保つためにも、上演中は役者に話しかけるのはご遠慮いただけるとありがたいですね(笑い)。
(2006年7月30日、新宿の喫茶店)

ひとこと>身の丈は6尺超。短く刈り込んだ髪型と鋭い眼光。着流しに雪駄履き。今回の公演のタイトルともあいまって、“その道”の雰囲気を十二分に感じさせる外見ですが、非常に気さくで、ざっくばらんにお話しいただきました。当初は稽古の休みを見はからって、西谷さんのご自宅でジンギスカンを食べながらのインタビューをご提案いただいていたのですが、私が日程を勘違いしたため実現しませんでした。ビールを飲みながらの90分の公演は、暑かった夏を締めくくるのに最適な芝居になりそうです。(インタビュー・構成 吉田ユタカ)

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