〈根本宗子さん> 月刊「根本宗子」「みじめ慣れ」(2010年2月6-8日)
 20歳の劇団主宰、どうしてもそこに注目が集まる

根本宗子さんさん

根本宗子(ねもと・しゅうこ)
1989年東京生まれ、現在20歳。2009年3月にENBUゼミナールを卒業後、同期生と月刊「根本宗子」を旗揚げ。同年7月に旗揚げ公演を行う。劇団では主宰、作・演出を務めている。
劇団webサイト: http://nemotoshuko.com/
(shift キーを押しながらクリックしてください)

− 前回が立ち上げですよね。
根本 そうです。1回目は「親の顔がみてみたい」という作品で阿佐ヶ谷のシアターシャインでやりました。結構建て込んだ舞台にしたので、見切りのところは客席を作れませんでした。今度の方がたくさん入ります。
− なぜアリスをえらばれたのですか。
根本 もともとタイニイアリス自体が好きで、やりたかったんです。前回出来なかったので、今回是非にとお願いしました。

− 根本さんは「平成生まれ」ですね。いつから演劇に興味をもったのでしょう。
根本 中学生くらいから徐々にたくさん観に行くようになりました。

− どんなところをみてたんですか。
根本 ちっちゃい時、親に連れられて、歌舞伎を見てました。小6か中学1年の時にシアターコクーンの「ニンゲン御破算」(作・演出:松尾スズキ。03年2月)を見て、当時はよく分からなかったんですが、それ以来大人計画に興味を持つようになりました。それが観劇のきっかけですね。母が元々芝居好きだったので、中学生の時は一緒に行ってました。

− それは人生誤るパターンですね(二人爆笑)。友達と話し合わないでしょう、そんな子なら(笑)。
根本 はい、合わなかったですね(笑)でも、普通のドラマとかも全く興味がなかったわけではないので、ちゃんと話をしてました。高1からは年に120本くらい観てたんです。部活などもしてなかったので、学校では寝て、芝居を見に行くというパターンでした(笑)。

− お芝居のお金はどうしてました?
根本 お小遣いももらってましたが、お年玉を使わなかったので、貯まってたんで、それで見に行ってました。あと学割とかも使ってました。 高校になってさらにのめり込むきっかけになったのは、劇団☆新感線の「アオドクロ」(「髑髏城の七人」アオドクロ。04年12月)でした。そこに小劇場の方が何人か出ていたので、中でも気になった三宅弘城さんを見にナイロン100℃へ行ったりと、どんどん見た舞台に出てる人の劇団を見にいくようになって、広がっていきました。それまでは大劇場ばかりだったんですが、それを機に小さいところも行くようになりました。一番衝撃的だったのは、ビデオで見たんですけど、大人計画の「ヘブンズサイン」でした。
  自分でやるようになってからは、前ほど見に行けないんですが、なるべく大きいところの芝居は見にいくようにしています。もちろん小さいところも好きですが、どうも貧乏くさい芝居が嫌いで。自分ができない、大きなことをやっているところを見て、勉強したいと思ってます。今一番好きなのはナイロン100℃ですね。

−自分で始めたのはいつからですか。
根本 中1の時から股関節が悪くて、運動が出来なかったんです。体育も見学してました。それでインドアの生活だったもので、芝居を見るようになったというのもあります。やりたいなと思い始めたんですが、「舞台は無理だ」とお医者さんに言われていました。でも諦めきれず、やって見て、大丈夫かダメか決めようと思いました。しかも最初は書く気はなかったので、演じる方をやりたくて、大学は日芸に行こうと考えてたんです。でも学校見学にいったら、自分のやりたいことと全然違ってたので、これは違うと思って。それで、その時ちょうどTHE SAMPOO HATの赤堀さんがENBUの講師をやってたんで、好きな劇団の作家さんだったのでENBUに行くことにしました。やってみたら、新感線のようなことをするわけではないから(笑)、なんとかなりました。それで、昨年09年の3月に卒業しました。

