<橋本清さん> 劇団エリザベス×ブルーノプロデュース「クララ症候群」(2010年9月2日-5日)
 「世界にあふれる言葉や文字に、役者の経験を組み合わせて舞台を作りたい」

橋本清さん

橋本(はしもと・きよし)
  1988年8月3日ブラジル生まれ。日本大学芸術学部演劇学科在学中。演劇ユニット ブルーノプロデュース主宰。東京デスロック演出部。国籍ブラジル。
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−今回は橋本さんが主宰するブルーノプロデュースと劇団エリザベスとの合同公演、コラボ企画ですね。劇団の主宰の方とは以前からの知り合いだったんですか。
橋本 はい。大学(日本大学芸術学部演劇学科)の先輩で顔見知りでしたが、前々回の第2回公演「カシオ」(2009年12月18日-20日)を池袋の小さな劇場で開いたときに見に来てくれて、すぐに「クララ症候群」の演出を頼まれました。「クララ」はずっと温めていた話だったそうですが、死体が降ってきたり蝶を食べたりするシーンがあって台本が上演不可能と思って、なかなか機会がなかったと言ってました。それがブルーノプロデュースの舞台を見て、ぼくなら自由に演出してくれると思ったようです。

−劇団エリザベス主宰のk.r.Arryさんが書いた台本を橋本さんが演出するんですね。
橋本 はい。

−出演するのはエリザベスの俳優ですか。
橋本 エリザベスから1人、あとは日本大学芸術学部の学生、明治、多摩美などからも参加します。友人とか、友人の友人とか。脚本を書いていたり演出専門だったり、普段は演技経験のない人もいます。ブルーノプロデュース自体、いろんな人と組みたいと思っているので。

−橋本さんも出演するんですか。
橋本 どんな形になるか稽古次第ですけど、出ることになると思います。実は「クララ症候群」は、足が立てなくなる病気の話なんです。背の高い人が立ったり立てなかったりしたら絵的にはおもしろいかもしれませんね。それだけの理由ですけど。

−クララ症候群は正規の病名ですか。それとも作られた架空の病名ですか。
橋本 ネットで調べたら、そういう病気もあるようです。身体的な異常はないのに、精神的な原因で立てなくなるという症状です。作者のk.r.Arryさんは実在の病気とは意識ないまま名付けたようです。

−webサイトのデザインがすてきですね。足長スタイルで配色が印象に残ります。
橋本 今回出演する平舘宏大さんが独学でwebを学んで制作してくれました。俳優として「ひょっとこ乱舞」の舞台にも出ていますよ。

−webサイトのイラストもいいですね。
橋本 宣伝美術を担当している万年優美さんが描きました。チラシのデザインも担当しています。チラシを折りたたむと座っている状態に見えて、開いて伸ばすとキャラクターがきちんと立っているんですよ。

−なるほど。おもしろい仕掛けですね。
橋本 大きいチラシがあまり好きじゃないんです。むしろ持ち帰りできるサイズで、しかも遊び心のあるものならうれしいだろうと思って。前回公演のチラシも万年さんにお願いしました。


「クララ症候群」公演チラシ デザイン=万年優美

−台本はできてますか。
橋本 はい、できてます。ぼくは「潤色、構成、演出」することになるので、稽古しながら組み立て直していこうと思います。もともと作・演出だったんですが、あまりにも書けなくて。ちょっと早すぎるかもしれませんが、限界を感じて…。それで自分で語るより、誰かに語ってもらうスタンスに切り替えました。いまは主に、役者の体験談や個人史を語ってもらってぼくが構成しています。世界にあふれる言葉や文字、それに個人の経験を組み合わせて舞台を作りたいと思っています。

−稽古中に俳優が話したことを集めて、構成して、作品に仕立てるというやり方ですか。エチュードとはまた違いますか。
橋本 そうですね。情況で演劇を作るのではなくて、情報で演劇を作れないかと最近は思っています。ひと昔前だと、おもしろい情況を作れれば芝居は成功すると言われていて、大学でもそう教わりました。しかし情況と言うほどまとまりのあるものではなくても、断片の集まりで芝居ができるのではないか、おもしろいものができるのではないかと思います。

