<清末浩平さん> 劇団サーカス劇場「ファントム」(3月22日-26日)
「ぎりぎりのところで紡がれる言葉 30年前に横浜で起きた事件を基に」
谷口有さんとあおきけいこさん

清末浩平(きよすえ・こうへい)
1980年大分県生まれ。東大在学中の2001年4月劇団サーカス劇場 を結成。脚本・演出を担当、劇団代表。年に2-4回公演を続け今回 が第13回公演。2006年東大大学院国文学科修士課程修了。ダイ ナミックなドラマや熱量のある演技によって、人間の記憶と言葉をめ ぐるリアルな演劇を織り上げることを目指している。
劇団webサイト:http://circus.main.jp/
タイニイアリス劇場サイト(公演告知):

−今回の公演はズバリ「ファントム」ですね。
清末 前からこのタイトルで行こうと決めていました。周りの人間に「ファントム」ってなんだと思う?と尋ねたら「オペラ座の怪人」(注1) だというんです。それ以外は思い当たらなかったみたいですね。ファントムが何かは実際に見てのお楽しみですが、最近の公演では、日本の近現代史の出来事を取り上げてきました。今回は半年ほど時間があったのできちんと取材してよい作品を作りたいと考えて、小学校時代に知って以来強烈に印象に残っていた事件を題材に取り上げました。30年前に実際に横浜で起きた事件を基にした作品です。子供のころからずっと心の中に引っかかっていたことがやっと書けるようになった気がします。

−昨年は4回公演を開いたそうですが、今度の公演が13回目。政治問題とリンクしたメタシアター的な舞台やコンテンポラリーダンスを取り入れた作風も手掛けたあと、あるとき方向転換して濃密なドラマに回帰したそうですが。
清末 はい。もともと現代の風俗をそのまま描くのは性が合わなかったんです。ぼくは物心が付いたときはもう昭和が終わって平成が始まっていたのですが、それからべろっと続いている現代だけを見ていては何も書けなくなるという予感が強かった。ぼくは唐十郎さんにあこがれて演劇を始めた面があります。その唐さんには現実の事件を取り上げた作品の系列があって、事件と舞台がそういう風にリンクするのかという驚きとともに、現代を動かすもの、あるいはその事件の中に眠っていていまも影響を与え続けているものをあばき出す筆の力を感じます。演劇でそういうことが出来るという事実が、唐さんの舞台に接したときの衝撃の一つでした。ぼくらの劇団の代表作は2005年の『幽霊船』だと思っていて、完成度云々という話ではなく、これを書いたとき進む方向が見えた気がしました。その作品はアメリカの水爆実験で被爆した第五福竜丸の話なんです。東京の夢の島に行ったとき、第五福竜丸展示館(注2) があって、館内で展示されていた実物に出会って衝撃を受けました。ゴミとして放置されていたのが保存運動で残ったんですね。その船を前にして、これを書けなければ演劇をやっていてもしょうがないというぐらい切迫した何かを感じて書いた作品です。戯曲は、被爆した事件をなぞるのではなく、その余波を扱っていてかなり屈折した取り上げ方をしています。実際に起きた事件や出来事が、そのあとどんな風にさまざまな人たちの生き方に関わってくるのかを追ってみたいと、真剣に考えて取り上げた最初の作品です。現実の出来事を取り上げた作品はそれ以前もありましたが、そのときは意匠の一つに過ぎませんでしたから。

−2003年の第4回公演「グラウンド・ゼロ」はアメリカの9.11事件を取り上げているのですか。
清末 ええ。9.11はぼくにとって最大のオブセッションの一つです。劇団旗揚げ直前の事件でもあったので、いつも9.11のことは考えています。「グランド・ゼロ」もその事件から発想したんですが、結局ファンタジー仕立てになってしまいました。当時はまだ、書き方を見つけていない時期でした。もともと幻想文学が好きで、ともすればそうした方向に流れがちなのですが、いまはぼくなりの、あくまでぼくなりのリアリズムで書きたいと思って心掛けています。

−その後も現実の題材を取り上げているのでしょうか。
清末 そうですね。第8回公演「グラジオラス」(2005年9月)は戦中の南京虐殺事件を扱っています。第9回公演「サーカス版カリギュラ」(2006年2月)はフランスの作家カミュの作品を自分なりに取り込んで舞台化しました。第10回公演「陽炎」(同年4月)は、詩人の中原中也を出しながら、久しぶりに現代物に立ち返った作品です。第11回「熱帯、オフィーリアの花環」(2006年8月)は第2回公演(2002年)の改訂版で、詩人の黒田三郎が戦中(現インドネシアの)ジャワ島にいた植民地体験を基に、実際とは違った人生を歩んだらと考えて描いてみました。
  第12回「ノスタルジア」(2006年10月)はやはり詩人の石原吉郎を取り上げています。彼はシベリアで8年間抑留生活を送り、その光源から戦後社会を見ていた人だと思います。1976年に東京・新橋駅で倒れ、その前後から奇行が目立って翌年亡くなっています。2006年は石原吉郎没後30年だったんです。「ノスタルジア」はメタフィクショナルな仕掛けを考えた珍しい作品ですね。