− それで自分の劇団を立ち上げたんですね。
根本 そうです。ENBUの同期生と3人で立ち上げました。松浦さんと久保田さんです。松浦、根本は赤堀クラス、久保田は松村武クラスでした。 卒業公演の前に、赤堀松村クラス合同で自主公演をやったんです。30名のうち18名くらいが参加しました。短編で何本かやるということになって、4名くらいが脚本を出したんですが、私はでたいものがなくて、やめようかなと思ったんですが、「それなら自分で書けばいいじゃん」と言われて書いたんです。そうしたら評判がよくて、それに出てたのが松浦、久保田でした。その時に2人に声をかけたら、2人とも劇団やるなら一緒にやりたいとその時いってくれてたので、一緒に始めました。でも、女性主宰にとても抵抗があって…でも初めてみたらこちらもなんとかなってます。

− 前回は8月で第2回が2月で、いいペースですね。
根本 はい。今年は3回やるのが目標です。

− 根本さんは役者として「熱帯」に出てましたよね。
根本 「熱帯はなぜ亜熱帯になったか」(09年9月)にださせていただきました。もともと黒川麻衣さんがENBUの講師にいらしていて、5日間のワークショップの授業でお会いして。で、卒業後「オーディションに来てみないか」というメールをいただきました。オムニバスをやるので若いキャストが欲しいということで、ENBUの子ばかり10何人か集められた中で選んでいただきました。それで今回花田薫子さんが客演してくださいます。

− ホンはどのくらいで書けますか。
根本 稽古期間は1カ月くらいです。いつも稽古の前に上がってます。書くときは集中して一気にかくというパターンです。毎回ものすごい「あて書き」ですので、今回は宇宙堂の梅野渚さん花田さんとやりたくて、二人にあて書きで書いた本です。普段の生活でいやだなと思ったことを覚えていて、書きたい内容に固まっていって、そこにキャラクターが決まるとホンがかける感じです。
  12月の後半にプレ稽古という形で一度やりまして。その時、1カ月くらいかけて3種類くらいホンを準備してあったのを役者さんにやってもらって、役者さんたちのこの組合せがいいとか、この場面はいれたいとかの方向を決めて、10日ほどで書き直しました。上演時間は80分切るくらいです。極力短くしたいと思ってます。

− どういう芝居、どいう脚本をやって行きたいんですか。
根本 基本的に日常劇が好きなんです。会話劇。あまりにも日常的過ぎると、見てて自分が飽きるので、そこの微妙なラインを書けたらいいな。と。ちょっと「あるあるネタ」でも、前半普通の日常があって、ラストは普通ありえないような人間関係が崩れていく様子が描きたいです。自分が女なので、女の人の方が書きやすいです。

− キチンとした現代劇の系譜ですね。
根本 舞台のセットも今回は舞台美術の泉さんが、年上の方なので、装置はプランを伝えて、ホンを渡してお任せしました。戴いたものを相談させてもらう形ですすめました。
  演出家としては、黒川さんに印象が怖いから、常に「Sだ」と言われていました(笑)。でもすごく当たっていて、周りから批判される方がやりやすいタイプなんですね。「面白いね」といってくれる人よりはあれこれ口出ししてきてくれるようなスタッフさんが好きです。言い合って、結局自分の我を通すって感じです(笑)。

− 女だからってよくおっしゃいますが、そこは重要なことなんですか。
根本 はい、重要だと思ってます。

ひとこと>ため息が聞こえそうだが、とうとう「平成生まれ」がタイニイアリスに登場する。若くてビジュアルばっちりという主宰だが、「お年玉をためて」高校生から年100本観劇していたという「筋金入り」である。しっかりした演劇観を持ち、年上を含む劇団を率いる姿は20歳! という先入観で見ない方が良さそうである。今回のみならず、今後の展開に大いに期待したい。刮目して待て! (インタビュー・構成 カトリヒデトシ@エムマッティーナ)

>>戻る