橋本さんはブルーノプロデュースの主宰ですが、多田淳之介さん率いる東京デスロックの演出部所属でもあります。先日キラリ☆ふじみの水の広場を利用した東京デスロックの野外公演「2001-2010年宇宙の旅」は身体の拡張と構成という従来路線に宇宙と人類と、それに劇団史と個人史が組み合わさって、デスロックの新たな到達段階を示した舞台だと思いました。その新たに組み合わされた要素は、橋本さんたちがブルーノプロデュースで試みてきた俳優の個人史を再構成した舞台作りの作業が生かされているように感じました。もっとも橋本さんはその公演では、もっぱら小道具運搬係として背を丸めたまま、広い舞台を走り回っていましたけど(笑)。
橋本 ぼくが東京デスロックに初めて関わらせていただいたのは「「リア王」で、演出助手を務めました。そのときはまだ、今回のようなシリーズはしていませんでしたが、たまたまぼくにも心境の変化があったし、多田さんも新しい試みを始めて、ちょうどダブったんじゃないでしょうか。

−橋本さんの心境の変化と新しいスタイルへの取り組みはいつから始まったんでしょう。
橋本 昨年末の第2回公演「カシオ」からです。出演するみんなに生活作文をひたすら書いてもらった。それを組み合わせたものが台本になりました。

−生活作文って何ですか。
橋本 小学6年の時に友達と遊びに行ったとか冬休みの思い出とか、そういう体験記みたいなものを稽古の時間に書いてもらいました。

−稽古に来て作文を書くなんて思いもよらなかったでしょう。
橋本 ええ、みんなキョトンとしてました。

−作り上げられた情況からドラマを作るのではなく、個々人の役者の記憶や言葉から舞台を作り上げるわけですね。なるほど。でもどうしてそういう方向に切り替えたのですか。
橋本 どうしてなんでしょう…。うーん。自分が信じられなくなったというか、もともと普段から本も読んでないし、だから知識とか常識とか雑学とかを人から教えてもらうと安心するんです。そういう安心感が「カシオ」公演にはあって楽しかったんです。それで方向が見えてきたというか、そのスタイルが好きになりました。

−先ほど台本を書けなくなったとおっしゃってましたが、以前はどんな傾向の作品を書いていたのですか。
橋本 現代口語演劇の影響を受けていましたが、その上にファンタジー要素の混じった話を書いていました。演出も役者の距離感や雰囲気を大事にしていました。

−いま在学中ですよね。どんな授業や先生が印象に残ってますか。
橋本 ぼくは日大芸術学部演劇学科の演出コースに在籍していますが、外部の演出家を呼んで行う舞台総合実習という時間があります。2年の時は中野成樹さん(中野成樹+フランケンズ)が「ロング・クリスマスディナー」(ソーントン・ワイルダー作)の誤意訳版を上演しました。3年の時は川村毅さん(京都造形芸術大教授、T-factory主宰)が自作の「アルゴス坂の白い家」を演出しました。この舞台総合実習は出演する俳優のほか、照明や舞台装置などのスタッフも学生が担当します。ぼくは二つの公演に演出助手として参加してとても刺激を受けました。

−演出方法はかなり違いますよね。
橋本 はい。川村さんは稽古をどんどん流していきますね。役者が戸惑っていました。言われたことをするタイプの役者が多かったせいでしょうか。でも尋ねるときちんと答えが返ってきます。役者が自分から発信しないと苦労しますね。

−中野さんは?
橋本 きっちり決めて、指示も細かくしてました。

−稽古は始まってますか。
橋本 一昨日から始めました。稽古で役者のみんなに自立について書いてもらったり、日ごろ誰に支えられているか話し合ったりしました。自分では思いつかない答えが飛び出しますね。午前中は、終演後に行う日替わりリーディングの稽古、午後は本編の稽古です。台本を読み合わせしたら正味55分ですので、本番は1時間20分ぐらいになればいいなあと。舞台自体はすごくシンプルになると思います。

