<伊木輔さん> 演劇集団 別世界カンパニー「御霊送り」(2009年5月13日-24日)
 あの世とこの世の謎を解く冒険劇 オーディション制で役者にチャンスを
高田由里絵さん

伊木輔(いき・たすく)
1980年、東京・浅草生まれ。桐朋学園芸術短期大学(演劇専攻)在学中からNINAGAWAカンパニーで活動。2001年の学園祭上演企画として「別世界」発足。翌年プロデュース形式で再結成し、2003年に演劇集団「別世界カンパニー」旗揚げ。商業演劇の舞台などにも出演。
webサイト:http://www.bessekai.com/
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−今回の公演は、廃部寸前の高校演劇部を立て直して、大会地区賞、奨励賞のダブル受賞に導いた作品を基にしているそうですが、それをどうしてまた今回、上演することにしたのでしょう。
伊木 受賞したのは2年前ですが、翌年、つまり昨年の大会で、別の高校が当時私が演出したやり方をそのまま真似して賞を取ったと聞きました。それっていいのだろうかという気持ちがあって、きちんと書き直した上で演出して見せたいと思ったことがきっかけですね。

−単なる模倣は問題でしょうね。
伊木 演出方法が真似されるのは一面、名誉かもしれませんが、オリジナルをそのままパクったりするやり方とは闘っていかなきゃいけないと思いますね。

−ホームページを拝見すると、完全オーディション形式でキャストを募っているそうですが、どんな狙い、意図があるのでしょう。
伊木 最近はほとんどオーディション形式でやってます。日本の役者は生活が大変ですから、地道に努力するよりも、コネ、金、事務所の力を考えてしまう舞台人が多くなってしまいがちでしょう。だからでしょうか、ギリシャ悲劇や人間の感情を生々しく表現するような舞台がやりにくくなっています。ぼくは戦争をテーマにした作品を上演したいと思っているんですが、戦争ものは若い人がやりたいと思って初めて実現できると思うんですよ。それがいま、そういう気持ち、エネルギーが低下しちゃってる。
  ですからオーディションは、若い演劇人にチャンスを与えるし、育つきっかけになると思います。ぼくはNINAGAWAカンパニーにいたとき、確かにいろいろ鍛えられましたが(笑)、蜷川(幸雄)さんは小劇場の役者を登用したりして育ててくれてた。最近はそういう機会が少なくなっている。それをなんとかしないと、日本の芸術性が落ちてしまうのではないかという気がしますね。

−NINAGAWAカンパニーに何年ぐらいいたんですか。
伊木 学生時代からシアター・コクーンに出入りした期間も入れると4年半になります。

−蜷川さんの影響は。
伊木 いろいろありすぎて…。蜷川さんの演出は役者を強力に引っ張るときもあれば、一緒に生み出そうとする部分もあって、片方の手だけでなく、両手を使う感じでしょうかね。よく演出家を演じているという趣旨のことは言われてました。

−今回の舞台は随分大勢の役者が登場します。もともとそういう作品だったんですか。
伊木 いや、今回は登場人物を増やしました。ですから、ほとんど一から書き直しました。まったく別の作品になったと言っていいかもしれません。

−タイニイアリスで11日間16公演を予定していますが、最近ではあまり見かけない長期公演ですね。
伊木 若い人は場数を踏めば踏むほど伸びる、と教えてもらいましたので、大勢ができるだけ多く長く舞台に立てるようにしているつもりです。

−最低でも2週間ぐらい公演が続けば、評判になって観客が集まってくる条件ができますね。
伊木 それでもまだ、口コミで評判になってお客さんが集まるまでの期間は取れてないでしょうね。とりあえず大勢が集まって、劇場を長く押さえて公演できるシステムを考えて入るんです。あちこちコストを抑えて。ぼくが道具も叩いてます(笑)。

−みなさんのホームページを見ると、この芝居は、お姉さんを実家に預けて上京したお母さんと妹が…。
伊木 その筋書きはまったく変わってしまいました(笑)。神社の巫女さん二人があの世とこの世の謎を解いていく冒険劇になりました。

−どうしてそんなに変わったんですか。
伊木 あて書きですね。ディスカッションして、どんな分野に興味があるか、みんなの話口調なんかを考えて作りました。集まった役者は養成所を出た人が多い。でもそこの古いシステムで教わっていて、芝居が嫌いになって止めた人もいる。ぼくの周りでも止めた人はごろごろいますよ。だから自分が演じる楽しさを知ってもらいたい。だから本人にあて書きしてみるんです。役作りはその先にあると思いますね。そこから役を覚えていく。できる人はいいんです。そういう人にはなにも言いません。相談してきますから、いろいろ。