−事前にいただいた台本を読むと、唐さんの影響を感じますが。
清末 大学に入学して間もなく、先輩に唐さんの公演に初めて連れて行ってもらったのですが、そのとき自分の中をグジャグジャにかき回されひっくり返されたようなすごいショックがあって、そのせいか帰りの切符をなくしたりして大変だったんです(笑)。「眠り草」という芝居で、1999年だったと思います。ぼくにとってはほかの芝居に代え難い強烈な体験でした。

−いまから考えると、唐さんの芝居のどこに惹かれたとお考えですか。
清末 そうですね。機関銃で掃射されたような感じでしょうか(笑)。しかも一撃一撃のショックが大きいので、表現のしようがないというか…。まずテントで芝居を打つということで意表を突かれました。ぼくは大分出身で、上京するまで演劇をみた経験すらほとんどなく、テント小屋なんて考もしませんでしたから。テント空間がまず驚きでした。それに手法と言っていいのかどうか分かりませんが、頭で考えたり理性で見たりするのではなく、皮膚感覚や生理で見させられるというか、自分の無意識が全部組み換えられる感じというか、芝居を身体ごと受け止めさせられる初めての体験でした。それに、意味を味わう以前に漂っている強烈な叙情性に引き付けられましたね。

−ほかにはどんな芝居や公演が記憶に残っていますか。野田秀樹の舞台は当時見ませんでしたか。
清末 野田さんの芝居は最初はビデオで見ました。そのあと生でもよく見ましたが、いまでも勝手に尊敬している演劇人のひとりです。先輩たちが連れて行ってくれた芝居は80年代から続いていた笑いを中心にした芝居が多かったのですが、そのなかでは「大人計画」などもおもしろいと思いましたね。ただ唐さんの芝居は別格で、人生を変えられたという気がします。

−いわゆる80年代演劇は、戦後日本の高度消費社会で、物語ならざる断片を笑いや速度でつなぎながら舞台を形作ると指摘されています。野田秀樹の「夢の遊眠社」やケラの「劇団健康」などがその中にくくられるかもしれません。その一方で、坂手洋二(燐光群)や鐘下辰男(演劇企画集団THE・ガジラ)などの社会派と目される演劇が評価を得てくるなど、あとから出てくる人たちにとって自分の演劇手法が問われるような局面にみえます。素朴に進むこともアリでしょうが、やはり問いは残されたままになります。作風の転換を経たという清末さんはこの問題をどう考えていますか。
清末 手法という点だけで答えさせていただきます。誤解を恐れずに言うと、ぼくは自分のやり方がスタンダードだろうと勝手に思っています。ぼくは高校時代まで演劇カルチャーにまったく無縁でした。もともと小説志向で、いまのように演劇オンリーになるとは思ってもみなかったので最初は創作の修行という気持ちが強くて、それに集団作業にも興味があったので舞台に手を染めたのです。演劇にはこういう種類があるとかメソッドはどうかということには興味がありませんでした。いまでも舞台を作るときに参照するのは東京の小劇場ではありませんから、演劇史のこの流れに自分たちの芝居を置こうという考えはありません。自分が書きたいものを書きたいように書く、演出したいものを演出したいように演出する。それを実現したくて始めたんです。手法が前面に出たり、演出家や劇作家が目立つ芝居はあまりやりたくない。もちろんそういうものの中にはおもしろくて感銘を受ける芝居もあるんですが、シアトリカルな仕掛けがたくさん盛り込まれていて、演出家や劇作家が前面に出てくる芝居は自分が本当にやりたいものではないんです。「フラット」と言うか、ともかく舞台に上に役者がいて、彼ら彼女らの動きが観客を引き付けることが完璧に出来たときに、ぼくはやりたい芝居が出来たと言えるんじゃないでしょうか。そこに劇作家、演出家のエゴがうまく組み合わさる形は、唐さんの舞台が一番近いと思います。音や照明が変化しても、演出家の意図が目立つのではなく、役者が音や明かりを呼び込んでいるような形でみられる。そういう意味で唐さんの芝居の世界は階層性がなく「フラット」なんです。フラットな世界を唐さんが操っているのではなく、フラットな世界にごちゃごちゃと役者やモノが動いているのが唐さんの世界、という気がします。うまく言えてるかどうか心許ないのですが、例えば唐さんの舞台は、演出家が登場してメタシアターのような仕掛けを作ったり、舞台をものすごく抽象化して異化効果をねらったりということではありませんよね。常に全力を傾けてそれぞれのシーンを作っていくことの積み重ねによって舞台が出来上がっていく感じかな。そこを大切にしているのが唐さんの芝居ではないかと思います。そこがまた、ぼくにとって演劇のおもしろさだと思う所でもあります。そこさえきちんと押さえられれば、どんなことをしてもどんな手法でも構わないと思っています。そこに近づきたいと毎回模索しているんですけど…。なんかうまく言えてるような気がしないですね。