−本番の舞台は、立てないクララが立ち上がって終わるハッピーエンド系のお話ですか。
橋本 それほど単純ではありません(笑)。ネットでしか生きられない男たちや引きこもりなどが登場して、いくつもの筋が絡み合います。ネタバレしてもいいので話しちゃいますが、クララ症候群は他人に感染します。最後はみんなが感染する。それも一種のコミュニケーション、という形で終わる話です。

−もう少し稽古の現場を話してもらえますか。
橋本 デスロックに入団する前は、演出って台本をしっかり読み込んで、前もって役者の動きを考えていなければならないと思っていました。捕らわれていたんですね。しかし稽古場で作る側面もある、と気付かされました。両方大切ですよね。それで最近は作品を作るスピードがだんだん遅くなってきた(笑)。

−東京デスロックに入団したのはいつですか。
橋本 昨年末、12月です。試験はなかったんですが、面接があって、「就活」はどうするの? とか聞かれました(笑)。演出部の応募はなかったので、どうして演出志望なのかと聞かれたり。コンテンポラリーシリーズに取り掛かったり「演劇LOVE」を持って地方公演したり、おそらく多田さんが変わりつつある時期だったんだと思うので、そばにいて、多田さんがどこへ向かうのかその変化を見たいと思ったんです。

−多田さんはブルーノプロデュース公演を見てますか。
橋本 はい。年末の第2回公演「カシオ」を見てもらいました。第3回公演はちょうど多田さんの結婚式がかぶって見てもらえませんでしたが。

−多田演出の影響はありますか。
橋本 そうですね。身体への負荷ということでしょうか。個人的に、かっこいい人が舞台に立つことに若干疑問を持っちゃう。がんばって汗をかいている方がすてきに見えるとか。そこらへんが多田さんの影響かな。あとは、俳優と空間を仲良くさせるために命をかけているところとか、凄く勉強になります。稽古場で作ってきたものを劇場にそのまま持ってくるんじゃなくて、劇場用にきっちり作り変えたり、調整する。当たり前のことのようですが、それを多田さんは徹底しているのでそこは全力でマネしたいと、いつも考えてます。

−入団してみていかがですか。
橋本 ブルーノプロデュースもぼく1人なので、もともと劇団に所属したことがなかったせいか、多田さんと役者の関係がすごいと思いました。多田さんの言葉を読み取るとか、指示が出るまでじっくり待つとか。最近のデスロックの傾向ですが、稽古場でいろいろ試してみても、実際ステージに出るまで中身が決まらないことが多い。普通のプロデュースユニットだと役者が怒っちゃう(笑)。

−東京デスロックのどこに魅力を感じたのですか。
橋本 三好十郎の「その人を知らず」を見て、衝撃を受けました。2009年初めの公演を見たんですが、キットカットが降ってきたり、マイクが爆弾になったりと、あの舞台を見てから舞台上で何が起きていても、こちらが楽しもうと思えば楽しめるのだと確信しました。それまでは演出がどうのあの演技がどうのと小難しく考えていたのですが、純粋に楽しめる。感動してしまいました。人生の感動の沸点は下がったと思います。ホントにそれは幸せなことだと思っています。

−そうか。見る人によって衝撃の個所が違ってるんですね。ぼくは夏目慎也さんが十字架に張り付けにされてかわいそうだなあとずっと尾を引いていた(笑)。それはさておき、橋本さんはブラジル生まれだそうですね。
橋本 はい。父がブラジル人で、母は日系二世のブラジル人です。母方の祖父母は開拓移民として日本からブラジルに渡って、母はそこで生まれました。だからぼくは国籍はブラジルですが、ハーフですね。でも3歳で日本に来たので日本育ちです。実はポルトガル語もよく話せない。忘れちゃったみたいですね。