−みなさん、若いですか。
伊木 65歳、50歳の方もいますよ。みんなオーディションに来た人たちです。いろんな人と出会えて、ぼくにもおもしろい経験になります。

−オーディションでどういうことをしてもらいますか。採用の基準はなんでしょう。
伊木 この間はエリザベス朝演劇の本を読んでもらったんですが、それらしく読む人と自分の言葉で読む人と分かれますね。どういう人を選ぶかというと、あと5年後にも演劇を続けているかどうか、で判断します。日に日に状況が厳しくなっている中で、次の世代につながる、もしくはプロ、アマに関係なくずっと続けられる、持続できる人ですね。演劇でお金集めするようなことはしたくない。そういうところって、意外にあるじゃないですか。前回の公演も大勢の役者が出演したんですが、ぼくの劇作・演出料が5000円でした(笑)。でもまずは、それでいいと思うんですよ。まずは。あとはバックマージンが入って、役者はノルマを払う必要がない。アルバイトを少しすればいい。あとの時間を芸術に振り向けられる。そういう環境を作らないといけない。そうなれば生活の負担が少なくなって、演劇人も増えるだろうし、観客も見に来られる。演劇の底上げができるんじゃないかと思っています。

−別世界カンパニーはいま演劇集団と名乗っていますが、劇団時代もあったんですか。
伊木 そうです、劇団でした。ところが劇団というと、最近は縛られるという人が多くなってきましたから。劇団というアナログ的なところはとてもいいと思いますが、この人はテレビに出ているから付いていく、この人はテレビに出ていないから付いていかない。そんなことを言うんですよ。一方で商業的なことをきちんとやっていかなければいけないと思いますが、そういう気分がそのまま舞台に反映される面があって、だったらカンパニーとして活動するけれども、それはそれとして、毎回いろんな違う人とやっていくのが今の時代にはバランスがいいのかなあと思ってオーディション制を始めてみました。高校生からおばあちゃんまでいますよ。

−オーディション形式やプロデュース制だと、もちろんメリットもあると思いますが、反面、舞台のアンサンブルに欠ける面が出てきて、公演ごとに稽古期間を十分取る必要が出たりしますよね。
伊木 そうなんです。そういう意味でも演劇環境をよくしないといけません。大体2ヵ月くらい前から動き始めますから、1ヵ月だと難しいけど、2ヵ月だとそこはなんとかなるんです。あとは前回出演した人にも出てもらう。これが3回続くと劇団化になるので、せいぜい2回ぐらいですね。

−旗揚げで取り上げたのが成井豊作品、そのあと鈴江俊郎さん、倉持裕さんの戯曲で、以後オリジナルになりますね。
伊木 ええ。成井さんの台本はシンプルで、きちんと感情表現できる上では分かりやすくて適しているのではないかと思って取り上げました。そのあと俳優も育ってきたのでシェークスピアの「真夏の夜の夢」に取り組みました。ぼくも演出してみたかった作品でしたから。劇団旗揚げ公演のあとは劇団員が結婚や就職で辞めたりしましたし、ぼくの演出もまだまだだったんでしょうね。稽古場を借りるつてもなくて、隅田川べりで稽古したりしているうちに、ベニサンピット(支配人)の瀬戸(雅壽)さんに拾われる形となってベニサンで稽古できるようになって環境がすごく整いましたので自分でも書いてみようかと。あと著作権料がすごく高いという問題もありました。

−伊木さんの作る舞台はどんな特徴があるんですか。
伊木 うーん。一回一回違いますが、今回はあの世とこの世を行き来する話です。ちゃぶ台を囲んで話が進む舞台も、鈴江さんの作品を取り上げたこともありますから好きですよ。松田正隆さんの芝居も、新感線(劇団☆新感線)だって嫌いじゃない。岡安(伸治)さんの作品もバランスが取れてすばらしいと思います。スピリチュアリズムが最近はやっていますよね。今回はこれを解いておきたかったので取り上げました。うさんくさいとは思いますが、日本人は信じやすいんでしょうね。そういう目に見えないものを取り上げる情報がいまテレビ番組でも雑誌でも氾濫している。人は死んだらどうなるか、宇宙はどうしてできたのかとか、そういう興味はありますね。こんなふうに世界を大きく見るのが好きですが、役者にだめ出ししてそっぽを向かれたら落ち込んだりもする。落差が激しいんですよ(笑)。
(2009年4月16日、文京区の稽古場)

ひとこと> NINAGAWAカンパニーで活動した経験のせいでしょうか、いわゆる小劇場系の演劇人とは発言の幅が違うと感じました。自分の作り出す作品世界の話題だけでなく、俳優の生活基盤や活動拠点の確保など、話題は演劇全体、舞台芸術のあり方にも及びます。響くバリトンと笑顔に乗せて、演劇への情熱を身近に感じたひとときでした。(インタビュー・構成 北嶋孝@ワンダーランド)

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