−現代口語演劇についてはどうお考えですか。
清末 常に参照項になっています。どうしてもシンパシーやコンプレックスを感じざるを得ない対象ですね。

−と言うと、具体的にはどういうことですか。
清末 微妙な問題ですけど(笑)。ぼくなんかが知ったふうに言うのも変な話ですし。でもせっかくですので当てずっぽうでしゃべりますと、「静かな演劇」という方法論は、平田オリザという固有の身体と情念に根差したきわめて個人的な表現形態なのではないでしょうか。それを一般化して翻訳してしまうと何かが失われるような。「時代」にマッチして「静かな演劇」が出来上がったのではなく、「静かな演劇」が「時代」に見つけられてしまったのであって、「時代」の宣伝に乗ってぼくとかがそれを真似しても、本来の可能性の中心には至れないだろうな、と思っています。

−こういう話になるとぼくも言いたいことがたくさんあって盛り上がりますが(笑)でもここは話題を変えて劇団の話になります(笑)。いま何人で活動しているのでしょう。
清末 ぼくと役者兼制作の森澤(友一朗)が中核にいて、周囲にいるメンバーがその都度個人的な事情などで芝居に参加したり関わったりしています。ぼく個人が決めているとも言えない、アメーバ状に広がったり収縮したりしているような感じですね。あとは出来るだけほかの劇団や役者さんとつながりを持ちたいと思って声を掛けています。

−旗揚げが2001年ですが、清末さんは在学中でしたか。
清末 ええ、まだ学生でした。学内劇団が当時2つあって、3年生の夏には引退という決まりになっていたのですが、そこではまだやめたくないぼくが人を集めて劇団を始めたわけです。ですからいま思うと当初はプロ意識もなくて、ぼく個人は書き手として成長したいという意識でやっていました。

−劇団名はどんな意味があるのでしょう。
清末 変な名前にしたくなかったんです。意味の分からない単語の組み合わせとかはいやで。でもカッコよさげな横文字も性に合わないなと。野蛮なエネルギーを感じさせる、そして、ちゃんと劇団だと分かる名前にしたかったんですね。で、中原中也の詩とか安部公房の小説とかから「サーカス」というキーワードを見つけました。でもなんと言ってもバカの一つ覚えみたいに、ぼくには唐さんですね。劇団状況劇場の「状況」のところに「サーカス」を入れました。

−小説の世界で関心を持っている作家は?
清末 日本では安部公房です。修士論文も彼を取り上げました。ただ、だからといって彼のような作品を書いているわけではありません。あと大江健三郎さんと町田康さんです。3人に接点があるかどうか分かりませんが、手法はともかく作品がおもしろいと好きになってしまうタチなんです。第一線の作家では、町田康さんが文句なしにおもしろいですね。

−これからは。
清末 いまは今回の公演に全力投球しますが、秋頃にはロングラン公演も検討している段階です。来年は、作風の転換点となった「幽霊船」を再演したい。その際、広くて自由に使える劇場で公演したいと検討中です。あとカミュの作品を上演したとき収穫があったので、翻訳作品を取り上げたいですね。サルトルの「蠅」がおもしろいのではないかと考えています。そんな風に、オリジナルの新作を年に2本ぐらい、それに再演や翻訳物を織り交ぜて、それに企画性の強い公演も取り上げて進みたいと思います。新作だけだと自分の中に閉じこもってしまうのではないかと思うので、さまざまな作品と出会って新しいものを生めるようになりたいですね。

−タイニイアリスは初めてですよね。
清末 一度はここの舞台を踏んでみたいと思っていましたから。最初はタイニイアリスの名前の由来になっている「不思議の国のアリス」の物語を取り入れた作品にしようかとも考えていたのですが、「ファントム」という題材、事件と出会って当初のアイデアは飛んでしまいました。これからも頭で考えたもくろみが崩され、自分をリセットされるような、自分のすべてを試されるような、そんな出会いを続けていきたい。ぎりぎりのところで言葉を紡ぎ出すような書き方が出来れば、と思っています。

−実際に起きた事件を題材にした芝居ですが、そのほか見どころを付け加えると…。
清末 劇中たくさん音楽が流れますが、ほとんどオリジナルです。作曲スタッフの深山覚が作曲しました。目玉ですね。これは是非、付け加えてください。

−公演を期待しています。どうもありがとうございました。
(新宿2丁目の喫茶店 2007年2月19日)

(注1)オペラ座の怪人 (Yahoo!) http://event.movies.yahoo.co.jp/theater/opera/index.html
(注2)東京都立第五福竜丸展示館 http://d5f.org/top.htm

ひとこと>  昨年この劇団の「ノスタルジア」公演を見逃して気になっていました。詩人の石原吉郎を取り上げていると事前に知っていたら無理にでも見に行ったはずです。今回は幸い、事前に台本を読ませてもらいました。現実に起きた事件を取り上げながら、複雑に入り組んだ構成と骨太のユーモアでぐいぐい読ませます。インタビューでは対象とまっすぐに向き合い、言葉を選びながら紡ぐように語る清末さんの姿が印象に残りました。舞台への期待が高まります。(インタビュー・構成 北嶋孝@マガジン・ワンダーランド

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