−日本生活はどうでしたか。
橋本 いじめはなかったけど、よくからかわれましたね。身体は大きかったので、小さい時から1人突き出てました(笑)。

−いまは身長が…。
橋本 190センチあります。まだ少しずつ伸びてますよ(笑)。

−演劇活動は?
橋本 高校時代に演劇部に入って、大学でも活動したいと思って、最初は住んでいた愛知県内の大学に進もうかと思っていたのですが、先生に相談したら日大芸術学部がいいだろうということで受けました。実は高校演劇部の顧問の先生が小劇場好きで、毎週名古屋に連れて行ってくれた。少年王者館を見てなんておもしろいんだろうと思い、北村想さんの舞台や佃典彦さんのB級遊撃隊公演を見て、すっかりはまりました。ビデオも貸してもらって見ました。高校時代からわけの分からない、でもおもしろい観劇体験を重ねてきたとあらためて思いましたね(笑)。

−それは贅沢な小劇場体験でしたね。80年代、90年代の小劇場シーンは東京のタイニイアリスがフェスティバルを開いて各地の劇団を精力的に後押ししてきた歴史でもあります。いま名前の挙がった劇団はいずれもアリスフェスティバルに何度も参加して育った劇団だと思います。それでお尋ねするわけではありませんが、どうしてタイニイアリスで公演することになったのですか?
橋本 これまで3,4回タイニイアリスで芝居を見ました。劇場が傾斜してフロアが低くなっていますよね。やはりクララということで、俳優たちが座る芝居を考えていたのでタイニイアリスが見やすくていいかなあと。でも、今は俳優たちがずっと立っている演劇になりそうな気もします。あと、夏期休暇割引もあったし、オーナーの西村博子先生が大学で教えている演劇の授業も受けてましたから。ドラマツルギーの言葉の意味や「毛皮のマリー」の読解とかいろいろ教わりました。エネルギーあふれる授業でした。

−大学に入って得たものは何でしょう。
橋本 いまさらですけど、舞台を作る多くのスタッフがいることをあらためて知りました。照明コースとか装置コースとかがありますので、知り合った学生に声をかければなんとか劇場で公演ができるのではないかと思います。もう一つは、演出家の山田 和也さんの授業を1年の時に受けたんですが、NHKの討論番組「真剣10代しゃべり場」のような形で授業が進みます。まず車座になって、各自が「シアターガイド」誌で気になった記事を取り上げてそれぞれコメントを述べて、それに対してほかの人たちが感想や反論を展開して突っ込んでいきます。ほめるだけでなく、他人をきっちり批判する、評価するという授業でした。そのとき以来の友人たちからは、ホントにおもしろくなければおもしろいとは言ってもらえなくて、それがぼくにとっては甘えにならなくてとてもよかったと思います。ここでもみくちゃにされなかったらと考えると、ちょっと怖い。そういう意味でも、周りの友人たちに助けられていると、いまになってあらためて感じますね。

−卒業は?
橋本 いま4年生ですから、来年3月卒業予定です。

−多田さんみたいに聞いてみようかな。「就活」は(笑)。
橋本 まったくしてません。やる気もゼロ(笑)。当分フリーターですね。東京デスロックとブルーノプロデュースに全力投球します。高3の時、ずいぶん悩んだんですが、演劇の道に進むなら就職はしないと決めていて、そこはぶれてません。

−ご家族は?
橋本 母は心配しましたが、受験するとなってからは応援してくれてます。今度の公演にも見に来てもらうつもりです。
(2010年8月12日、池袋の喫茶店)

(注)劇団エリザベス webサイト: http://gekidanelizabeth.web.fc2.com/
    ブルーノプロデュース webサイト: http://brunoproduce.net/index.html

ひとこと> 写真をみると、アイドルみたいなステキな人でしょう。実際に会った橋本さんは、柔らかな口調で噛みしめるように話す、親思いのもっとステキな演劇人でした。「演劇熱中症」の1人かもしれませんね。身長190センチ。長い足を折りたたむように舞台に登場するのでしょうか。チラシも折りたたみ式。伸ばすとステキなキャラクターが立ち上がります。記念に取っておこうかな。気に入ったのでチラシ画像を本文中に掲載しました。マウスカーソルを画像の上に移動してみてください。ホントに伸びますよ。(インタビュー・構成:北嶋孝@ワンダーランド)

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